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最終日、議員発議で提出した「障害者自立支援法」の廃止及び「障害者権利条約」の理念に基づく新法制定を求める意見書が賛成多数で採択された。
今回要求に盛り込んだ内容はすでに長妻厚生労働大臣が「障がい者制度改革推進本部」を設置して推進していく旨が報道されているので、反対はないだろうと思ったが、意外なことに民主党員も含んでいる会派が反対していた。地方と国のねじれ?
 要求項目は5点に絞った。
1, 新法の策定過程では「障害者権利条約」の理念を基本都市、当事者参加を明確に位置づけること
2, 現法「障害者自立支援法」の廃止を前提とした「一部改正」特に応益負担の廃止、事業所に対する月額報酬制度の実施
3, 福祉行政と労働行政の連携による就労支援
4, 3障がいの統合はそのままにさらに対象者の拡大
5, 地域間格差をなくし国の財政負担の明確化とより手厚くサービスをしているところには補助を(少なくとも上乗せサービスを引き下げるようなことはしてはいけない)
という内容だ。
すでに、「自立支援法」から「総合福祉法」への道筋についてかなり詳細になりつつあるが、今後は、単に福祉サービスの充実ではなく「権利擁護」の視点「差別禁止」の具体的で実効性のある法律の制定、教育分野でのインクルーシブへの転換、つまり「分離別学」を基本とする現状の学校教育法の改正も視野に入れた総合的な転換が求めていきたい。

 新政権になり、75歳という年齢で区切った後期高齢者医療制度の廃止が決まった。そこまでは良かったが、では今後、国民皆保険制度をどう建て直していくのか全く先行きが不透明。やめるなら、今ここですっぱりやめたら方がいいと思うが、そうならないのは、この悪名高い医療制度が、単に後期高齢者を対象としただけの制度変更ではなかったからだ。

 後期高齢者医療制度開始と同時に、廃止されたのが老人保健医療制度、そして退職者医療制度だ。これまで、退職したら国保へ移っていた方達は前期高齢者医療という新たな枠組みの中で、64歳までの間に入っていた国保や各種社会保険の中から人数で按分された前期高齢者納付金と、負担金で調整するシステムになった。 同時に、後期高齢者医療を支える支援金も按分されて支払うシステムだ。
 さらに特定健診や特定保健指導というこれまで公費での保健事業としていた住民健診も医療保険制度の中に再編された。ちょうど介護保険制度の導入によってそれまで市町村の高齢者福祉の仕事とされていた事業が、半分は保険料負担となる介護保険の地域支援事業に組み換えられていったことと同じだ。

 後期高齢者医療制度は、国保や健保組合などの社会保険全体を組み換えて、これまでの国民皆保険制度の在り方を根底から変えていこうとしたシステムだった。10年以上もかけて自民公明などのかつての与党サイドの厚労省官僚が周到に準備して作ったものだから。
その中にもられた理念は「医療の自己責任」であり病気治療に対しての応益負担の徹底である。
 支払い能力のないものは治療を受ける権利がないということだ。

 このあからさまな差別医療の方向性が国民に見抜かれたために、自公政権は、制度発足前から各種の軽減策、激変緩和策を乱発して、制度が定着するまでは不満を封じ込めようとした。このおかげで、ますます制度は複雑でわかりにくく担当者すら制度全体の概要やそこから生じる課題について体系的に捉えられていない。自分の守備範囲を間違いなくこなすだけで精一杯というのが本音なのだ。

 「この制度は早く廃止したほうがいい」と担当課に話すと「せっかく定着し掛けてきたのにまた制度変更では困る。窓口への苦情も今はまったくないのだから」というなんとも情けない答えしか繰り返さない。制度導入時にわき起こった不満の声が一端収束しているのは莫大な交付金を制度の円滑運用の支援金として国が税金を流し込んだからだ。一方で、20年度の決算を見ると、相当額の余剰金が生まれている。これは、後期高齢者の医療給付費が予想外に少なかったからだと説明している。医療給付費の見込み違いはなぜ生じたのか?別に対象人口に変化があったはずもなく、75歳以上のかたが急に健康になったはずもない。つまり、受診控えではないのか?
 この受診控えこそ、後期高齢者医療制度の大きな狙いだった。75歳以上のかたには多額の医療給付はつぎ込ませないという診療報酬上のインセンティブも組み込まれていたからだ。

 この制度のもつ矛盾や課題を当事者の立場からきちんと検証することが必要だ。そのためには、住民と直接対応している市町村担当課が、制度によって生じたひずみを指摘し制度廃止後の方向性を提案することが必要ではないかと思う。これこそが、住民本位の真の意味で地方分権と言えないだろうか?

