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二浪したボクが大学を卒業する頃に、バブル経済が弾け始めた。
バブルが弾けて就職難と言われ始めたけど、今ほどヒドい状況ではなく。
しかしバブル期と比べたら、はるかに厳しい就職活動。というのが当時の環境だった。
今でも通用するとは思っていないが、就職活動には基本的な法則が存在する。
そう信じていたボクは、学校で誰よりも早く内定をもらった。
一番早い内々定は、ある大手印刷会社からで、これはGW前に出た。
GW明けには大手商社と専門商社から内定をいただき、
5月中旬には大手飲料水メーカーからも内定をいただいた。
そして遊び半分で受けた飲食の会社からも内定を受けた。
これは会社説明会に行けば、そこの商品を食べさせてもらえるかも、と思ったからだ。
「さて、どの会社に行くか?」
真剣に考え始めた時、ボクは相当悩んだ。
どれも業種が全然別だからだ。
つまり、ボクはただ闇雲に就職活動をしていただけだったのだ。
就職難といわれている時代。
ロクに勉強してこなかった自分。
将来の夢や進路を一切考えず、4年間を過ごしてきたツケ。
幸い就職活動には自信があった。
誰よりも早く内定を取っていたし、必勝法が分かっていたので。
「だったら、真剣に進路を考えよう。内定はその後に取ればいい」
そう思って、内定をいただいた全ての企業に断りの電話を入れることにした。
まず最初に断るのは、飲食会社だ。
そう思って本社に頭を下げに行ったら、そこで丸め込まれてしまった。
海千山千の人事部からすれば、青臭いガキを丸め込むことなんか、どうってことなかった。
そのためのマニュアルもきっとあったはずだ。
・・・問題はそこからだった。
ボクがこの飲食会社を選んだことを告げたら、大手商社が大学の就職課に猛抗議をしてきた。
「よりによって、あんな会社を選ぶとは。
もうおたくの大学から新卒枠を減らすことも視野に入れなければならない」
そう脅された就職課の先生は、それは凄まじい雷をボクに落とした。
「今からでも遅くはないから考えなおせ。お前のせいで、後輩にも迷惑をかけることになる」
困り果てたボクは、ゼミの教授に相談した。
ゼミの先生は大変温厚な先生だったんだけど、この時の怒り方といったらなかった。
ボクを引き連れて就職課に乗り込み、
「守らなければならないのは、どっちなんだ?会社か?それとも生徒か?」
と。あまりの剣幕に就職課の先生たちはタジタジだった。
就職課を出て、先生にお礼を言うと、先生は苦虫を潰したような顔をして、
「○○君、正直なところ、私も君の選択肢が賢明とは思えないよ。
みんなが就職したくても出来ない会社に内定を取れたのに。
あの商社のことはもう忘れていいけど、君が決めた就職先はもう一度検討したほうがいい」
胸にずしりと来た言葉だった。
しかしボクは先生の忠告には従わず、その飲食会社へ行くことを決めた。
どうしても行きたかったわけじゃない。むしろ卒業まで悩んだほどだ。
それでも「行く」と約束してしまった以上は・・・と思っていた。
それは「自分との約束」なんかじゃない。
自分を良い奴に仕立て上げたかった、社会に媚びていたからだ。
こんな自己顕示欲ではハッピーになれるわけがない、ということに、
この頃はまだ、そんなことに気づかずにいた。
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大学生の頃、家の前にちょっとオシャレな弁当屋ができた。
オーガニック系のおかずを扱う弁当屋で、店内は男が入りづらい感じの。
ところが客のほとんどがサラリーマン。
他の弁当屋のほうが、はるかに量が多いし値段も安いのに、
サラリーマンで溢れ返っていたのは、なかなか美人の店長がいたからだ。
歳の頃は30代で、サバサバした性格で、喋るのが上手い。しかも美人で色気ムンムン。
水商売のほうがピッタリなのに、その人がエプロンをしていて、
笑顔で惣菜のチョイスを一緒に考えてくれるアンバランスさがウケて、店は大繁盛だった。
今だったら、デレデレしながらこの店に出入りしていただろうけど、
大学生のボクは、水商売風の持ち上げられ方を楽しむという概念がなく、
だけど未知の危険な甘い世界に今、ちょこっとだけ足を踏み入れている感覚はあり、
弁当屋に弁当を買いに行ってるだけなのに、ガチガチに緊張して、逃げるように店を後にした。
これ以降、ボクは一度もこの店に入っていないが、
お袋がここの弁当が好きで、何度か夕飯としてここの弁当が家にあった。
この店がどのくらいの期間、存在したのかは詳細には覚えていない。
多分、1年も経たなかったと思う。
ただ、この店長がいなくなってからは、あっという間に閉店してしまったことだけは覚えている。
