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  今まで支えてくださった皆さん、ありがとうございました。
2期8年間の議員生活をこの4月で終えます。
気持ちを整理してブログを書き終えようと思いましたが、最後の討論を作成していた3月11日午後2時46分、巨大地震が起きました。
いつもと違う大きな揺れ。
私は議会の無所属控え室で討論原稿をパソコンで打っていました。
波打つような大きな横揺れで部屋のテレビが落ちそうになり、あわてて手で押さえました。その直後から流れるテレビ映像に我が目を疑いました。巨大な津波にすべてが押し流されていく光景、津波の後に火災が起きてさらに被害が拡大していく様子。
そして、翌日の原発事故。
 
議員として何が出来るかと考えましたが、何も出来ませんでした。
ただ、翌日、断水対応をしている避難所を回ったり、議会事務局を通して独居高齢者の安否確認をお願いしたり。障がい者へのきめ細かな対応をお願いするばかりでした。
 
 14日が最後の議会でしたが、11日から各課が不眠不休で震災後の対応をしていることから討論は簡略にという申し合わせがあり短時間で終わりました。
 
この地震は天災です。人智を超える自然の力です。
しかし、原発は人間が作り出したものです。その原発事故で放出された放射性物質のヨウ素やセシウムは、自然界には存在しないものです。
津波による被害は本当に言葉を失うくらいにつらい現実ですが、原発による被害は私たちが作り出した人災です。
 
これから日本がどうなるのか、私には分かりません。でも、なんでもない日常がどんなにかけがえのない日々であるのか、その日常を取り戻すのにどれほどの困難が待ち受けているのか、厳しい現実を思います。
 
私は、議会から離れます。でも、これからは、一市民として、かけがえのない命を大切にできる社会になるように願い活動をしていきます。
8年間ありがとうございました。
  縦割り行政システムをそのままに国の交付金だけが一活でこられてもどうにも出来ない地方自治体、これが現状。22年度はとりあえず継続事業のつけかえで交付金を受けたが、さてこれからどうするか?
 
この交付金は、22年度から創設された。国交省が「社会資本整備」つまり「ハード」だけでなく、その周辺に関わる「ソフト」事業に対してもその交付金の充当を認める。仮に予定通り進まなくても整備計画内の他事業にも流用してよろしい。つまり返還や繰越処理は不要。整備計画は個別施設や個別事業の縦割りではなく、計画全体のパッケージで採択するというもの。
 
 具体的には、「道路整備」という基幹事業にたいしてその道路が仮に高齢者施設の近くであれば、単に形状のバリアフリー化だけではなく、コミュニティバスの運行、歩いて買い物に行けるように空き店舗などを活用した新規チャレンジショップへの改築補助など、高齢者福祉や地域経済活性化など他部局との連携が必要になる。
 
 こんな観点で交付金を活用できるようなシステムに佐倉市はなっていない。いや全国どこの自治体もなっていない(と断言できる)。そもそも予算書の作り方自体が、各部毎の款・項別で構成されていて、施策毎の総事業費が見えないのが現状だ。
 
 議会の議員も、現状では事業間の関わりが判らないような執行部提案のため、個別に「この事業内容はなんですか?」と聞く状態から始まるのでまったく議論にならない。事業の全体像と先を見通した費用対効果、公の役割と政策的な有効性について踏み込んで議論できる状態にない。
 
 一括交付金の足がかりとしての国交省の「社会資本整備総合交付金」使いこなせるようになるにはかなり高いハードルをクリアする必要がある。
 
  8年間の議員生活、最後の一般質問が終わりました。
今回も、行政や市長とのやりとりが昂じて、用意した質問項目の半分くらいしか消化できませんでした。最後くらいは、予定項目に沿ってまとめようと思っていたのですが、これが私らしい終わり方かも知れません。
 
 国保税の問題を取り上げました。市長や行政職員は共済組合医療短期掛金という公務員の恵まれた医療保険制度に守られています。自分が一体いくら支払っているか気にもとめないくらいの、つまり、それほど医療保険の金額を切実な事として捉えなくてすむ恵まれた状態にある事をまず認識してほしいと思います。滞納者を責める前に、国保税がいかに高くて、毎月の支払いのためにどんなに苦労しているのか、自分のことに置き換えて考えてもらいたいと思いました。
 
