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この2年間、公的職場で働く非正規労働者の問題を一般質問で取り上げてきた。かつて自分自身が公務員であった経験からも「公」の役割と責任についてはいつも考えさせられた。行財政改革の名の下でこの10年間あまりの間、公務労働を「安くて代替のきく賃労働」として切り分けて、特に市民と直接相対する「保育」「教育」職場で非常勤職員を増やし続けてきた。退職者を補充しないで、非正規職員に置き換えることで確かに相当額の人件費が削減された。
代わりに増えた非正規職員の賃金の費目である「物件費」も時間給に換算すれば正規職員の3分の1にも満たないためにその増加はあまり目立たない。
しかし、問題は賃金の安さだけではない。
そのような使い捨ての「権限を与えられないシフトの駒」として扱われる非正規労働者にとって「働きがい」とは何かが自分自身の尊厳とも関わる問題となっている。
仕事に対する「無力感」や人として大切にされない「憤り」もふくめて非正規労働者の問題は大きい。
折しも今日付の朝日新聞で「小中学校の産休代替えなどの非正規教員が足りない」「募集しても集まらない」という記事が掲載されていた。
教育職という仕事は本来、創造的でやり甲斐のある仕事だと思う。
しかし、時間単位で働かされ、学校運営や生徒指導に対しての見通しや権限のない立場でのみ関わる「臨時教員」は、子どもたちとの継続的で豊かな関わり合いからそもそも排除されている存在だ。
ただ「金」のためにだけ働くというのは人にとっては耐えられない屈辱ではないのか?ましてその「金」さえ生活にぎりぎりのあるいは最低生活さえ下回るほどの低賃金しか保障されないとしたらなんと理不尽なことか。
働きがいは、いつでも代替可能な補助的存在としてのみ扱われる状況では生まれない。
仕事にたいし、自ら取り組む意欲を持ち続けられるのは、「参加」や「決定権」があり、そこに「責任」を自覚したときではないだろうか?
賃金の低さ、待遇の悪さだけではなく、働きがいという観点からも、労働者を使い捨ての駒扱いにする「非正規労働」はなくしていくべきだと思う。
もちろんそれは、「公務労働」だけに限らす、すべての労働現場から・・・。
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2011年01月10日
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