後になってから聞いた話だが、この店長はお客の男性と婚約したらしい。
だけどその男性客には妻子があった。
「奥さんと別れる」と約束したのに、結局その男性は家族を捨てられなかった。
近所の人たちに婚約宣言をしてしまった手前、居ずらくなって辞めてしまったという。
その後、この女性店長よりはるかに若いけど、愛想のない女性が店長になった。
すると男性客は寄りつかなくなり、店はあっという間に閉店してしまったという次第。
ボクらの町に、一瞬だけ巻き起こったオーガニック弁当ムーブメントは、
ちょっと猥雑な女性店長とともに過ぎ去っていった。
お店が繁盛するには、味もさることながら、接客によるところが大きい。
そんな基本的な事実を、この店の盛衰から学んだ気がします。
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子供の頃、ボクは大家族の中で育った。
お袋のイトコだったトシちゃんは、結婚していて近所に住んでいたけど、
奥さんと子供も一緒に、いつも夕飯をボクの家で食べていた。
もう一人、ヤッチャンというお袋のイトコもいて、この人はお店を閉店するまでいてくれたけど、
ボクはトシちゃんのほうが好きだった。
トシちゃんは、子供の扱いがとにかくうまく、
ボクはトシちゃんにいつもくっついて、かまってもらおうとしていた。
お昼の時間になると、ボクは家族のみんなに声をかける。
「トシちゃん、ヤッちゃん、お爺ちゃん・・・」
という風に、常にトシちゃんを最初に呼んでいた。
そんなトシちゃんは、ある日突然、ボクの前からいなくなった。
いなくなった当日のことは、なんとなく覚えている。
トミコ伯母さんが、「何も黙ってすることないのに・・・」とボヤいていた。
お袋は「常識が無い」とか言って、ブツブツ文句を言っている。
トシちゃんがいなくなってしまったので、みんなに声をかけるボクの仕事も必要なくなった。
高校生くらいになって、トシちゃんが突然いなくなった真相を聞いた。
トシちゃんは独立して、自分で店を開きたかったらしい。
それで爺ちゃんに内緒で、開店の準備を進め、メドが立ったので突然辞めていったという次第。
お店は横浜のほうで開いたという。
しかし経営は芳しくなく、ボクが高校生の時に店を閉めて、田舎に帰ってしまった。
そんなトシちゃんがボクが大学生の時「ひょっこりと店を訪ねてきた」という連絡を、
お袋からもらったので、急いで店に向かった。
何しろボクは、トシちゃんが大好きだったので。
しかし、久しぶりに会うトシちゃんは、
ボクと目をあまり合わせようとせず、妙によそよそしい。
聞けば、今はタクシーの運転手をしていて、たまたま長距離で東京に来たお客さんを乗せて、
これから田舎に帰るところだと聞いた。
ボクが話しかけても、トシちゃんは「ええ」とか「まあ」とか「そうです」とか。。。
おいおい、トシちゃん・・・オレにはそんな言葉を使わないでくれよ。
「しばらく見ないうちに、図体だけはデカくなったな」って言ってくれよ。
後から聞いた話では、トシちゃんは、爺ちゃんに謝りにきたそうだが、
爺ちゃんは別に怒っていなくて、ただ、ちょっと寂しかった、という話をしたという。
「爺ちゃんに負い目はあったとしても、オレは関係ないだろ、トシちゃん!」
後で聞いて、そう思った。
トシちゃんは、最後までよそよそしく、これ以後、ボクはトシちゃんと会っていない。
ボクが子供の頃、隣の舗装されていない砂利だらけの駐車場には、
毎週火曜と金曜に、八百屋さんと魚屋さんが車で来ていた。
この頃は、人もたくさんいたから、結構にぎわっていた。
中でもボクは八百屋さんが大好きで。
穏やかな人で口数は少ないのに、いつもボクに優しく声をかけてくれていた。
魚屋さんは18時になると帰っちゃうけど、八百屋さんは20時くらいまで駐車場にいた。
帰る前に、爺ちゃんの店に来て、流し台で顔を洗って帰っていく。
特別、この人と会話したわけじゃないけど、優しい雰囲気で大好きだった。
小学5年生の日曜日、野球から帰ってくると、なぜか八百屋さんが家にいた時がある。
ボクと同い年くらいの娘さんを二人連れて。
照れ屋だったボクは、全く話をすることができず、ずっと部屋に入りっ放しだった。
部屋にも聞こえてくる娘さんたちの声は、実に素直そうな明るい声で、
本当にお父さんである八百屋さんのことが大好き、って感じだった。
なぜ、八百屋さんがウチに来ていたのかは、今でも分からない。
高校生の時、何気に駐車場に目をやると、
あれだけ賑わっていた八百屋さんには閑古鳥が鳴いていた。
魚屋さんは、とっくに撤退していた。
それからしばらくして、八百屋さんも遂にこの地域から姿を消した。
最後の日、爺ちゃんの店でいつもより仰々しく、ウチの家族に挨拶する八百屋さんがいた。
