ユニバーサルデザインのまちづくり

人権・平和・自治について思いをつづります

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  8年間の議員生活、最後の一般質問が終わりました。
今回も、行政や市長とのやりとりが昂じて、用意した質問項目の半分くらいしか消化できませんでした。最後くらいは、予定項目に沿ってまとめようと思っていたのですが、これが私らしい終わり方かも知れません。
 
 国保税の問題を取り上げました。市長や行政職員は共済組合医療短期掛金という公務員の恵まれた医療保険制度に守られています。自分が一体いくら支払っているか気にもとめないくらいの、つまり、それほど医療保険の金額を切実な事として捉えなくてすむ恵まれた状態にある事をまず認識してほしいと思います。滞納者を責める前に、国保税がいかに高くて、毎月の支払いのためにどんなに苦労しているのか、自分のことに置き換えて考えてもらいたいと思いました。
 
 所得0でも非課税でも国保税はかかります。それを「保険制度だから仕方ない」とか「他の医療保険制度との公平性の問題から一般会計からの繰り入れはしない」とか「制度を守ることがセーフティネットだ」とか高みの見物宜しく言ってほしくない。
 
 現実の厳しい状況にある人たちに寄り添って市として何が出来るのか、真剣に考えてほしい。貧しい人ほど高い比率で税を納めなければならないなんてこんなに理不尽で不公平な医療保険制度はないのです。
 
 そんな思いで問いかけた時、なんとも冷たく心のこもらない答弁が返ってくるとつい哀しみと怒りが言葉となって、用意した質問項目とは離れた議論にいつもなってしまいます。
 
 課税段階での減免の適用、医療機関での窓口負担減免の基準を大幅に緩和することで多くの低所得者は救われます。所得に応じた課税ですから市は既に対象者は分かっているはずです。低所得の方たちが申請をすれば減免になるように制度基準を決定することは市町村国保の保険者である市ができることです。全国的に10%とフラット化されている住民税にくらべれば市町村国保税は市町村が独自で決められる唯一の税ともいえます。低所得の多くの方が、支払えないからと黙って滞納するよりずっと楽になることを市は責任を持って知らせるべきなのです。
 
 さらに、やむなく滞納した多くの所得0あるいは住民税非課税世帯は、そもそも担税力がないのです。それなのになぜ、追い打ちをかけるようにして、わずかな預金を差し押さえする必要があるのでしょうか?「差し押さえたから連絡がきて、分納につながった」と成果として答弁する行政の弱い人たちの苦しみに対する想像力の欠如に愕然とします。滞納処分の執行停止の要件に貧困による基準を定めるべきです。一部負担金減免と同じように生活保護基準の12倍以下の方たちには滞納処分をかけるべきではない。わずかな預金、わずかな資産を換価して生活を追い詰めるべきではないのです。
 
人はどんな環境に生まれても、人生でどんな災難や不幸に出会っても人として尊厳を持って生きられる、人として大切にされる社会であってほしいと願います。身近な市町村自治体は様々な事情で苦しむ人たちのセーフティネットして機能することが求められます。
 
8年間、そんな思いを込めて議会で毎回一度も休むことなく問い続けました。
自分なりの精一杯の議会活動でした。
議員になりたくて議会に出たのではなく、少しでも市政を変えたくて議員になりました。変えることはぶつかることです。それは心にいつもささくれた傷を負います。執行部に対しても市長に対しても、相手を責めるときはその刃は常に自分にも返ってくるからです。
そこに長くいたいと思えば居心地の良さを求めて筋を通しきれなくなります。妥協してしまったら当事者の苦しみに目をつぶることになります。
もうこれが力の限界ならこの場を去るべきだと思いました。
 
次期の選挙で選ばれる方たちには本当に困難な状況にいる当事者の視点から問題を捉え返してほしいと願います。現実の様々な問題を高いところから見下ろして論じるのではなく、同じ地平から見つめて行政のあり方を問うてほしいのです。
そんな思いをわずかな希望に託して、最後の一般質問を終えました。
 