 所得0でも非課税でも国保税はかかります。それを「保険制度だから仕方ない」とか「他の医療保険制度との公平性の問題から一般会計からの繰り入れはしない」とか「制度を守ることがセーフティネットだ」とか高みの見物宜しく言ってほしくない。
 
 現実の厳しい状況にある人たちに寄り添って市として何が出来るのか、真剣に考えてほしい。貧しい人ほど高い比率で税を納めなければならないなんてこんなに理不尽で不公平な医療保険制度はないのです。
 
 そんな思いで問いかけた時、なんとも冷たく心のこもらない答弁が返ってくるとつい哀しみと怒りが言葉となって、用意した質問項目とは離れた議論にいつもなってしまいます。
 
 課税段階での減免の適用、医療機関での窓口負担減免の基準を大幅に緩和することで多くの低所得者は救われます。所得に応じた課税ですから市は既に対象者は分かっているはずです。低所得の方たちが申請をすれば減免になるように制度基準を決定することは市町村国保の保険者である市ができることです。全国的に10%とフラット化されている住民税にくらべれば市町村国保税は市町村が独自で決められる唯一の税ともいえます。低所得の多くの方が、支払えないからと黙って滞納するよりずっと楽になることを市は責任を持って知らせるべきなのです。
 
 さらに、やむなく滞納した多くの所得0あるいは住民税非課税世帯は、そもそも担税力がないのです。それなのになぜ、追い打ちをかけるようにして、わずかな預金を差し押さえする必要があるのでしょうか?「差し押さえたから連絡がきて、分納につながった」と成果として答弁する行政の弱い人たちの苦しみに対する想像力の欠如に愕然とします。滞納処分の執行停止の要件に貧困による基準を定めるべきです。一部負担金減免と同じように生活保護基準の12倍以下の方たちには滞納処分をかけるべきではない。わずかな預金、わずかな資産を換価して生活を追い詰めるべきではないのです。
 
人はどんな環境に生まれても、人生でどんな災難や不幸に出会っても人として尊厳を持って生きられる、人として大切にされる社会であってほしいと願います。身近な市町村自治体は様々な事情で苦しむ人たちのセーフティネットして機能することが求められます。
 
8年間、そんな思いを込めて議会で毎回一度も休むことなく問い続けました。
自分なりの精一杯の議会活動でした。
議員になりたくて議会に出たのではなく、少しでも市政を変えたくて議員になりました。変えることはぶつかることです。それは心にいつもささくれた傷を負います。執行部に対しても市長に対しても、相手を責めるときはその刃は常に自分にも返ってくるからです。
そこに長くいたいと思えば居心地の良さを求めて筋を通しきれなくなります。妥協してしまったら当事者の苦しみに目をつぶることになります。
もうこれが力の限界ならこの場を去るべきだと思いました。
 
次期の選挙で選ばれる方たちには本当に困難な状況にいる当事者の視点から問題を捉え返してほしいと願います。現実の様々な問題を高いところから見下ろして論じるのではなく、同じ地平から見つめて行政のあり方を問うてほしいのです。
そんな思いをわずかな希望に託して、最後の一般質問を終えました。
 
  2年間、佐倉市選出議員として参加する最後の議会。それなのに3日前にインフルエンザA型を発症。33晩、水しかのどを通らず、吐き気と頭痛とめまいと関節痛で苦しんだ。なるほど死者が出るほどの症状だと思った。こんなに苦しんだインフルは初めてだ。3日目に点滴をして初めて起き上がれた。その翌日がこの議会。
 
 夢うつつで、「出なければ最後だから這ってでも」と思いながら、でも身体が動かない。情けなくて涙が出た。当日の朝は、吐き気止めの座薬と解熱剤とめまいを止める薬を飲んで、完全防備の出で立ちで、出席した。担当課の職員には「感染の危険があるのにごめん」と思いながら、この最後だけは意地でも休めないと会場まで送ってもらった。
 