ボクが大学生の時である。
「せいちゃんも元気でね」
昔のままの穏やかな、のんびりした声でボクに声をかけてくれたけど、
ボクは何と言っていいか分からず、頭をヒョコンと下げただけだった。
あの八百屋さんがどこから来ていたのか。
そしてその後、どこへ八百屋を開きに行ったのか。
団地の前とかで、八百屋さんのトラックが止まっている光景を見るたびに、
あの八百屋さんを思い出す。
ボクが大学生の時に、物心ついた頃からいたトシちゃんと八百屋さん。
トシちゃんは心理的に、八百屋さんは物理的に、それぞれどこかへ行ってしまった。
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14歳から36歳まで、
大晦日は I とパン屋の息子だったMパイと一緒に大晦日を過ごした。
恒例行事というものは、いかなる理由があろうとも実行されるもの。
他に選択肢はない。
続けるかどうかは、本人たちの意思次第。
誰の迷惑もかからない、ユルい恒例行事だ。 大学時代はMパイと一緒に、春休みと夏休みに I の家へ遊びに行くのが恒例で、
宿泊費のかからない I の家は、絶好の暇つぶしだった。
現役で大学に合格した I は、ボクたちより一足先に社会人になり、
群馬県の事業所で勤務していた。
日中、I が会社へ行っている間、観光やドライブ、冬には日帰りでスキーに行ったりして、
夜は、I が寝てからゲーム三昧というのが、遊びに行った時のルーティンだった。
この I の家には、たしか28歳くらいまで遊びに行った。
I が埼玉県に転勤になるまで続いたと思う。
一番つらかったのは、25歳の時に付き合っていた女性から、デートの誘いがあった時。
この時は付き合って間もないラブラブの時期だったんだけど、
恒例行事をキャンセルすることが出来ず。。。
これは友情を選んで恋愛を捨てたということじゃなく、
「先に決まっていた約束を反故にしない」という自分へのルールでもあった。
冠婚葬祭、仕事のトラブル以外では、約束は守ること。
果たせそうにないのなら、始めから約束しないこと。
自分との約束をも破る奴が、人との約束を守るわけがない。
数少ない自分へのルールで、最初に決めたルールがこれだった。
I とMパイと3人で会うのは、ゴールデンウィーク、お盆、そして大晦日と正月。
毎年、決まった時期に、よくずっと会い続けたと思う。
ゴールデンウィークとお盆と正月は、渋谷にあった東急文化会館で待ち合わせをして、
映画を観に行って、メシを食べて、本屋へ行って、飲み屋へ行く。
お盆はボクの家に集まり、レンタルビデオを見た後、年越し蕎麦を食べてから初詣に出かける。
Mパイは家に帰りたがらず「初日の出も見よう」といつも言ってきたが、
ボクはさっさと家に帰っていた。
まだ爺ちゃんもレイコ叔母さんも健在だったし、
家族と一緒に過ごすのが当たり前、というより、そうしたかったので、
初日の出まで付き合う気がなかったというわけだ。
あと、元旦の夜は、なぜか謙ちゃんと電話で声を交わすのも、恒例化していった。
いつも会話してんのに、元旦もバカ話をするのが楽しくて仕方なかった。
I とMパイの3人で行く大晦日は、まずMパイが結婚を機に脱落した。
結婚した年は、奥さんも一緒に参加したんだけど、
Mパイが「オレが奥さんに気を遣ってつまらないから」という理由で、以後不参加に。
I とそれからしばらく一緒に大晦日を過ごしたが、これも I の結婚と同時になくなった。
恒例化していたけど、さすがに「毎年楽しみ」ってわけでもなかったので、
とくに寂しいという感情はなかった。
というよりもむしろ、家族と一緒に正月を迎えることが、何より新鮮だったし、
大晦日恒例の格闘技をテレビで見たかったので、不思議と寂しさはなかった。
歳を重ねて環境が変われば、大事なものの順序も変わる。
過去の慣例に固執するほうがおかしいのだ。
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大学時代は、いろんなバイトを経験したが、
最も印象に残っているのが、小さなカラオケ屋でのバイトだった。
世はバブル全盛期。
1時間7000円も部屋代を取り、1曲歌うのに200円も取っていたので、
来る客のほとんどがサラリーマンかお店の経営者たちだった。
平日は客がほとんど来ない。金曜、土曜の稼ぎだけで店は回っていた。
ここでボクは、J高時代の友人・謙ちゃんは一緒にバイトをしていた。
謙ちゃんがボクの親友になったのは、この期間一緒にいたことが関係している。
フラれても、バイト先に行けば謙ちゃんがいる。謙ちゃんが失恋したら、ボクがバイト先にいる。
将来について、恋愛について、人生観について・・・
