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しばらくブログをお休みしていました。28日に義母が亡くなり急遽北海道へ帰省していました。
お通夜・告別式を済ませ2日の夜に帰宅しました。ちょうど3日から議会が始まりましたので休まずにすみましたが、あわただしく移動し、葬儀を行い、時節柄なのか火葬場がものすごく込んでいて落ち着いて供養する間もなく帰ってきてしまいました。
義母の人生は半分が寝たきりの闘病生活でした。リュウマチを40歳過ぎから煩い、82歳で亡くなるまで、40年近く病院のベットか自宅のベットで過ごす日々でした。
それでも、一度も義母の口から人生を儚むような恨むような言葉はなく、むしろ「こんな身体で何にもできなくて悪いね」と訪ねるたびに言っていました。
10年数年前からすっかり動けなくなり、病院から出ることがかなわなくなりました。私はお見舞いに行った時に車いすで散歩に連れ出したり、身体を拭くだけしかできないのになんども「ありがとう」「ありがとう」を繰り返していました。私の息子達は、そんなおばあちゃんの車いすを押すことが大好きで、「今度は僕!」といいながら病院中を歩き回った時期もありました。
8年前に千葉へ越してからは、夏休みと冬休みの年に2回しか訪ねることができず、息子達(孫)の顔見せ程度の訪問しかできなくなりました。
自分のことをほとんど語らないのですが、戦争中に樺太にいたこと、ロシアの参戦で北海道へ命からがら逃げてきたこと、江別の煉瓦工場で働いていたこと、芦別の鉱山で子育てをしたこと、やがて炭坑が閉山になり、白老の大昭和製紙工場ができたときに一家で移り住み、ようやく落ち着いたと思ったら、リュウマチを発症し寝たきりの状態になったことなどをその時々に話してくれました。
戦中戦後の時代の変化に翻弄されてようやく落ち着いたら病にかかってと、私にはとても耐えられない人生を謙虚に静かに生きた人でした。
最後にお花をお棺に入れたときに、「本当に本当にお疲れ様でした」と思わず頭が下がりました。
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