 4月から、第4期の介護計画がスタートする。
 介護保険料が、現行基準月額3711円のところ3850円に引き上げられ、所得に応じた多段階区分になる。「介護の社会化」というキャッチフレーズに乗せられたのかどうかわからないが、介護保険制度の創設を手放しで喜んだ市民団体は、このことを今どう評価しているのか聞いてみたい。

 介護保険はサービスを使うほどに負担があがる。できた当初からこの仕組みがもっている根本的な矛盾だ。予め、使える枠組みが決められて、使う人たちが増え続けるとどうなるのか?分かり切ったことだ。使わせない。できるだけ使わせないように始めから仕組んでおくことが制度を維持する大前提なのだ。

 この第4期計画で、一番重要な問題は、保険料の値上げ以上に「認定方法」の基準の変化ではないか?と考えている。いかに使わせないかということだ。

 ところが、このことについて、行政側からは何の説明もない。
介護保険サービスを受けるための要介護認定という最も大事な部分、サービスの供給量や内容に関わる基礎部分について誰も何も触れていない中で第4期計画は粛々と作成されていった。

 介護保険制度の手法は、その後、障害者自立支援法でも使われた。負担と給付の関係、応益負担という考え方、あるいは自己責任論。自治体の行財政改革や公共サービスの民営化と連動している。

 もともとアメリカの民間医療保険の手法を取り入れたものという節もある。アメリカの民間医療保険制度は患者を選別し医療サービスに上限をつける。金のある人は最高の医療がうけられるがない人は医療から排除されていく。金の切れ目が命の切れ目という制度。
 介護保険は、介護認定で選別しサービス支給の枠を決めて利用を制限する。それ以上のサービスを求める時、お金のある人は民間の高額なサービスを受け、ない人は我慢する、いやあきらめる。金の切れ目は支援の切れ目。

 福祉が公的な責任から民間の手に委ねられたとき、見事なまでに、金が流れる量に応じて福祉サービスの内容は多段階に区分けされていく。

 佐倉市は4月から、地域包括支援センターも5ヵ所の民間事業者へ委託されていく。市の経費を削減しつつよりきめ細かいサービスが供給できるというが、経費削減とサービスの向上というベクトルの向きが真逆なものを同時に実現することなどできるはずがないだろう。
 それとも佐倉市は、不可能を可能にする魔法の杖でも持っているのかなあ???




 

 今年の7月に発刊されたNHK取材班がまとめたドキュメント。
買ってから、いつかじっくりと読まなくてはと本棚においていた。
この休みに手にとって、改めてこの半年間の経済状況の激変ぶりを思った。

 私が議員になったのは2003年。経済のグローバル化が猛烈な勢いで進行していた最中。同時に小泉改革の中で「市場原理主義」「労働市場の規制緩和」「自己責任論」が席巻していた。
地方もその流れの中で、小さな自治体を求められ、経費削減と人件費切り下げが横行した。地方交付税も削られて、おそらく全国の9割近くの自治体は、厳しい財政状況に陥ったのではないか?
そのしわ寄せが、悉くより弱い層に襲いかかった。それが多くのワーキングプアを生み出していった背景だと思う。

 私は、この6年間、その流れに抗い続けた。「合併」に反対し、「指定管理者制度」に反対し「介護保険改正」に反対し「障害者自立支援法」に反対し「後期高齢者医療制度」に反対し・・・・。
人が人として大事にされる、誇りを持って生きられる社会になってほしいと願っての反対だった。
 でも、国の方向はアメリカ型金融資本主義に追随し、肥え太る一部の富裕層と多くの低所得層を次々と生み出した。自治体はといえば、分権社会といいながら、実質的な権限と財源は国に操られ、いいなりになることが安全パイという舵取りをしてきた。