20代の前半、ほとんど客が来ないカラオケ屋で、毎晩ボクらは語り明かした。
謙ちゃんの夢は、ミュージシャンで生きていくこと。
高校時代からこの夢だけはブレずに、本当にメジャーデビューを果たした。
ボクは会社に入り、どんどん出世していったが、
いつも謙ちゃんに遅れをとっているというコンプレックスがあった。
子供の頃からの夢を本当に実現した謙ちゃんに対して、
いくら出世しても、いくら良い給料をもらっても、好きでやっている奴には敵わない。
会社を辞めて、次の転職が決まるまでの間は、短いほがいい。
長くなればなるほど、腰はどんどん重くなる。
新しい環境に飛び込むことが面倒になってくる。
そう感じ出したボクは、まだカラオケ屋でバイトしていた謙ちゃんに会いに、
いつも深夜、カラオケ屋へ遊びに行き、消え失せそうなモチベーションをなんとか保っていた。
このカラオケ屋は、短期間だったが悩める時期にボクを救ってくれた空間だ。
謙ちゃんだけではなく、このカラオケ屋にも感謝している。
バブル崩壊後、激安店がどんどん増えて、週末までガラガラになってしまい、
バイトの謙ちゃんだけで、この店を回していた空間があったからこそ、
ボクは救われたし、謙ちゃんとの友情も深まったから。
カラオケ屋は、謙ちゃんのメジャーデビューが決まるとほぼ同時に閉店した。
バカ騒ぎして、さんざん散らかした挙げ句、悪態を付く客は、近所のホテルマン。
もどしてしまう客は、失恋してやけ酒を飲む女性が多かった。
酔ってはしつこく絡んでくる中華料理屋の支配人。
毎週火曜、会社の帰りに3人で1時間半だけ歌って帰る銀行のOL。
気前がいいのは飲食店の社長だが、いつも何時間も延長するので社員が参っていた。
「夢をもたないとダメだ」と説教してくれたのは、ちょっとキザなテレビカメラマン。
日曜の夕方、家族で歌いに来るのは、ラーメン屋の主人。
巨乳の女部長は怖かったけど、「その気があるならウチの会社に来い」って言ってくれた。
客の残していった乾いた寿司を、謙ちゃんと無言で食べるのが楽しみだった。
重い看板を店内に入れる時、階段を登らなくてはならず、いつもスネに当たって青あざができた。
謙ちゃんと会うと、たまにこのカラオケ屋の話が出ることがある。
あれから20年が経った。
ボクも謙ちゃんもすっかりオヤジになったから、
あの頃のお客さんもかなり年齢を重ねて、いろんな人生を送っているんだろう。
ボクたちと違って、あのカラオケ屋に思い入れを持った客はいるわけがない。
店が無くなったら、違う店に行くだけの話だ。
だけどボクにとっては、バイト時代を振り返る上で忘れられない名脇役である。
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ボクは貿易のゼミに入り、ゼミ長となった。
というか、ジャンケンで負けまくり、止むを得ずゼミ長になってしまった。
ボクらのゼミは、そこそこみんなで活動した。
飲み会だけじゃなく、バーベキュー、ソフトボール大会への参加、春と夏のゼミ合宿、
週1回、学生たちだけで行うサブゼミなど。
ゼミ長だから、音頭は全部ボクが取る。
5、6人だけのゼミならまだしも、18人もいたら統制が大変だ。
何かイベントがある度にボクはイライラしていたけど、爆発しなかったのはナリジのおかげだ。
ナリジは副ゼミ長でもないのに、ホントによくボクをサポートしてくれた。
合宿先の下見や買い出し、一人当たりの予算の選定・・・
そういったものは、ほとんどナリジが主導で動いてくれた。
大手商社に入社したナリジは、バリバリのビジネスマンになって今も活躍している。
仕事大好き人間のナリジは、成功談も失敗談も目を輝かせながら話をする。
ボクが転職する際に営業を選ぼうと思ったのは、ナリジの話のおかげである。
地方から東京に出て来て下宿している学生は、少しは実家から仕送りをもらい、
後はバイトしてなんとか生活している。
しかし親の援助ゼロで、学費から生活費まで稼ぐ学生となると、一握りしかいない。 そんな勤労学生がゴトーだった。
夜、現場監督のバイトでお金を稼ぎ、朝、バイトの合間に食べる弁当を作ってから大学に来る。
休日はサッカーと合気道をやっていたゴトーは、過酷な家庭環境にいたにも関わらず、
穏やかなイケメンの青年だった。
実務面でボクをサポートしてくれたのがナリジなら、
精神面でサポートしてくれたのがゴトーだった。
ムードメーカーってわけじゃないのに、ゴトーがいると場が和む。
ゴトーが怒ることはまず無い。誰かと言い合いになる時も、穏やかな口調で諭すように喋る。
ゴトーがいてくれたおかげで、ボクはなんとかゼミ長をやってられた。
真面目で良い奴なんだけど、ボクと相性が悪かったのがヨシダだった。
ボクはツッコミや毒舌を、心を許している相手にしか使わない。