  後期高齢者医療制度の見直しに併せて市町村国保も都道府県単位へ「広域化」する動きがあります。国民健康保険制度は国民を疾病と貧困の悪循環から救うために国民皆保険制度として1958年に新制度へ移行しました。新国民健康保険法には、憲法25条の理念があり、国民健康保険事業が「社会保障」として「国民保健の向上に寄与する」ものとして位置づけられています。
 
 医療保険の未適用者をすべて取り込むということは当然、担税力のない方も加入することになります。もし、保険税の支払いを給付条件にすれば負担能力のない方は排除されてしまいます。それを避けるために、保険税減免制度や一部負担金減免制度があり同時に国庫負担金も不可欠の要素となっているのです。
 
 ところが、1984年の国民健康保険法の改訂を皮切りに国庫負担が切り下げられ、もともと財政基盤が弱い市町村国保財政は行き詰まりました。それを保険税の引き上げで補おうとしたところから担税力のない人たちが滞納し、それを埋めるためにさらに保険税を上げるという悪循環が始まりました。
さらに労働行政の規制緩和策によって、社会保険に入れない非正規労働者が急増し、不況による自営業者の倒産、経営難などにより国保加入者の貧困化は進行していきました。1997年に行われた滞納世帯への窓口10割負担の「資格証」発行義務化などで、国民皆保険が事実上崩れてきています。
 
このような歴史的構造的な市町村国保制度のもつ課題は国がめざす「広域化」では解決されません。医療のセーフティネットとして国民健康保険制度を立て直すために、「負担は能力に応じて給付は必要に応じて医療を保障する」という原点に立ち返った制度設計を再構築すべきです。
そこで以下の点を国に要望します。
 
1,国庫負担金の割合を1984年以前にまで戻すこと。
2,課税方式を「旧但し書き方式」から「住民税方式」に変更し、現行「住民税方式」の自治体は継続すること。
3,保険者独自の条例減免を賦課総額に上乗せする「新賦課総額」は導入しないこと。
4,収納率や子どもへの医療費単独補助に対する調整交付金削減はやめること。
以上、地方自治法99条の規定により意見書を提出します。
 
2011314日                     佐倉市議会
内閣総理大臣
厚生労働大臣 宛
 
学校施設の計画的なバリアフリー化を求める意見書
 
「高齢者、身体障害者等が円滑に利用できる特定建築物の建設の促進に関する法律」において学校施設がバリアフリー化の努力義務として位置づけられています。「障害者基本計画」においてもユニバーサルデザインの観点からすべての人にとって生活しやすいまちづくりを推進することが求められています。さらに、文部科学省も平成163月に「学校施設のバリアフリー化推進指針」を策定し各自治体での整備に努めるように求めています。
 
しかし、千葉県内において、校内にエレベーター設置をしている学校は平成227月現在で約1230校中122校で整備率は10%程度しかありません。自治体間の整備率の格差も大きく、佐倉市においても34校中2校という実態で、整備の遅れはいちじるしいものがあります。
 
 文部科学省は、公立及び私立学校施設については、障がいのある児童生徒等に配慮した整備にかかる経費の一部を国庫補助の対象としています。
学校施設は児童生徒の学習・生活の場であると共に地域住民の生涯学習の場、地域のコミュニティや防災拠点としての役割も求められることから、ユニバーサルデザインの考え方をふまえて早急なバリアフリー化整備促進に向け計画と予算が検討されなければならないと考えます。
 
「障がいのある人もない人も暮らしやすい千葉県づくり条例」及び「福祉のまちづくり条例」を推進する観点からも千葉県及び千葉県教育委員会に対して以下の点を要望します。
 
 1,千葉県教育委員会は「学校施設バリアフリー化推進指針」に基づき、学校施設におけるエレベーターやスロープ等のバリアフリー施設整備を計画的に行うよう市町村自治体との協議を行い積極的な推進策を講ずること。 
 
2,千葉県は、「学校施設バリアフリー化整備」に伴う国庫補助金が確定した市町村のバリアフリー施設整備事業に対して、千葉県として上乗せの補助金を検討すること
以上、地方自治法99条の規定により意見書を提出します。
2011314
                             佐倉市議会
千葉県知事
千葉県教育委員長 宛
 
