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小さいころから「混合乱視」というひどい乱視で、 眼科の先生には大変珍しがられていた。 右0.5 左0.3 大して数字は悪くないのだけれども、物の輪郭が大したアバウトで、 夜景を見ると人の三倍はキレイに見える。 オトコを見る目がない!と、時々言われるのも、 ひょっとすると、生まれついた目の錯覚か・・? 東京生活で進んだドライアイに悩まされ、1日使い捨てコンタクトに切り替えたら、 1年なんと96,0000円! この出費、一生続くといくらになるのか? そこで、思い切って踏み切った。 4年悩んだレーシック手術! 1月の寒空の下、有楽町にある何故か品川という名のクリニックへ、検査に行った。 新しいビルの14F、1フロアのだだっ広い検査室に、ものすごい人数の検査を受ける人々。 こんなにポピュラーなものに、4年も悩んだとは・・。 自分の気の小ささを実感した瞬間だった。 小学校から通った眼科には無かった事細かい視力検査や、 眼圧・角膜検査等々ざっと2時間。 最後に医師の問診は、いつものひとことから始まった。 ものすごい乱視ですねぇ。。。。 手術はできますが、乱視の手術は難しいから、術式は選べません。 視力回復まで1ヶ月かかると思ってください。 それから、術後、回復した視力が低下する可能性もあります。 術式が選べないって・・この目は選ぶ権利も無いのか。 選べないといって、高い術式になるのか?とおもいきや、 一番ポピュラーなものだった。 この目は、いつだって高くつく選択なのに、珍しい。 医師の脅しと思えるような診断に、決意がひるむことなく3日が過ぎ、 帰省ついでに8日間の有給を使って、健康診断バリに流れ作業のレーシック手術を受けた。 うちの営業担当、同じくレーシックに踏み切れない、気は小さいけど頑張り屋吉兆サンへ、 待ち時間に進捗状況をメールで送ると、私たちとっても仲良し?と思うほど、返信が早く おかげさまで、待機時間のドキドキが和らいだ。 手術室は、歯医者のレントゲン室のようで仰々しさは無く、 角膜の施術と、レーザー照射は別れていて、 あわせて15分程度の手術に医師の数は5〜6人と、その人数にホッとした。 目の手術なので、手術が常に見えているのか?と思ったけれど、そうではなく、 見えていたのは、最後の消毒の部分だけ。 手術中、かすかに見える緑の光を 見ててくださいね〜順調ですよ〜 と、言われ続け、 光、光、動いちゃダメ。動いちゃダメ。 頭のなかで言い続け、人生にこれほど必死に何かを見たことがあるか? と思うほど光を凝視して、手術は終了。 廊下を歩いているときには、すでにクリアな視界だった。 医学の進歩って、本当にすばらしい。。 そして次の日。 午前中に検診を受けると、両目ともに1.5 私はクリアな視界を、使い捨てコンタクト代1年半分で手に入れたのだ。 検査を終えた足で飛行機で帰省した私は、コンタクトいらずの開放感から、 術後1週間の禁酒をすっかり忘れ、久々に会う故郷の友達とシャンパンで酔っ払い、 充血した目がさらに充血し、禁酒に気がついた一瞬だけ動揺したものの、無事に回復。 手術の待合室でメル友と化した、気は小さいけど頑張り屋の営業担当 吉兆サンに、 手術の状況をコト細かく説明し、面白いほどビビる彼女にちょっと感謝しつつ、 30年ぶりの裸眼生活を満喫中でゴザイマス♪