しかし、それさえも「悪」と思っていたのがヨシダだった。
「傷つけ合わないように、和気あいあいと楽しく」
それがヨシダのモットーだけど、ボクからすると「ヌルい」関係でしかない。
それでもゼミ運営という大義の前には、ボクらの感情なんか二の次だ。
ボクもヨシダも、そこは大人になって衝突を避けていた。
そんなヨシダに救われたことが1度だけある。
3年のゼミ合宿は2泊3日で、初日の夜から教授が一時帰宅しなければならなかった。
教授がいないことをいいことに、ボクらは朝までバカ騒ぎ。
翌2日の午前中はサブゼミをすることになっていたんだけど、
みんな部屋に入って寝始めた。
「おい、教授がいなくてもやろうぜ」
というボクが呼びかけても、みんな寝てしまい、怒ったボクは一人でゼミを開始した。
ナリジですら「中止」を訴えたけど、ボクは聞き入れず。
「教授がいないからサボるなんて、それじゃオレたち、クソじゃんか」
と、普段は授業にも出ていないくせに、偉そうな発言をするボクにナリジも呆れて、
部屋に入って寝てしまった。
一人でゼミを始めるボクを、哀れみのまなざしで見て、参加してくれたのがヨシダだった。
普段は気が合わないけど、この時ばかりは救われた。
副ゼミ長はサダという奴で、コイツもコミュニケーションの下手クソな奴だった。
スポーツ万能のサダはすぐに突っかかってきて、よくゼミの仲間と揉めていた。
ナリジとはとくに相性が悪く、いつも言い合いをしていた。
ほとんどがサダの屁理屈が原因で。
卒業旅行は、ボクを含めたこの5人でグアムに行くことになった。
ナリジとゴトーが金が無いので、彼らも行けるギリギリの海外としてグアムを選んだ。
ホテルに着いてすぐ、サダがナリジと言い合いになる。
その後、ヨシダとも言い合いになり、今度はボクに噛み付いてきやがった。
怒ったボクは翌日、みんなと別行動に。「こんな奴と一緒なんて、真っ平だね」と。
こういうところは、ボクはホントにガキだった。
クラブからホテルに戻ってきても、みんなと遊ばずすぐに就寝。
翌朝、サダが謝ってきても無視して、受付に行って一人部屋がないか交渉。
ゴトーが必死になって止めてくれたので、夕方から渋々みんなと行動することに。
海外旅行に100ドルしか持って来なかったナリジとゴトーに付き合うため、
夕飯は食パンだけで済ますことになったが、
ここでもサダがゴトーに「マーガリンを付け過ぎだ」とイチャモンを付けて、
言い合いになっていた。
ゼミの仲間とは年賀状のやりとりくらいしかない中、
唯一、年に一度くらい会っているのがサダというのも、過去を振り返ると面白い。
Uターン就職したサダは、東京出張があるといつも連絡をくれる。
今では娘二人を溺愛する温厚な男になっている。
ゼミのトラブルメーカーだったサダが、ここまで温厚な奴になるとは想像できないようで、
ゴトーもナリジも、ボクの話を信じてくれない。
「飲み会やろうよ」と、みんな言ってくるが、
「50歳になったらな」とボクは答えるようにしている。
それまで元気でいたら・・・の話だが。
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学部は違ったのに、仲が良かったのがS君だ。
いつも黒いスーツを着て、オールバックで、ノータイで、難しい本を小脇に抱えている。
そんなS君と知り合ったのは、J高時代の同級生で、20年以上部屋を掃除していないKの紹介。
KとS君の付き合いは長くなかったけど、ボクとS君は今でも仲が良い。
インテリで大学院まで行ったS君とボクは、趣味も性格も全然違うのだから、
相性っていうのはホントに面白い。
S君もほとんど学校には行かず、古本屋巡りをしていた。
毎日、何十軒の古本屋巡りを続けていたら、いつの間にか値付けをバイトでするようになった。
自分の欲しい本は50円くらいに設定して、自分で買う。
そうして本を増やしていったS君の家には、書庫が出来た。
今でもS君の家に行くと、必ずこの書庫に入れてもらう。何度来ても飽きないから。
全然知らない現役の学生が、「書庫の本を貸してほしい」と、連絡してくるという。
大学院に進んだS君は、途中で大学院を辞めることとなった。
教授の論文が、あまりに稚拙だったため、酷評して大げんかに発展したため。
「耳の痛い話を真摯に聞けない人間の論文なんか、ただのマスターベーション。
そんな奴に師事するようでは、オレは奴隷以下」
という捨て台詞を教授に吐いて、S君は大学を去っていった。
S君は、どんなに難しい哲学書や法学の話でも、
初心者のボクにも分かりやすく端的に説明してくれた。
自分に興味のある話を詳しく説明することは誰でも出来るが、
端的に説明することができないと、人は退屈してしまう。
