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 地震が起きてからの20日間、とてもブログを更新する気持ちになれませんでした。
言葉にならないのです。そして、今も何をどう書いていいのか分からない。
はじめの3日間は佐倉も断水や道路の亀裂や建物の倒壊などの被害があり、議会中だったこともあって、議会事務局を通して、あるいは直接担当課に出向いて、特に高齢者・障がい者へのきめ細かな対応をお願いしました。
 特に計画停電に対しては在宅の人工呼吸器使用者に対しての対応が心配で、その把握とフォローをお願いしました。
続く原発事故、そして被災者への支援、佐倉市は遅まきながら被災者受け入れを表明しましたが、その情報が当初、現地に届いていませんでした。千葉県や全国知事会、朝日新聞社、福島県の災害対策本部、福島ラジオ等関係機関に佐倉の情報を提供しました。
 
 市内でもガソリン不足が顕著で、私は徒歩か自転車で移動しました。
原発事故は、時々刻々と事態は悪い方へ進んでいきました。
外国メディアがこの事態を深刻に受け止め、外資系企業の関係者は、家族共々関東圏からも避難していきました。
 そんな状況が今も続いています。
放射性物質は、空を大地を海を汚染し続けています。
この事態が続けば東北関東近県の農作物や海産物は壊滅状態です。いえ、私たちに事実が伝えられていないだけで既に取り返しのつかない状態になっているのかも知れません。
 原発はパンドラの箱でした。
今、東北関東圏にすむ子どもたちが日々被爆しています。「直ちに健康への影響はない」と国からお墨付きをもらった「専門家」が語ります。「直ちに」ではなくても「確実に」高い確率をもって子どもたちが放射能が原因で癌や白血病を引き起こすことは否定できないでしょう。なんと取り返しのつかない事態を招いてしまったのかと思います。
 
佐倉市内の各所で配布されている議会ウオッチングの波紋が議会内で大きく広がっている。市民の中からも、その評価について聞かれることがあるが、私は「それは特定のグループの判断で客観的かどうかはわからない。鵜呑みにしないで。」と答えている。議会内では、これが違法性があるかどうかも含めて取り上げられることになっている。
私は、あきらかな法的違反があるのかどうかの判断は専門家に任せたいと思う。仮に選挙違反に関わる問題点があれば「選挙管理委員会」が職務として然るべき措置をすべきだ。しかし、法的な違反のありなしに拘わらず「人権」という観点から大きな問題があると思っている。
 
どんな評価においてもその基準が客観的かどうかの判断は難しい。評価とはある目的に対しての到達度だが、その目的自体が評価主体の価値判断にゆだねられている以上、何を評価指標にするかで結果が大きく異なる。
従って「議会ウオッチング」の評価において、どんな資料を使ったかそれが客観的かどうかという問題以前にあくまでも「一グループの価値判断によって行われた評価」に過ぎないという前提で考えるべきだと思っている。
 
私は、この件における一番の問題は、「一方的に評価され不特定多数に流布されたことによって傷つけられた人がいるという事実」だと思う。
これはあきらかに人権問題だ。
議員は確かに公人であり、その職業的特質から、常に市民から評価を受ける存在だ。プラスもマイナスも含めて。議員の宿命ともいえる。
しかし、深く人格を傷つける表現でその評価し、不特定多数の市民に一方的に流布した「ウオッチング」の方法は「言論の自由」をはき違えた傲慢さを感じる。
「法的な違反がない」から「言論表現は自由だ」と主張したとしても、その行為によって個人の「人権」を踏みにじる権利などないと思う。
 
現在の30人の議員はそれぞれに選挙をへて市民の信託を受けて議会にいる。それぞれの主張も、よって立つ背景も行動の仕方も違って当たり前だ。
議会の一般質問や質問回数は一つの指標でしかない。もちろん厳然たる事実の質問回数や発言回数の公表であれば問題はないが、そこに主観的コメントが加えられた時に問題が生まれる。議員個々人の活動のフィールドは多岐にわたりそれをすべて網羅することは到底できないし何を持ってその活動を良しとするかはやはり評価する側の価値判断による。
 
