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週刊「新社会」のコラムに辛淑玉さんがエッセーを載せている。いつも「同感!同感!」と思いながら読んでいる。今回、身にしみて共感した記事があった。「責任は個人にある」という記事だ。
「組織に思考停止状態で従うことで自分も被害者だという態度を取り、加害の事実から逃げるのは、この社会の一貫して変わらないクセだ。」・・・「疑問点を問い合わせることすらしなかったことの罪が問われてこそ、初めて組織は変わることができるのだ。」と言い切っている。
先日、「後期高齢者医療広域連合議会」があった。
補正予算やそれに伴う条例改正の提案があった。内容は、「低所得者に対しての軽減措置を今年一年に限って延長する。その予算は今年は国が交付金でまかなう」というもの。私は「低所得層への軽減措置そのものは反対ではない。しかし、制度の根本的な矛盾を問い直さずして、対処療法の今年限りの軽減措置でお茶を濁し、結局は、制度の定着や既成事実に対してのあきらめを高齢者に持たせてしまうのは間違っている。始まって1年足らずで軽減を繰り返さなければならないような制度は最初の制度設計そのものがおかしいからだ。」と主張し議案に反対した。関連議案が6本あったのでほとんどの議案に反対の立場になる。
反対討論を行って自席に着こうとした時だ。
いきなり後ろから「反対ばかりするなら、北朝鮮へ行け」という暴言が放たれた。
一瞬、言葉を失ったが、その暴言を放った人物、某町選出議員の目を見ながら、「やめてください、そういう発言は。今の発言は非常にまずいですよ。」と言い返した。
これがまさしく「事なかれ、しゃんしゃん議会のなれの果ての発言」そしてそんな状況におそらく慣れ親しんできた議員のなれの果ての姿、加えて恐ろしいほどの差別発言をしていることにすら気づかない人権感覚の欠如。目を見据えての私の反発にその後は一言の暴言もなかったけど・・・。
組織に寄りかかり、疑問も反論もなく順応することをこの国では、どこの場でも求められている。
個人として思考し、発言し、行動することを場を壊し、組織を否定すると捉えているようだ。
それが本来議論を闘わすべき議会においてすら、順応を求める現実にどれだけの国民、市民が気づいているだろうか。
「責任は個人にある」辛さんのこの言葉の重みを私は身をもって感じている。
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