これは彼から学んだテクニックだった。 S君はフランクな性格で、いろんな人とすぐに友だちになれる。
新聞配達の兄ちゃん、路上でアクセサリを売るイラン人、70歳の俳句の先生、
ファミレスで働く女子大生、中国人留学生、舞台作家・・・いろんなジャンルの友人が、
S君の家に遊びに来ては、みんなで酒盛りしている日も少なくない。
S君は今、環境音楽を作り、美術館や老人ホーム、映画のBGMなどを制作している。
ボクが大学時代の友人で唯一、コンスタントに連絡をとっている友人だ。
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大学の友人で最も親しかったのは、シューゾーという同級生だった。
シューゾーは、東北の港町出身で、家は民宿を経営していた。
口が悪いけど人懐っこくて、自分に自信がなくて根気もないけど、意外に短気。
そんな面倒くさい奴だったけど、ボクが最も気が合った友人がシューゾーだった。
3年になるとゼミが始まる。
ゼミの仲間はみんな良い奴らで、いつも一緒に行動したけど、
シューゾーと会えば、授業をサボっていつもシューゾーを連れ回した。
遠慮容赦なく、ボクにツッコミを入れてくるシューゾーが、ボクは大好きだった。
他のクラスメートの奴と出版社でバイトしていたシューゾーは、
天皇のように君臨する編集長に向かって、
「テメエみたいなのを井の中の蛙っていうんだよ!
オメエみたいな器の小さい野郎に命令されるなんて真っ平だね。
偉そうにしているけどな、お前も所詮、奴隷なんだよ、奴隷!
よく考えてものを言え、このボケ!」
と暴言を吐き捨てて、辞めたと聞いた。
優柔不断で自信がない。シューゾーは就職活動もロクにせず、
卒業ぎりぎりで飲食業界に就職が決まった。
「お前、今度は暴言を吐くなよ」
と、助言した。
4月から入社し、まだ1ヶ月も経たない頃、シューゾーから留守電が入っていた。
「ゴメン。オレ無理だったわ。実家に帰る。お前は頑張れよ、じゃあな」
それから1年半後、久しぶりにシューゾーから連絡が入った。
地元では就職先がなく、東京で転職先が見つかったという。
シューゾーが東京に来てくれたのは、ホントに嬉しかった。
大学時代、最も気が合った友人だったので。
しかしシューゾーは、またしてもわずか1年で辞めてしまった。
社長と専務が夫婦の会社で、ガミガミうるさい奥さん(専務)にキレて。
ケツをまくる際には、もちろん暴言を吐いて。
それからシューゾーは、しばらく東京にいた。
ある時「この日は空けておいてくれ」との連絡が入ったけど、理由を言わない。
シューゾーはパチンコで数十万も儲けたらしく、
ボクシングの辰吉の試合を見に連れて行ってくれた。
たまにシューゾーと会ったいたが、ある日、急に連絡が取れなくなった。
自宅に電話したら、すでに引き払っていて、今でもシューゾーの居場所は分からない。
シューゾーは長続きしない自分に対してコンプレックスを持っていた。
大学時代、変なところで突っ張ってしまうのもコンプレックスだったという。
そんな性格だったから、就職しているボクを含めた友人に対しても、
会うのが苦痛になっていったことが容易に想像できる。
おそらくもうシューゾーと会うことはないと思うけど、
ボクの中ではずっと大切な友人であり続ける。
友だちに社会的な地位を求めるという概念はない。
「オレはそんなクソ野郎じゃないぞ」って言いたいところだけど、
こればっかりは当人の捉え方だからしょうがない。
シューゾーは、きっと今でもあんあり変わらないだろう。
仕事が長続きせず、同僚とも揉め、フテ腐れてやけ酒を飲んで・・・
奥さんじゃないんだから、ボクはシューゾーに成長を求めない。
そんなダメな部分もひっくるめて友だちだと思っている。
会いたくなったら連絡をくれればいい。会いたくなければ、それでも構わない。
ボクの友だちに対するスタンスは、今でもこんな感じだ。
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社会人になってからはなくなったけど、ボクはヒドい人見知りだった。
小学校の時は大人に対して、高校と大学では新しい環境の友人に対して。
高校に入学した時も、みんなと打ち解けるのに2ヶ月以上かかった。
そこにいくまで、とてつもないストレスが伴う。
大学に入学してからも同じで、半年以上、全然打ち解けられなかった。
みんなそんなことを覚えていないのは、打ち解けてから濃い関係を築くからで、
それまでのボクの心中を話しても、誰も信じてくれようとしない。
まあ、そんなことはみんなの知ったことじゃないんで、どうでもいいことだけど。
大学生活は、別にどうってことないものだった。
大学に問題があったんじゃなく、ボクの姿勢の問題であったわけで。