ところが、今、世界的な金融恐慌に陥り、「新自由主義」の論理は破綻した。
この状況の中で過去には、持たざる国によるファシズムが戦争への道へ突き進んだ。

 気をつけなければならないのは、ファシズムは、決して「強面のスローガン」を掲げて登場はしていないということだ。まずは、弱者救済、あるいは今日的には環境問題かもしれない。かつてのイタリアのように一見すると「社会民主主義」とほとんど違いがない姿で民衆の支持を取る。
だからこそ政治は多元的であってほしいと思う。2大政党のどちらかが政権を取るのではなく、多極化した野党連合もしくは与党連合が、政治をコントロールする姿が望ましい。

 今、改めて、「ワーキングプア解決の道」を読んで、地方自治体の議員として自分ができることは何だろうと自問している。国政の動きは大事だ。大きな転換も国政の状況如何にかかっている。
でも、私は、そこにファシズムのにおいも感じ恐れている。
 そんな中、私は、もう一度、現場に立って、この社会の中で、一生懸命生きてでも、理不尽にも踏みつけられている人たちの声を変革への願いを議会に届けられる活動にエネルギーを注ぎたいと思っている。多様な生き方、多様な考え方を尊重する多極化した政治状況を求めたいと思っている。

 先週から咳が止まらず、先日受診した病院で「肺炎」と診断された。ランニングのおかげで基礎体力があるせいか寝込むことはないが、微熱と咳がつづき自宅療養・・・。まとまってゆっくりとできたので、2冊の本を一気に読んでしまった。
 非常に感銘を受けた。こんな首長がいたのかと・・・。地方自治の王道をいくというか、憲法の基本的人権を小さな村で実践した希有な村長が実在していたことを知った。
 岩手県沢内村人口わずか5000人程度の豪雪地帯の貧村。乳児死亡率が極めて高く、老人の自殺者も多かったこの村に、「生命行政」を公約しそのために自らの命を削って奮闘した深沢まさ雄氏の生涯を描いた「村長ありき」と村長と共に沢内村の地域医療を支えた医師や保健師の手記をまとめた「沢内村奮戦記」の2冊だ。

書かれた時期が1983年ということなのでもう25年も前の話。それなのに地方自治のあり方、地域医療の問題に対しての問題意識とその視点は斬新だ。
ちょうど「老人医療制度」が創設され、窓口一割負担が国会で可決された直後に出版されている。
その論点は、今の「後期高齢者医療制度」の矛盾や問題点を批判する切り口と相通じる。

 小さな村でありながら「60歳以上の老人と乳児は10割の医療給付つまり無料。予防接種も無料、35歳以上の村民に人間ドッグに9割近くの補助・保健師と地域医療との連携など」予防のための地域医療制度に力を入れ、乳児死亡率や老人の医療費が全国でトップクラスに低い。

 村長は生命行政とは何かについてこう語っていた。「人間に格差があってはならないのです。人間の生命や健康は、人間の尊厳の根本であってそれに格差が付けられることは説対に許されない。私は国民の生命や健康に関することは教育問題とあわせて国の責任で管理すべきだという考えです。今すぐそれが叶わないのであればせめいこの村だけは村の責任で村民の生命と健康を守りたい・・・」
10割給付は条例違反だという県の指導があったとき
「これをやって裁判されるなら受けて立ちましょう。憲法に照らして私は絶対に負けない。医師会が行政訴訟を起こしても引っ込まない。そもそも税金を基準以上に高くすることは違法であっても自治体の事情によって住民のために安くすることの何処が悪いんだ。これは自治体の自由でしょう。限界を超さない限りにおいては骨かといえども拘束すべきものじゃない。本来国がやるべきものをやっていない。だから沢内はやるんだ。国は後から必ずついてくる。」
この気骨と信念と情熱に脱帽。

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