佐倉市内の各所で配布されている議会ウオッチングの波紋が議会内で大きく広がっている。市民の中からも、その評価について聞かれることがあるが、私は「それは特定のグループの判断で客観的かどうかはわからない。鵜呑みにしないで。」と答えている。議会内では、これが違法性があるかどうかも含めて取り上げられることになっている。
私は、あきらかな法的違反があるのかどうかの判断は専門家に任せたいと思う。仮に選挙違反に関わる問題点があれば「選挙管理委員会」が職務として然るべき措置をすべきだ。しかし、法的な違反のありなしに拘わらず「人権」という観点から大きな問題があると思っている。
 
どんな評価においてもその基準が客観的かどうかの判断は難しい。評価とはある目的に対しての到達度だが、その目的自体が評価主体の価値判断にゆだねられている以上、何を評価指標にするかで結果が大きく異なる。
従って「議会ウオッチング」の評価において、どんな資料を使ったかそれが客観的かどうかという問題以前にあくまでも「一グループの価値判断によって行われた評価」に過ぎないという前提で考えるべきだと思っている。
 
私は、この件における一番の問題は、「一方的に評価され不特定多数に流布されたことによって傷つけられた人がいるという事実」だと思う。
これはあきらかに人権問題だ。
議員は確かに公人であり、その職業的特質から、常に市民から評価を受ける存在だ。プラスもマイナスも含めて。議員の宿命ともいえる。
しかし、深く人格を傷つける表現でその評価し、不特定多数の市民に一方的に流布した「ウオッチング」の方法は「言論の自由」をはき違えた傲慢さを感じる。
「法的な違反がない」から「言論表現は自由だ」と主張したとしても、その行為によって個人の「人権」を踏みにじる権利などないと思う。
 
現在の30人の議員はそれぞれに選挙をへて市民の信託を受けて議会にいる。それぞれの主張も、よって立つ背景も行動の仕方も違って当たり前だ。
議会の一般質問や質問回数は一つの指標でしかない。もちろん厳然たる事実の質問回数や発言回数の公表であれば問題はないが、そこに主観的コメントが加えられた時に問題が生まれる。議員個々人の活動のフィールドは多岐にわたりそれをすべて網羅することは到底できないし何を持ってその活動を良しとするかはやはり評価する側の価値判断による。
 
今回、一方的な評価を不特定多数に流布した行為が議員に対しての人権侵害、あるいは議会そのものに対しての品位を貶めることにもなりかねない。だから議会として抗議をする必要はあると思う。しかし、同時に、危惧することがある。この件が引き金になって市民の自由な言論活動自体を封じ込めるような強圧的な方針がとられかねないことだ。それだけはどうしても避けたい。市民が議会へ監視活動をすることは市民の当然の権利だ。監視をしチェックをし、意見表明することで議会は変わる。市民からのチェックは二元代表制を正常に機能させる大前提だからその動きを止めるようなことになってはならない。
 
また、この議会内で私がこのグループと関わりがあるかのような発言をする議員も出てきている。全く、事実無根であり根拠のないもので、深く私の「人権」を踏みにじるものだ。
 
このグループが投げかけた波紋は大きい。確かにこの議会ウオッチングで市政に関心が高まった。その効果は、今回40名を超える立候補者の増加として議会に新しい風が吹くことを予感させる。しかし、同時にその結果が市民の言論を押さえるような動きへ、「議会改革」とは逆の方向に進みかねない状況を生み出していること、あるいは私も含めて個人攻撃の材料にされかねない危険性も現実に起きている。
 
  2年間、佐倉市選出議員として参加する最後の議会。それなのに3日前にインフルエンザA型を発症。33晩、水しかのどを通らず、吐き気と頭痛とめまいと関節痛で苦しんだ。なるほど死者が出るほどの症状だと思った。こんなに苦しんだインフルは初めてだ。3日目に点滴をして初めて起き上がれた。その翌日がこの議会。
 
 夢うつつで、「出なければ最後だから這ってでも」と思いながら、でも身体が動かない。情けなくて涙が出た。当日の朝は、吐き気止めの座薬と解熱剤とめまいを止める薬を飲んで、完全防備の出で立ちで、出席した。担当課の職員には「感染の危険があるのにごめん」と思いながら、この最後だけは意地でも休めないと会場まで送ってもらった。
 
