桜田少年追憶記

学生時代までの自伝です。いよいよラストスパートです。

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社会人になってからはなくなったけど、ボクはヒドい人見知りだった。
小学校の時は大人に対して、高校と大学では新しい環境の友人に対して。

高校に入学した時も、みんなと打ち解けるのに2ヶ月以上かかった。
そこにいくまで、とてつもないストレスが伴う。
大学に入学してからも同じで、半年以上、全然打ち解けられなかった。

みんなそんなことを覚えていないのは、打ち解けてから濃い関係を築くからで、
それまでのボクの心中を話しても、誰も信じてくれようとしない。
まあ、そんなことはみんなの知ったことじゃないんで、どうでもいいことだけど。

大学生活は、別にどうってことないものだった。
大学に問題があったんじゃなく、ボクの姿勢の問題であったわけで。

クラスメートもサークルの仲間もゼミ仲間も、ほとんどが地方出身者だった。
みんな東京での生活に大いなる夢を抱いていたから、
そんな気負いもなく、普通に過ごすボクとしては感覚的なズレを感じていた。

価値観がイマイチ合わないし、勉強もする気がないボクは、大学にどんどん足が遠のき、
2年の時なんか数える程度しか学校に行かず、昼も夜もバイトを掛け持ちしていた。
それでも4年間、一度も単位を落とさなかったのは、
全然自慢できることではないんだけど、自他ともに認める要領の良さがあったから。

大学時代、英会話学校に勤める女性と付き合っていた。
この頃は年上の女性に憧れがあって。

「あなたはまだ子供で、友だちと遊んでいるほうが楽しいのよ」

フラれた時の言葉がこれだった。
彼女との時間を最優先していたつもりだったけど、
ボクが本当に楽しい時間は何なのかを見抜かれていた。

「よお〜。今、みんなで飲み会してんだよ。お前も出て来いよ」

こんな電話がかかってきたら、もうじっとしていられない。
謙ちゃんにバンナイにゴウにデクナミ。
行かないと、語り草になるような「名シーン」を見逃すことになる。
それでも行かないでデートを優先したんだけど、無理していることがバレバレで、
フラれてしまった。

情けない話をもう一つ書こう。
今度は一つ年下の女性と付き合うことになった。
この女性のことは、心底愛していたつもりだったが、呆れてモノも言えない行動を取ってしまった。

彼女の誕生日、この日は何よりも大切な日だと理解していたし、
ボクがそんな気持ちでいることを彼女も理解してくれていた。

結婚したい、と思った女性は今まで彼女しかいなかったのに、
ボクは猪木のデビュー30周年記念大会を見るため、横浜アリーナへ出かけてしまった。
しかもすごい豪雨の中を。

「試合が終わったら、すぐに彼女の家に行くんだ」

と思っていたのに、あまりに素晴らしい大会だったため、
その余韻に酔いしれて、すっぽかしてしまったのだ。

「いや、猪木はオレの子供の頃からのヒーローで・・・その人の30周年とあれば・・・」

なんて言い訳をするボクを見る彼女の目は、おそろしいほど冷たかった。
それ以降、彼女はボクと会ってくれず、どこかへ引っ越して行ってしまった。

まるでこの世の終わりであるかのように落ち込むボクを、
みんな笑って同情してくれなかった。

「でもオレは、お前のそういう間抜けなところ、好きだぜ(笑)」

なんて言って。
この頃は、謙ちゃんと一緒に深夜、カラオケルームでバイトしていて、
仕事をサボっては憂さ晴らしに歌ってばかりいたので、歌だけは上手くなってしまったが、
カラオケ屋に行くたびに、今でも彼女のことを思い出す。

ただ、今振り返ると、何も猪木の試合を観に行っただけでフラれたんではなく、
やはりバカな高校時代の野郎どもと遊ぶことを大事にしていたのも原因だったと思う。

彼らといるのが楽しかったのは、彼らが何よりも自分自身を愛していたから。
ナルシストではなく、自分にしか興味がないという。
それでいて生き方が下手で、いつも自爆ばっかりで、勝手に傷ついて、勝手に元気になって。
毎日そんなことを繰り返すことの素晴らしさ。
「人生って面白いなあ」とワクワクして、彼らに少しでも近づきたかった。

この彼女にフラれてからは、寂しさを紛らわすため、
毎週末はゴウの一人暮らし先に入り浸っていた。
高校時代はベビーフェースだったゴウは、二十歳を過ぎるとなかなかのイケメンになったが、
ガニ股で猫背で、ボクもビックリの服のチョイスをしていた。

当時、俳優を目指していたゴウは暇を持て余していた。
雀荘でバイトして、競馬ばかりやっているのに全然勝てなくて、
彼女が出来てはフラれまくってやけ酒を飲んで、警察のご厄介になることも何度かあった。
朝までゴウの家で飲み明かし、昼には近所の中華料理屋でメシを食べて・・・
しょーもない週末にしか見えないが、これが当時は楽しくて仕方がなかった。

ゴウの家に泊まったある朝、ボクは一人目を覚ました。
何気なく雑誌を手にとってページをめくっていたら、彼女へのラブレターが出て来た。
なんてことない文章だったけど、驚いたのは汚すぎる字だった。