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今日、転勤してきて以来、とっても頼りにしていた一人が退職する事となった。 彼女には夢があり、それを実現させるための第一歩ということで。 相談を受けたのは7月のある日。 夢のある人が大好きな私は、悲しいけれど反対はせず、 夢の一歩のメドがついたら会社に辞意を伝える事にした。 そして9月、彼女は最終選考まで残り、合格すれば10月中旬から勤務となるため、 私は退職の手続きを進めたが、一昨日不合格通知が届いたのだとか。 今のご時世、1社落ちたくらいでへこたれていては、やっていけない。 頑張れ〜!!と思う反面、ちょっと気がかりな事もある。 相談を受けたとき、彼女はご主人との不仲をこぼした。 不仲、というより、傲慢?という方が正しいのかもしれないが。 仕事の忙しさと、付き合いの広さを理由に、帰宅しない日が多く、 さらに、ご主人から妻として、女性としてダメ出しをされたのだとか。 寂しがりで従順な彼女は不満ながらも、それを理解しようとしながら、 帰宅不明なご主人を待つ孤独に負け、夜な夜な友達と飲みに行きつつ 子供をいつ作るべきか、などと、家族設計を考えていた。 う〜ん。。オバちゃんには解らない。 そんな状態で家族設計まで考える、彼女のその気持ち。 決してブスでもなければ、傲慢でもない、ちょっと新聞読んだ方がいいよ?程度の ごく普通の20代の彼女を、同級生の帰宅がまばらな夫がダメ出しをするとは、 人のご主人ながら、かなり疑問符である。 まぁ、あなたも結構出かけてる様だしねぇ〜。 まぁ、夫婦の事は、夫婦にしか解らないからねぇ〜。 話の最後はそれに尽きるが、その時ひとつだけ、彼女に強く言った。 それは、絶対に働く事を辞めてはいけない。 自分の経済力を失い行動範囲が狭くなれば、視点は今以上にご主人に向く。 その時、その生活に耐えられるのか?経済力は、行動や選択の幅を広げるもの。 心配ごとが多いうちは、仕事を辞めてはいけない。 と、話した2カ月後。 彼女は次の職が決まらないまま、退職となった。 まだ若いから、思う存分チャレンジしてほしい。と思う反面、 結婚という孤独に負けてしまうのでは。。。? オバちゃんは、ちょっと気がかりなのです。
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東京の人口は1200万人、札幌の人口は200万人強。 |
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ひと月の半分が渋谷勤務のこのごろ、日曜の朝センター街にあるパン屋サンで、 眠気覚ましに朝ご飯を食べながら外を眺めていると、目に飛び込んだ3人の若者に、 一気に眠気が覚めた。 それは。。 今では見かけなくなった「ヤマンバギャル」 お世辞にもキレイとは言えない、虹色ヘアの女子2人と、 何日お風呂に入ってないの?と聞きたくなる、ボサボサヘアの男子1人の ドリカムちっくなグループだった。 三十路半ば過ぎたオバちゃんには、理解出来ないカルチャーのひとつである。 どの時代も、流行のスタイルに固執し、それがスタイルとなって 後々まで存在するもある。 リーゼントに革ジャンのロックンロール。 ネルシャツにリュックのアキバ系。 黒ずくめのビジュアル系 フワフワブリブリのメイド系。 カルチャースタイルはいろいろあるが、ヤマンバギャルも、 歴史は浅いが、例外ではないようだ。 いやぁ〜、まだいたのねぁ〜!渋谷発、本家本元のヤマンバギャル。 この感動を、以前札幌で「室蘭やきとり、うずらの卵殻つき」を食べた 渋谷勤務の江戸っ子、エドさんにお伝えしてみたところ エド:「その男は、2人の間に居なかった?」 私;「あぁ、居たかも」 エド;「それね、センター街と掛けて“センターGUY”って言うんだよ」 私:「••••••?」 エド;「だから、男が真ん中に居るから、センターGUY」 私;「あぁ、ナルホド。オヤジギャグかと•••」 以来、センター街でセンターGUYにはお目にかかっていないものの、 ヤマンバギャルは、たびたびお見受けする。 そのスタイル、10年後、20年後、カルチャーとして存在するのだろうか? もし存在したなら、ヤマンバギャルはスタイルとして確立され 国会でキャラが立ちすぎる、時の総理大臣はセンター街で演説し、 虹色ヘアと、ボサボサヘアが暖かく迎えてくれる事だろう。
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