 2年間6回の議会で「広域連合議会」の問題、医療制度を「広域」で行うことの矛盾と課題、スケールデメリットの問題を何度も取り上げた。質問時間が長すぎるとブーイングが起こり会議の途中で退席する議員も続出した。「ふざけんな!」と心底腹がたった。
 「国が決めたことだよ。財源問題があるのだからいくらこんなところで言っても変えられないんだ。粛々と議事を進めればいいんだ。」という空気の中で、議案を読み解くのに様々な文献や資料や聞き取りをして臨んできた日々だった。
 
 ところが、この8月に議長から「議案の一活審議という方法を検討せよ」と実質的な発言時間と回数の制限が諮問された。
私は議会運営委員会で抵抗し、「決定の前に全国の広域連合の状況を調べるべきだ」と求めた。しかし、その結果を見て深く失望した。なんと僅か2時間程度で議会を終えている広域連合がほとんどではないか?千葉県の審議時間約8時間は突出した時間だったのだ。
私は全国の心ある議員がそれぞれに頑張っていることを密かに期待し、千葉だけが回数制限していいのか?と言うことを論拠に反対しようとしたが現実はかくあり。
 
それでも8月と11月の2回の議運では共産党の方たちの協力も得て要望書を提出し、なんとか継続審査に持ち込んだ。
しかし、3回目は多数決で決められた。「一活議題として質疑、質疑時間は20分。回数は3回まで」と賛成多数で決定した。これでは、まともに議論なんて出来ないと、この最後の議会は、補足資料の配付を議会事務局と議長に求めた。しかしこれも「まかりならん」とけんもほろろの対応。「議会は言論の場」というのが配布を禁ずる理由とか。このやりとりの中で私はやむにやまれず「広域議会には失望した」と捨て台詞をはいた。
 だから、なおさら、この最後の議会は、這ってでも出なくてはならないと思っていた。
 
当日は、用意した議案質疑と討論そして一般質問を発言台までふらつきながらたどり着き、マスクをしたままで発言した。
医療制度を制度として持続させるために、保険料の算定が高めになること、そのために常に多額の給付費不用額を生み出し、剰余金が生じていること。
国からの軽減措置としての交付金以外の基金も70億円近くに積み上がっているがそれは次期の保険料減額の財源にしか使えず、翌年度の医療サービスの充実には使えないこと。国からの交付金も使い道が決められていて、条例で基金の使い道を定めてあっても自由に処分できないこと、さらに、事務所移転に伴う国保連との関係(26000万円の建設費の増に対する違約金問題)レセプト二次点検の件数の課題見積もりなど課題は山積していることなど。そもそも「特別地方公共団体」としての主体的な運営がなされていないことや後期高齢者の地域ごとの実態に即した検診や健康増進事業の充実など工夫も意欲も見られない状況だ。
 
10時開会、午後4時閉会。約6時間の会議時間だった。4000億円を超える医療制度の運営に関わる議会、53万人を超える被保険者に関わる議会がこんな状況で行われていることを当事者たちはおそらく知らないだろう。広域連合というありかたがそもそも問題なのだ。特別地方公共団体といいながら住民から直接選ばれない連合長と議員、その上職員は各自治体からの寄せ集めで2年から3年の期間で入れ替わる。誰が責任を持つのか?住民の声はどうやって反映されるのか?
 
今、新制度を巡って国も右往左往している。「広域でやる」とは決めたが受け皿の都道府県は「NO!」という。おまけに市町村国保まで広域化するために制度設計をし直している。被保険者の命を守るために医療のセーフティネットが再構築される新システムなら大歓迎だ。でも、そうじゃない。
 この2年間「広域」で行うことの問題点ははっきり見えてきた。その問題を解決する道筋を示さない限り、負担は常に弱い部分にしわ寄せされる。
 
 帰りの車の中から、車窓に移る景色を眺めながらぼんやり思った。「最後の議会が終わった。言うべきことはすべて言ってきた。あとは、次の人たちに任せたい」と。
 

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