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「ふるさと納税」制度を活用して・・・
辺野古基地建設に反対する名護市政を応援しよう!
平和について考えるメーリングリストからの情報です。
「ふるさと納税制度」もこんな使い方ができるのかとちょっと新鮮な驚きです。
国がアメとムチで沖縄を孤立させようとするのなら、市民は自由意思でその自治体を支援することができる。この制度を作った国はこんな使われ方を想像していなかったでしょうし、私自身も「制度」そのものには疑問がありますが、使い方次第で非暴力直接行動にもなりうるのかと目から鱗の心境です。以下引用文です。賛同された方は是非直接名護市の企画財政課へアクセスしてください。
2010年1月「辺野古の海にも陸にも新しい基地はつくらせない!」という公約 を掲げた稲嶺進氏が市長となり、同年9月には基地建設反対議員が過半数を占める市議会が誕生し「基地反対」という確固たる市政が名護市に実現しました。
一方、2009年9月「最低でも県外」を掲げて誕生した民主党政権。その公約も虚しく、世界一危険な「普天間基地」を「沖縄県内」である名護市辺野古に移設する「日米共同声明」を2010年5月に発し、「日米安保」の名の下に差別的ともいえる過剰な負担を沖縄に強いています。
僅か人口1%の沖縄県の人々が、これ以上の基地負担は耐えがたい。米軍による「安全保障」を求めるなら、日本全体で負担して欲しい。と、いくら訴えても99%が無関心のままでは、0.6%の面積の沖縄に日本全体の74%の基地を押し付ける構図は何も変わりません。
このような中、防衛省は名護市への米軍再編推進法交付金16億円の不払いを決定しました。この政府からの札束をちらつかせた圧力に抗していく名護市に対し、人々の「モアイ※」で、財政を支えたいと思います。 ※沖縄で昔から受け継がれている助け合いの精神=ユイマール。モアイとは皆でお金を出し合う相互扶助の仕組み。
たとえ基地を受け入れなくても名護市は豊かな自治体になれることを日本政府に示すとともに、他の自治体が「基地反対」を掲げたら私たちは同じように支え決して沖縄は1%の孤立した存在ではないことを示していきましょう
この取り組みは、2010年12月27日に開催された名護市民投票13周年記念講演〜知事選後の課題と今後の展望〜 における、新崎盛暉氏(沖縄大学理事長)による講演の際に、1956年米軍支配を糾弾する瀬長亀次郎那覇市長に対し、米軍統治政府が補助金を打ち切った際、その市政を住民たちは市役所に長い列をつくって納税して支えたことに、この「ふるさと納税」をなぞらえ今後の展望の策として紹介されました。
是非ともこの歴史あるウチナンチュ(琉球以前の古来沖縄はウチナーであったという。ウチナーの人の意)の抵抗運動に並ぶ取り組みにしていきましょう。
この取り組みは、新崎盛暉氏など多くの言論人、辺野古基地建設に反対する名護市議そして宜野座映子さん始め辺野古で闘う人々にも賛同をいただいています。
2011年1月から新しい税の年度です。2010年にふるさと納税した方も是非名護市を継続して応援していきましょう!