クラスメートもサークルの仲間もゼミ仲間も、ほとんどが地方出身者だった。
みんな東京での生活に大いなる夢を抱いていたから、
そんな気負いもなく、普通に過ごすボクとしては感覚的なズレを感じていた。
価値観がイマイチ合わないし、勉強もする気がないボクは、大学にどんどん足が遠のき、
2年の時なんか数える程度しか学校に行かず、昼も夜もバイトを掛け持ちしていた。
それでも4年間、一度も単位を落とさなかったのは、
全然自慢できることではないんだけど、自他ともに認める要領の良さがあったから。
大学時代、英会話学校に勤める女性と付き合っていた。
この頃は年上の女性に憧れがあって。
「あなたはまだ子供で、友だちと遊んでいるほうが楽しいのよ」
フラれた時の言葉がこれだった。
彼女との時間を最優先していたつもりだったけど、
ボクが本当に楽しい時間は何なのかを見抜かれていた。
「よお〜。今、みんなで飲み会してんだよ。お前も出て来いよ」
こんな電話がかかってきたら、もうじっとしていられない。
謙ちゃんにバンナイにゴウにデクナミ。
行かないと、語り草になるような「名シーン」を見逃すことになる。
それでも行かないでデートを優先したんだけど、無理していることがバレバレで、
フラれてしまった。
情けない話をもう一つ書こう。
今度は一つ年下の女性と付き合うことになった。
この女性のことは、心底愛していたつもりだったが、呆れてモノも言えない行動を取ってしまった。
彼女の誕生日、この日は何よりも大切な日だと理解していたし、
ボクがそんな気持ちでいることを彼女も理解してくれていた。
結婚したい、と思った女性は今まで彼女しかいなかったのに、
ボクは猪木のデビュー30周年記念大会を見るため、横浜アリーナへ出かけてしまった。
しかもすごい豪雨の中を。
「試合が終わったら、すぐに彼女の家に行くんだ」
と思っていたのに、あまりに素晴らしい大会だったため、
その余韻に酔いしれて、すっぽかしてしまったのだ。
「いや、猪木はオレの子供の頃からのヒーローで・・・その人の30周年とあれば・・・」
なんて言い訳をするボクを見る彼女の目は、おそろしいほど冷たかった。
それ以降、彼女はボクと会ってくれず、どこかへ引っ越して行ってしまった。
まるでこの世の終わりであるかのように落ち込むボクを、
みんな笑って同情してくれなかった。
「でもオレは、お前のそういう間抜けなところ、好きだぜ(笑)」
なんて言って。
この頃は、謙ちゃんと一緒に深夜、カラオケルームでバイトしていて、
仕事をサボっては憂さ晴らしに歌ってばかりいたので、歌だけは上手くなってしまったが、
カラオケ屋に行くたびに、今でも彼女のことを思い出す。
ただ、今振り返ると、何も猪木の試合を観に行っただけでフラれたんではなく、
やはりバカな高校時代の野郎どもと遊ぶことを大事にしていたのも原因だったと思う。
彼らといるのが楽しかったのは、彼らが何よりも自分自身を愛していたから。
ナルシストではなく、自分にしか興味がないという。
それでいて生き方が下手で、いつも自爆ばっかりで、勝手に傷ついて、勝手に元気になって。
毎日そんなことを繰り返すことの素晴らしさ。
「人生って面白いなあ」とワクワクして、彼らに少しでも近づきたかった。
この彼女にフラれてからは、寂しさを紛らわすため、
毎週末はゴウの一人暮らし先に入り浸っていた。
高校時代はベビーフェースだったゴウは、二十歳を過ぎるとなかなかのイケメンになったが、
ガニ股で猫背で、ボクもビックリの服のチョイスをしていた。
当時、俳優を目指していたゴウは暇を持て余していた。
雀荘でバイトして、競馬ばかりやっているのに全然勝てなくて、
彼女が出来てはフラれまくってやけ酒を飲んで、警察のご厄介になることも何度かあった。
朝までゴウの家で飲み明かし、昼には近所の中華料理屋でメシを食べて・・・
しょーもない週末にしか見えないが、これが当時は楽しくて仕方がなかった。
ゴウの家に泊まったある朝、ボクは一人目を覚ました。
何気なく雑誌を手にとってページをめくっていたら、彼女へのラブレターが出て来た。
なんてことない文章だったけど、驚いたのは汚すぎる字だった。
「これを出すのかよ、コイツ・・・」
気持ち良さそうに寝ているゴウの顔をしばしば眺めてしまったが、
その彼女と数年後、ゴールインした。
ボクが大学にちゃんと行き始めたのは、この彼女にフラれてからだった。
そしてゼミが始まり、ようやく本腰を入れて勉強し始めた。
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二浪目は予備校を一つに限定せず、単発で受講するようにした。
予備校の先生の授業は、どれも高校や大学とは比べ物にならないほど面白かった。