今回、一方的な評価を不特定多数に流布した行為が議員に対しての人権侵害、あるいは議会そのものに対しての品位を貶めることにもなりかねない。だから議会として抗議をする必要はあると思う。しかし、同時に、危惧することがある。この件が引き金になって市民の自由な言論活動自体を封じ込めるような強圧的な方針がとられかねないことだ。それだけはどうしても避けたい。市民が議会へ監視活動をすることは市民の当然の権利だ。監視をしチェックをし、意見表明することで議会は変わる。市民からのチェックは二元代表制を正常に機能させる大前提だからその動きを止めるようなことになってはならない。
 
また、この議会内で私がこのグループと関わりがあるかのような発言をする議員も出てきている。全く、事実無根であり根拠のないもので、深く私の「人権」を踏みにじるものだ。
 
このグループが投げかけた波紋は大きい。確かにこの議会ウオッチングで市政に関心が高まった。その効果は、今回40名を超える立候補者の増加として議会に新しい風が吹くことを予感させる。しかし、同時にその結果が市民の言論を押さえるような動きへ、「議会改革」とは逆の方向に進みかねない状況を生み出していること、あるいは私も含めて個人攻撃の材料にされかねない危険性も現実に起きている。
 
  2010年の終わりの日に君の事を思いながらブログを書きます。
1221日の早朝、自転車で出勤途中にスピード違反の車にはねとばされて君はあっけなく逝ってしまった。パティシェとして独り立ちをする直前の痛ましすぎる最後。
昨日、君の住んでいたアパートを君の母と片付けていたときに目に入った大きなスーツケースが痛々しく思えたよ。フランス語のテキストはスーツケースの横におかれていたね。来年には行く準備が整っていたのに。なぜこんな最後になるの?理不尽さに胸が苦しいよ。君の母親はなんて気丈な人なのだろう。私なら、心が砕けてしまうかも知れない。泣き叫んでもいいのに、静かに涙を流しているだけ。
君の最後の場所に警察官と立ち会った。君の職場の人が手向けた花がおかれていた。
一瞬の出来事だったんだね。でも、10メートルも跳ね上げられるなんて。
これから始まる裁判でなぜこんな事故が起きたのか明らかにしようと思うよ。それが突然命を奪われた君と君を愛していた母へ私ができるせめてもの思い。
 
一流のパティシェをめざして切磋琢磨した仲間たちの姿が君の残したアルバムの中にたくさんの笑顔と共に残されていたね。
「何でも一生懸命で、いつも自分の夢に向かって突き進むすばらしい子だった」「休むことを知らないみたいに頼まれたら何でも引き受けて、みんなに好かれる子だった」って。周りの人は口々に君のことを語っていたよ。
でも君は一番大事な順番を飛び越えちゃったんだよ。
親より先に逝っちゃいけないのに・・・。
なんで・・・。そんなに生き急いだの?
 
毎日ニュースで流れる3人称の死。理不尽でひどいと憤ることはあっても、今、この場で経験した2人称の死は、頭の中の論理を超えて心の中に渦巻く痛みと喪失感に打ちのめされる。
 
「命」について本当に考えた。「死」が突然何の前触れもなくやってくることを改めて思った。そして同時に、今日、一年の締めくくりの日に、私の大事な子どもたちや家族と共に迎えられることに心から感謝したいと思った。君が教えてくれたことは、「今を大事に生きなさい。」ということなのかも知れないね。
 
私にとって大切な人、大切なことを2011年は守っていくよ。
人は皆かけがえのない大切な人のために生きている。
だからこそ、すべての人の命がかけがえのないものなんだよね。
27歳で逝った君は、50歳を過ぎた私に改めて生きていることへの感謝を教えてくれたのかもしれないね。
  自治基本条例(まちの憲法といわれる)を主権者である市民が内容を知らないまま、市民参加がなされないままに策定しようとする市長に「待った!」をかけるために請願署名を集めた。
113日、ユーカリが丘駅での街頭署名から始めわずか2週間程度でこれだけの署名を集めた市民の力はすごい!ユーカリが丘駅、西志津ふれあいセンター前、志津駅、臼井駅と4ヵ所での市民のリレートークもそれぞれ市政への熱い思いが込められていた。
 近所やサークル仲間など普段のつきあいの中で「自治基本条例って知ってる?」という会話から入っての署名活動も地道に行われた。
 