「これを出すのかよ、コイツ・・・」

気持ち良さそうに寝ているゴウの顔をしばしば眺めてしまったが、
その彼女と数年後、ゴールインした。


ボクが大学にちゃんと行き始めたのは、この彼女にフラれてからだった。
そしてゼミが始まり、ようやく本腰を入れて勉強し始めた。

あぶない浪人生時代

二浪目は予備校を一つに限定せず、単発で受講するようにした。

予備校の先生の授業は、どれも高校や大学とは比べ物にならないほど面白かった。
みんな人気講師だけあって、教えるのが抜群に上手い人たちだった。

当時、神保町に研数学館という予備校があり、
現代文は柏崎先生という講師の授業を受けていた。

大学時代、ボクが無類の読書家になったのは、この柏崎先生のおかげだ。
授業中、文学の話になると目がランランと輝いて、実に楽しそうに話してくれる。
ボクも先生が言っていた本が読みたくて、片っ端から純文学を読み漁った。

英語は、駿台の伊藤和夫先生の参考書を読んで勉強した。
この先生の授業のおかげで、ボクの英語の偏差値は垂直的にあがった。
どうしても生で伊藤先生の授業を聞きたくて、夏期講習を受講した。
想像以上に、伊藤先生の説明は分かりやすく、まさに神業だった。
伊藤先生には感謝してもしきれない。

古文は代ゼミの土屋先生という講師の授業を受講した。
土屋先生は話術が素晴らしく、授業と関係の無い話を連発しまくっていた。
話が脱線することも多かったが、それでもイライラすることがなかったのは、
あまりにも話術が素晴らしかったからで、
土屋先生のテキストはどの教材よりも完璧だったため、
自宅で勉強するには申し分のないものだった。

日本史は、山川出版の教材を参考にした。
教科書、問題集、用語辞典をボロボロになるまで使い倒し、丸暗記した。


二浪目の受験間近、ボクはちょっとアブない奴になっていた。
さすがに今回ばかりは失敗は許されないし、三浪する勇気も気力もなかったから。
初めて本気で勉強したボクは、ナーバスを通り越して、ヤバい奴になっていた。

食事をする時間も、移動する時間も惜しかった。
だから移動や食事の際には、カセットテープに自分の声で問題集を吹き込んで、
それを電車の中や食事の最中に聞きながら、猛スピードでノートに書いて。。。

ただ面白いことに、ここまで勉強すると、まったく神頼みをしなくなった。
現役時代と一浪目の時は、全然勉強してこなかったから、神頼みをしまくっていたが、
二浪目の時は、神頼みする時間すら惜しかった。
そんな時間があれば、英単語の確認や日本史の確認をしているほうが落ち着いた。

トイレとお風呂以外は、参考書を持っているような生活だった。
ものすごいプレッシャーから解放されるのは、
泉谷しげるの「春夏秋冬」のサビを、お風呂で歌う時。
「今日ですべてが終わるさ・・・♫」って、自分を励ましていた。


受験とは不思議なもので、安全パイと思われた大学は不合格で、
冒険して受験した大学が合格した。

入学した大学の受験発表の時は、おかしくなりそうな気持ちを抑えて、
会場近くの本屋の中をうろついて時間を潰していた。
家にいるのも落ち着かず、ゲーセンに行く気にもならず、
書店で本を読んでいることで、自分を押さえつけていた。

合格者の発表時間になり、期待ではなく不安な気持ちに支配され、会場へ。
自分の受験番号があるのが信じられなくて、何度も確認した。
電車の改札をくぐる前にもう一度、会場に行って確認したほどだ。
嬉しいというより、信じられない。そんな感覚だった。

家に着いて、しばらくぼーっとしていた。
この前まで使っていたボロボロの山川出版の問題集を手に取る。

「これから1日が経過するたびに、覚えたものを忘れていくんだろうな」

そう思うと、開放感より寂しさがこみ上げてきた。


合格した翌日は、I と一緒に秋葉原へ出かけた。
ずっと買いたかったファミコンを買うために。

高校時代、ボクは「大学に合格するまでファミコンは買わない」と決めていた。

基本的にボクは、人との約束も破らないほうだけど、自分との約束だけは絶対守る。
どんなことがあっても、自分だけは絶対に裏切ってはならない、というのを信条にしている。
だから、今でも安易に禁煙なんか宣言しないのだ。

買ったその日から、ボクはまるで取り憑かれたかのように、寝ないでゲームに没頭した。
そんなある日、サラリーとフクちゃんという高校時代の友人が訪ねてきた。
二人とも、大学に受かったことを母校に報告した帰りだったのだが、
ロクに会話した記憶がない。
ボクの頭の中は、彼らと別れてから再開するゲームのことで一杯だったからだ。

お風呂大好きのボクが浴槽に入らず、シャワーだけで済ませ、
無精ヒゲは伸び放題で、ゲームに没頭しまくった。
夢の中にまでゲームの画面が出て来るほどで、
受験からこの大学入学までの1ヶ月は、すごい落差のある生活を送っていたが、
どっちもインドアな生活だった。

大学に入ってしばらくしてから、
予備校時代にお世話になって講師の先生へ、お礼に伺った。
マンツーマンで話すのは、これが初めてだったが、みんな笑顔で喜んでくれた。
研数学館は既になくなり、伊藤先生はご逝去され、土屋先生は大学の教授になったという。

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