みんな人気講師だけあって、教えるのが抜群に上手い人たちだった。
当時、神保町に研数学館という予備校があり、
現代文は柏崎先生という講師の授業を受けていた。
大学時代、ボクが無類の読書家になったのは、この柏崎先生のおかげだ。
授業中、文学の話になると目がランランと輝いて、実に楽しそうに話してくれる。
ボクも先生が言っていた本が読みたくて、片っ端から純文学を読み漁った。
英語は、駿台の伊藤和夫先生の参考書を読んで勉強した。
この先生の授業のおかげで、ボクの英語の偏差値は垂直的にあがった。
どうしても生で伊藤先生の授業を聞きたくて、夏期講習を受講した。
想像以上に、伊藤先生の説明は分かりやすく、まさに神業だった。
伊藤先生には感謝してもしきれない。
古文は代ゼミの土屋先生という講師の授業を受講した。
土屋先生は話術が素晴らしく、授業と関係の無い話を連発しまくっていた。
話が脱線することも多かったが、それでもイライラすることがなかったのは、
あまりにも話術が素晴らしかったからで、
土屋先生のテキストはどの教材よりも完璧だったため、
自宅で勉強するには申し分のないものだった。
日本史は、山川出版の教材を参考にした。
教科書、問題集、用語辞典をボロボロになるまで使い倒し、丸暗記した。
二浪目の受験間近、ボクはちょっとアブない奴になっていた。
さすがに今回ばかりは失敗は許されないし、三浪する勇気も気力もなかったから。
初めて本気で勉強したボクは、ナーバスを通り越して、ヤバい奴になっていた。
食事をする時間も、移動する時間も惜しかった。
だから移動や食事の際には、カセットテープに自分の声で問題集を吹き込んで、
それを電車の中や食事の最中に聞きながら、猛スピードでノートに書いて。。。 ただ面白いことに、ここまで勉強すると、まったく神頼みをしなくなった。
現役時代と一浪目の時は、全然勉強してこなかったから、神頼みをしまくっていたが、
二浪目の時は、神頼みする時間すら惜しかった。
そんな時間があれば、英単語の確認や日本史の確認をしているほうが落ち着いた。
トイレとお風呂以外は、参考書を持っているような生活だった。
ものすごいプレッシャーから解放されるのは、
泉谷しげるの「春夏秋冬」のサビを、お風呂で歌う時。
「今日ですべてが終わるさ・・・♫」って、自分を励ましていた。
受験とは不思議なもので、安全パイと思われた大学は不合格で、
冒険して受験した大学が合格した。
入学した大学の受験発表の時は、おかしくなりそうな気持ちを抑えて、
会場近くの本屋の中をうろついて時間を潰していた。
家にいるのも落ち着かず、ゲーセンに行く気にもならず、
書店で本を読んでいることで、自分を押さえつけていた。
合格者の発表時間になり、期待ではなく不安な気持ちに支配され、会場へ。
自分の受験番号があるのが信じられなくて、何度も確認した。
電車の改札をくぐる前にもう一度、会場に行って確認したほどだ。
嬉しいというより、信じられない。そんな感覚だった。
家に着いて、しばらくぼーっとしていた。
この前まで使っていたボロボロの山川出版の問題集を手に取る。
「これから1日が経過するたびに、覚えたものを忘れていくんだろうな」
そう思うと、開放感より寂しさがこみ上げてきた。
合格した翌日は、I と一緒に秋葉原へ出かけた。
ずっと買いたかったファミコンを買うために。
高校時代、ボクは「大学に合格するまでファミコンは買わない」と決めていた。
基本的にボクは、人との約束も破らないほうだけど、自分との約束だけは絶対守る。
どんなことがあっても、自分だけは絶対に裏切ってはならない、というのを信条にしている。
だから、今でも安易に禁煙なんか宣言しないのだ。
買ったその日から、ボクはまるで取り憑かれたかのように、寝ないでゲームに没頭した。
そんなある日、サラリーとフクちゃんという高校時代の友人が訪ねてきた。
二人とも、大学に受かったことを母校に報告した帰りだったのだが、
ロクに会話した記憶がない。
ボクの頭の中は、彼らと別れてから再開するゲームのことで一杯だったからだ。
お風呂大好きのボクが浴槽に入らず、シャワーだけで済ませ、
無精ヒゲは伸び放題で、ゲームに没頭しまくった。
夢の中にまでゲームの画面が出て来るほどで、
受験からこの大学入学までの1ヶ月は、すごい落差のある生活を送っていたが、
どっちもインドアな生活だった。
大学に入ってしばらくしてから、
予備校時代にお世話になって講師の先生へ、お礼に伺った。
マンツーマンで話すのは、これが初めてだったが、みんな笑顔で喜んでくれた。
研数学館は既になくなり、伊藤先生はご逝去され、土屋先生は大学の教授になったという。
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