 2年間6回の議会で「広域連合議会」の問題、医療制度を「広域」で行うことの矛盾と課題、スケールデメリットの問題を何度も取り上げた。質問時間が長すぎるとブーイングが起こり会議の途中で退席する議員も続出した。「ふざけんな!」と心底腹がたった。
 「国が決めたことだよ。財源問題があるのだからいくらこんなところで言っても変えられないんだ。粛々と議事を進めればいいんだ。」という空気の中で、議案を読み解くのに様々な文献や資料や聞き取りをして臨んできた日々だった。
 
 ところが、この8月に議長から「議案の一活審議という方法を検討せよ」と実質的な発言時間と回数の制限が諮問された。
私は議会運営委員会で抵抗し、「決定の前に全国の広域連合の状況を調べるべきだ」と求めた。しかし、その結果を見て深く失望した。なんと僅か2時間程度で議会を終えている広域連合がほとんどではないか?千葉県の審議時間約8時間は突出した時間だったのだ。
私は全国の心ある議員がそれぞれに頑張っていることを密かに期待し、千葉だけが回数制限していいのか?と言うことを論拠に反対しようとしたが現実はかくあり。
 
それでも8月と11月の2回の議運では共産党の方たちの協力も得て要望書を提出し、なんとか継続審査に持ち込んだ。
しかし、3回目は多数決で決められた。「一活議題として質疑、質疑時間は20分。回数は3回まで」と賛成多数で決定した。これでは、まともに議論なんて出来ないと、この最後の議会は、補足資料の配付を議会事務局と議長に求めた。しかしこれも「まかりならん」とけんもほろろの対応。「議会は言論の場」というのが配布を禁ずる理由とか。このやりとりの中で私はやむにやまれず「広域議会には失望した」と捨て台詞をはいた。
 だから、なおさら、この最後の議会は、這ってでも出なくてはならないと思っていた。
 
当日は、用意した議案質疑と討論そして一般質問を発言台までふらつきながらたどり着き、マスクをしたままで発言した。
医療制度を制度として持続させるために、保険料の算定が高めになること、そのために常に多額の給付費不用額を生み出し、剰余金が生じていること。
国からの軽減措置としての交付金以外の基金も70億円近くに積み上がっているがそれは次期の保険料減額の財源にしか使えず、翌年度の医療サービスの充実には使えないこと。国からの交付金も使い道が決められていて、条例で基金の使い道を定めてあっても自由に処分できないこと、さらに、事務所移転に伴う国保連との関係(26000万円の建設費の増に対する違約金問題)レセプト二次点検の件数の課題見積もりなど課題は山積していることなど。そもそも「特別地方公共団体」としての主体的な運営がなされていないことや後期高齢者の地域ごとの実態に即した検診や健康増進事業の充実など工夫も意欲も見られない状況だ。
 
10時開会、午後4時閉会。約6時間の会議時間だった。4000億円を超える医療制度の運営に関わる議会、53万人を超える被保険者に関わる議会がこんな状況で行われていることを当事者たちはおそらく知らないだろう。広域連合というありかたがそもそも問題なのだ。特別地方公共団体といいながら住民から直接選ばれない連合長と議員、その上職員は各自治体からの寄せ集めで2年から3年の期間で入れ替わる。誰が責任を持つのか?住民の声はどうやって反映されるのか?
 
今、新制度を巡って国も右往左往している。「広域でやる」とは決めたが受け皿の都道府県は「NO!」という。おまけに市町村国保まで広域化するために制度設計をし直している。被保険者の命を守るために医療のセーフティネットが再構築される新システムなら大歓迎だ。でも、そうじゃない。
 この2年間「広域」で行うことの問題点ははっきり見えてきた。その問題を解決する道筋を示さない限り、負担は常に弱い部分にしわ寄せされる。
 
 帰りの車の中から、車窓に移る景色を眺めながらぼんやり思った。「最後の議会が終わった。言うべきことはすべて言ってきた。あとは、次の人たちに任せたい」と。
 
  千葉県の広域連合議員として2年間、高齢者医療制度の現状について調べてきた。政府は平成253月で廃止を決定し通常国会で法案成立を目差していたが、運営主体と予定されている都道府県の各知事が受け入れ拒否の意向を示していて先が見えない。先日はとうとう1年先延ばしの案が厚労省から発表された。
 