<実施すること>
1.名護市にふるさと納税する流れを確認します。
ふるさと「納税」という呼びかたですが、5千円以上名護市に寄付すると住んでいる自治体(一部国)から税金が還ってくると考えた方が分かりやすいです。
2.申し込み用紙をダウンロードします。
「ご意見・応援メッセージ」欄に辺野古基地建設反対の意志、例えば「辺野古への基地建設に反対する稲嶺市長を支援します」と書き公開希望に○します。名護市のホームページに名前(匿名でも可)とそのメッセージが掲載され、基地建設に反対する稲嶺市政を支援できます。寄付金の具体的な使い道は、「基地建設反対」の志を貫く市長と議会が存在するからこそ一任できます。具体的に、例えば「ドクターヘりに使ってください」などと書くこともできます。
3.名護市役所 企画総務部 企画財政課 に申し込み用紙をメール、FAXまたは郵送します。
〒905-8540 沖縄県名護市港一丁目1番1号
電話:0980-53-1212(財政係 内線104 159)
FAX:0980-53-6210
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平和
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朝日新聞の夕刊に「作家」の重松清氏が書かれた文章が載っていた。
1991年からの20年間、経済的に日本がじり貧になり、社会不安も増していった時代に生まれ育った新成人に送る言葉が書かれている。「失望はしても希望を捨てるな。」「希望のもっとも根源的な定義は生き延びる底力」そして「希望は坂の上ではなく足元にある。」と。
私も1991年に初めて親になった。生まれた子は心臓に重い障がいをもち、3度の手術を経て今年、成人する。「ここまで育ってくれてありがとう」と心から思う。手術の度に「無事に終わって」と祈り何時間も手術室の前を行き来したことが昨日のことのように思い出す。
小さな命は医師や看護師などの医療関係者をはじめ、保育園、彼を取り巻く多くの人たちのおかげで救われた。その出会いに心から感謝したい。
20歳を迎えたその子は今、医療関係の仕事を目差している。手話を学び、自分と同じく障がいをもつ人たちともつながろうとしている。
でも、まずは「命」そのものを大切にする人であれと願う。
自分の命を大切にできなくて他人の命を救うことなど到底できない。
「内部障がい」故にできないことがあっても、希望は捨てず、多くの人のおかげで救われた君の命と健康を大切にして、できないことを嘆くのではなくできることに力を尽くしてほしい。君のような重い障がいの子が成人し、社会の中で自立し生きている、そのことそのものが同じ障がいをもって生まれた子どもや親たちに大きな希望になるはずだから。
1991年に生まれた君たち、我が子も含めて願うのは「人を殺すための理由、命を奪うためのどんな理由も認めないでほしい。」ということ。
「国のため郷土のため」まして「恋人や親のため」に「死んでいくことを善し」とする「殺すことを善し」とするどんな論理もあり得ない。
自分の命を犠牲にして、一人一人の命を踏みにじって守るべき大義などありはしない。生きている命はそれだけで価値がある。生まれ来る命はそれだけですばらしい。能力や障がい、出生地や国籍、身分や思想信条、どんなに違いがあってもなくても・・・。
1991年に生まれた君たちが、これからつくる未来は、なによりも「命」を大切にする社会であってほしい。
坂の上の「大義」のために足元の小さな「命」を踏みにじる社会にしてはいけない。「希望は坂の上ではなく、足元にある」のだから。
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12月18日市立美術館4階ホールで行ったコンサートに主催者の一人として関わった。テーマは「すべての武器を楽器に 沖縄〜韓国〜そして佐倉」
今年は、沖縄基地問題で鳩山政権が倒れ、基地と安保の問題が問われた。さらに中国や北朝鮮との軍事的緊張が高まって、東アジア情勢も流動的になった。
さらに民主党政権は(予想はしていたが)自民党以上に米国との軍事同盟の強化の方向へと進んでいる。戦争が歴史上の出来事ではなくなるかも知れないという底知れぬ不安に駆られる一年だった。
そんな中、在日コリアンのミュージシャンである李政美さん、沖縄の三線演奏の太田さん、佐倉東高校演劇部の皆さんが平和への思いを歌や朗読劇で表現し心に響くコンサートが開けたことはとても良かった。
特に佐倉東高校の高校生が演じた朗読劇「20NIREI」は、戦時中に高校3年間を過ごした女学生の日記を顧問の先生が脚本化したオリジナルだ。