市政に高い関心がある人だけが知っていて、あとは蚊帳の外という方法で従来は、計画も条例も作られてきた。個別具体的な問題に関わる条例であれば、関係者の意見を聞くことで事足りるかも知れない。しかし、「自治基本条例」はそれら各条例の上位にある「自治体の憲法」もしくは「最高法規」といわれるもの。
 
すべての市民とはあえて言わないが、少なくとも、条例の制定改廃に必要な直接請求における有権者の50分の1(佐倉市でいえば約3000人)は最低限度として市民の参加や市民の意見の吸い上げが必要ではないのか?もちろんそれより多ければさらにいい。
ちなみに、今回策定に関わって意見を寄せた市民は69件。50分の1どころか0.05%という結果。さらに言えば先に策定した流山市は約3千数百人の参加と3年半の時間をかけている。この差は何か?
 
原因ははっきりしている。強引に市長の任期内に策定しようとしたからだ。
自分のマニフェスト実現のために市政を利用しないでもらいたい。
確かに4年前、市民は現市長に代表権限を与えたが、それは白紙委任とは違う。
何でも自分の思い通りにことを動かす権限を付与したのではない。
 
905名の署名は代表権限の間違った使い方に対して異議申し立てをしている。
中には大きな勘違いをしている議員がいて、「何でも市民の意見を聞けと言うのなら議会はいらなくなる」と宣う。つまり、議会に任せろと。
主権者である市民は、代表権限を4年に一度の選挙によって、行政執行は市長にその行政の監視を議会に負託したが、同時にその権限が正しく使われているのかを監視コントロールをする権限を持っている。双方に負託したからお任せお終いではない。
 
これが地方自治における「住民自治」の原則だ。そして、自治基本条例の制定は、その「住民自治」をいかに強化するのか具体的な仕組み作りを明記し、市長と議会に約束させるためにある。コントロールのための意見反映を2元代表制の否定だと言いつのり、論理のすり替えをして黙らせようとするから困ったものだ。さて、いよいよ11月議会が来週から始まる。905名の思いが届く議会なのか?試される時がきた。
 私はこれまで、市の審議会、懇話会、あるいは○○計画推進会議など数多く傍聴をしてきました。その中でいつも疑問を感じていることは参加している委員自身が自分の役割を全く理解していないことでした。本来自分たちが策定主体であるにも関わらず、行政が提案した内容に対して「善きに計らえ」とお墨付きを与えるかもしくは「ご意見を申し上げる」だけの会になっています。
「答申は行政がつくるのではなく、参加している委員が作るもの」という立場を理解しない発言が多いわけです。
そして、この状況を市も市民も気づかないのか気づいていてもお互いにそれをよしとしているのか黙認していることです。
本来は「市はこの計画策定において○○を重点に施策展開すべきだから私はこの文言を答申に入れたい」とか「これまでの計画で○○ができていないので、この次は××ように新たに変更すべきだと書き込みたい」という具合にそれぞれの立場から委員同士が議論し策定していく筋のものなのです。
ところが、今まで行政は、その答申の案文すら行政側が策定してきたのです。
おかしなことに自ら作った答申(市民からは若干のお小言か修正提案をもらって)を持って自らに今度の計画はこう作るべきです提言するという状況です。
その根本原因は「偽市民参加」であたかも市民の意見で作りましたと形だけで行政計画を作ってきたことにあるのだと思います。
 
「市民参加」という言葉がはやりですが、本当の「市民参加」とは多様な意見を持つ多様な立場の市民が時には全く的外れなことも含めてごちゃごちゃと話し合うことが必要ですから時間もエネルギーも膨大にかかるわけです。だから、形だけで「後はこっちでいいようにやりますから」ということをつまり「にせ市民参加」をずっと行政はしてきました。もちろん佐倉市に限らずの話ですが。
 

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