75歳以上と年齢で区切ったことを諸悪の根源であるかのような報道があったが、それは後期高齢者医療制度の本質的な問題ではない。75歳で区切ろうが65歳で区切ろうが、高齢者医療に金がかかる。誰が負担する?ということでもめた話なのだ。負担の矛先を自己責任に転嫁したために高齢者が怒ったのだ。いや、高齢者だけではない。若年世代で被用者保険に入らない世帯が加入する国民健康保険制度の問題とも絡んで、収入に比して高すぎる保険料と払えなくて滞納する世帯の増加で国保制度そのものが維持できなくなるおそれから後期高齢者医療制度は作られたのだ。だから、後期高齢者医療を国保に戻しても根本的な解決にはならない。まして制度維持のために広域化としても「負担と給付」のあり方そのものが変わらなければ矛盾は解決しない。
 
それは「保険制度」として医療制度を位置づけていくことの限界も示しているからだ。
「負担と給付」という話をすれば、収入の多い人たちだけで制度運営する大企業の健保組合、医師や薬剤師だけで作っている国保組合、収入が安定している公務員が入る共済組合は、その中で完結した運営が可能だろう。
しかし、収入がない人たち、あってもわずかな年金のみの人たち、自営業で時々の景気動向で収入が不安定な人たち、非正規労働者で低賃金、不安定な就労で働く人たちにとって、「自分たちの支払いで自分たちの医療制度を運営せよ」ということ自体が、無理なことであり、憲法25条にある健康で文化的な最低限度の生活保障、いやそれ以前の「命の保障」すらままならなくなるというのが現実だ。
 
それをどうするか?ここに問題が立ち返ってくる。誰だって病気になりたくてなる人はいない、でも病気になったときお金の心配をせず治療に専念したい。ごくごく当たり前の願いが、「負担と給付」「相互扶助」という「保険制度」の建前にかき消されているのだ。
 
今の医療制度を「すべて税でまかなえ」というのは無理かも知れない。
しかし、少なくとも、税でまかなわなければならない層が確実に分かっていて、憲法にある生存権の保障のために重点的に予算配分すべき事も分かっていながら、国も地方も「保険制度であり、制度加入者以外の方からの税投入は公平性に欠く」という詭弁を弄して税投入をあえてしない。
 
あげくに大変な制度を引き受けたくないとたらい回しにした。「広域連合」などというのは、特別地方公共団体の仮面をかぶった国のいいなりの事務機関。形ばかりの議会を作って、民主主義を装い、実際はいかに国からの税投入をさせないで制度運営するかの方策のための機関だ。それが2年間、保険料の算定方法、予算編成や歳出の内容を調査してよく分かった。調査した矛盾点を議会で質疑しようとすると他の議員から発言時間と回数を制限しろとブーイングが来ることからも住民から直接選ばれていない広域連合議会のなさけない姿だ。
 
高齢者医療制度と国民健康保険制度は、「医療のセーフティネット」だ。四の五の言わずに必要な税投入をして払える保険料に引き下げるべきだ。単純なことだ。運営主体は身近な市町村が担うこと。小さな自治体ほど身近に顔の見える医療保障があっていい。健診への動機付けも顔の見える関係ならずっといい。小さい自治体だから運営が苦しいのではなく、小さい自治体が運営できるような制度設計をすればいいのだ。
 
国は税金投入はしないでコントロールだけしようとするから、制度が複雑で訳が分からなくなる。健保組合や共済組合で使用者が折半している分と同じだけの金額を税で補填すればいい話だ。払う保険料は所得に応じて等しくなる。「公平」という言葉を使うのならそういう意味で使えばいい。所得に応じて各自が応分の負担金を支払って制度を維持しているということにだ。入っている医療制度の違いで、所得の多い人ほど保険料の支払い割合が低くなっているのは逆に不公平だろう。
 
後期高齢者医療制度と国民健康保険制度をどのように運営していくかは自治体の住民の命に対する取り組み姿勢と深く関わる。国へそれをどれだけ真剣に突きつけていくかが問われている問題だ。
ところが、火中の栗を拾いたくないとばかりに市町村は都道府県でやってくれ、都道府県は広域連合でやってくれと責任のたらい回ししようとしている。悲しいかな、今の地方自治体の姿なのだ。

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