内容もすばらしいが演じる高校生が自らの問題に引きつけて表現する感性と熱意に感動した。
菅首相が「辺野古への新基地建設を名護市に認めなければ交付金をストップする」という脅しで強引に沖縄に基地を押しつけようとしているニュースが入ってきた。さらに沖縄高江でも米軍のヘリパット建設に反対する住民のフェンスを重機で押しつぶすニュースも入ってきている。
状況がまさに1930年代に酷似している今、「すべての武器を楽器に」はスローガンではなく真に実現するために、安保の問題を真剣に考えたい。
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今まで「人権」「平和」を唱えていた市民派と称する政党・団体の皆さん、今こそあなたたちの出番です。だって、巨悪の巣窟として断罪されている朝鮮民主主義人民共和国への「抗議と毅然とした対応」の一つとして在日コリアンの子どもたちが差別されているのですから。
「それとこれとは別でしょう」とはっきりときっぱりと態度表明すべきで時です。インターナショナルスクールも含む日本のすべての高校生に学費無償化が4月から行われています。
ただ「在日コリアン」の子どもたちを除いては・・・。
子どもの教育を受ける権利は政治的理由で侵害されてはなりません。
と、ここまで書いて、少しむなしくなりました。
「北朝鮮による砲撃事件に抗議し、毅然とした対処を求める決議」があっさりと本当にあっさりと佐倉市議会で議決されてしまったからです。
この決議にかかれている内容はいかようにも権力側に都合良く解釈されるでしょう。
私も今回の砲撃は許せません。民間人を無差別に攻撃するなんてどんな理由があっても許せません。でも、もう少し冷静に状況判断してください。
「抗議し毅然とした対処」とは何を意味するのですか?
「在日コリアン」の高校生の授業料無償化を決定をストップさせることですか?
なぜ、あえて挑発的な過去最大規模の「米韓共同演習」をあえて紛争ラインぎりぎりの場所で行う必要があるのですか?
まるで誘い水を差し向けているようなやり方ではないですか?
しかも、「米韓」とマスコミは報じていますが、実際は日本の港から出港し、日本の自衛隊も共同訓練に参加していることは報じられていません。
これって武力による威嚇行為でしょう。憲法違反ではないですか?
「やられたらやり返せ」と言う論理はすべての「人権平和」思想を払拭してしまうのですか?
深く静かにナショナリズムが浸透しているような状況を畏れます。
末端ながらも、政治の場面にいる者の責任の重さと罪深さにおののきながら・・・
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松山「坂の上の雲」を問う会というところから全国シンポジウムの案内が来た。愛媛県まではとてもいけないので、机の片隅においていたが、議会も終わり時間ができたのでじっくりと案内文を読んでみた。
歴史の事実を一定の価値観でゆがめてあたかも真実であったかのように「坂の上の雲」のドラマが作られているという内容の文章。「日清・日露戦争」が日本にとってやむを得ない選択であったと、そうしなければ列強からいつ攻め込まれるか分からない状況であったという司馬史観による解釈の元で組み立てられているという。
私は小説そのものを読んでいないので何とも判断できないが、一般論として「歴史」の真実とされることは起こった事実の解釈如何で180度変わってしまうことはままあると思っている。どういう事実を歴史解釈に取り入れるのか、そしてどういう立場でそれを解釈するのかで本当に恐ろしいほどの違いが生まれる。それを言うと不可知論になってしまいそうだが、そうなることの危険性を知った上で、批判的に歴史ものを見ていかなければならないと思っている。やっかいなことに書物に残る歴史のほとんどは、統治者側からの視点の歴史だから統治された民衆や侵略された民族の側からの資料はよほどマニアックでなければ知ることなどできない。権力側からの解釈はいつも負の歴史事実を正当化するために都合のよい史実をもとに都合のよい論理展開をする。だから、朝鮮独立のためといいながら朝鮮を侵略し、朝鮮を防衛するためやむを得ない戦争といいながら「日露戦争」を仕掛けていった。その後に続く、昭和の15年戦争、中国への侵略の時も全く同じ論法で時の政府は日本国民を戦争へと駆り立てていった。見事なまでの「大衆操作」。
そして、多くの日本人は、「戦争への道」を自ら選択していったことは周知の事実。
今年は韓国併合100年だが、いまだに続く「大衆操作」の一つが「坂の上の雲」ブームなのかも知れない。
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