横浜生まれの家族の部屋

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思い出の部屋(ドイツ)

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ベルリンの壁

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イメージ 2

  東ベルリン側から撮影した壁です。

  壁に「EAST」と画かれているでしょう---。
  手前のフェンスに掲げられている白い十字架は何だと思います?

  当時、多くの人達がこの壁を乗り越え西ベルリンへ逃亡しようとしました。
  しかし成功した人は少なく、大方の人達が東ドイツ軍の兵士に見つかり射
 殺されたと云われています。

  この十字架はその人達を悼み掲げられた物です。
  個々の十字架に亡くなられた人の名前が書かれています。

  この壁には近づくことは出来ず、この写真もバスの中から撮影しました。
  社会主義国家に取り込まれた人々の悲劇です---。

  その後、旧ソ連をはじめ社会主義国家が崩壊していくなか、今日でも北朝
 鮮に見るように、国民に塗炭の苦しみを強いている社会主義国が存在するの
 です。

  つくづく、人類は愚かな生き物であることを痛感しています。

  もう一枚の写真は「菩提樹の下」と云う歌でお馴染みのウンタ−デリンデ
 ン通りにあるブランデンブルグ門です。

  “ウロウロしていると捕まりますよ”と云う警告を受けましたが、朝早く
 ホテルを抜け出し撮影した一枚です。

  あの時の緊張感は今でも忘れません。

歴史の証人

イメージ 1

  1989年6月に東ドイツに行き10日間程滞在しました。
  先ず、最初の難関が西ベルリンから東ベルリンに入る為の検問所です。

  バスで通過した訳ですが、全員のパスポ−トが回収され---。
  兵士の服装をした男性が2名バスに乗り込み検閲し---。
  外の建物の中からはバスの監視が続き---。

  およそ40分後に検問所を通過することができました。

  東ベルリン市内のホテルに一泊。
  市内は古い建物ばかりで余り印象に残る物はなし---。
  森鴎外が下宿していたアパ−トを見学(古ぼけた表札が残っていました)

  先人は日本の近代化を目指し、このような所で勉学に勤しんでいたのか---
 と、感慨しきり。

  他人から聞いた話ですが「西ベルリンの住民から見られることに配慮し、
 ベルリンの壁近くの建物は見栄え良くしてある」とのこと。
  云われてみれば、確かにそうでした。

  近くのレストランで夕食を摂ったのですが、何時まで経っても外が暗くな
 りません。そう、白夜なんですね、初体験でした。

  さて、1989年と云えば---。
  そうです、この年の11月にベルリンの壁が崩壊するわけです。
  家でベルリンの壁崩壊のニュ−スを見ながら感慨に浸っていました。

  写真左側の物はベルリンの壁の破片です。商社の人にお願いし手に入れま
 した(幅は15cmあります)

  写真右側の物は1990年にベルリンを訪問した友人のお土産です。
  プラスティクのケ−スに入っていて、観光客相手の土産店で売っていたそ
 うです。

  逞しい商魂に脱帽---。

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