桜田少年追憶記

学生時代までの自伝です。いよいよラストスパートです。

少年期(高学年)

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くだらないことだけは、やたらと覚えているんだけど、
卒業式の時のことは、あんまり良く覚えていない。

あれだけ楽しかった小学校時代なのに、
卒業に関してウェットな感情にならなかったのは、
ほとんどの同級生がそのまま同じ中学に進学するからか、
それとも何かイヤなことでもあったのか、
理由は覚えていないけど、とにかく早く卒業したくて仕方がなかった。
小学校を卒業しても、どうせ2週間後には中学で会う。

そんなことよりも、ボクにはもっと深刻な問題が発生していた。
それは、子供の頃からボクを可愛がってくれていた、
お袋の一番下の妹・ミコちゃんの結婚だ。
ミコちゃんの結婚式は、卒業式の2日後だった。





その人が初めてボクの家にやって来たのは、
六年生の正月の時だった。

見たこともない男性とミコちゃんが並んで座っている。
その日はハトコのター君も遊びに来ていて、
見慣れないこの男性に向かって「誰だ!」なんて叫んでいた。

その人とミコちゃんが結婚するって話は、卒業式の3週間前に聞いた。
ミコちゃんはこの時、31歳だった。




ボクに言う機会をみんな忘れていたんだろう。
10人の大家族の誰かが教えているとでも思ったんだろう。

それでもこの事実を知った時は、言葉を失った。
この頃は、この大家族の生活が永遠に続くものだと思っていたから。
ミコちゃんも照れていたんだろう。
ボクには一言も言わずに、普段どおりの生活を続けていた。

ミコちゃんがこの家からいなくなる。
その事実に、小学校の卒業式なんか吹っ飛んでしまった。

ミコちゃんがいなくなるのが悲しくて、
2日くらい布団の中で号泣していた。
泣くだけ泣いたら、後はすっきりして現実を受け入れた。






ミコちゃんの嫁ぎ先も、なかなかの大家族。
結婚式場で向こうの家族を見た時、
ボクと同い年くらいの子供が2人いて、
なんだか複雑な気分になってしまった。



結婚式で面白かったのは、
近所の叔母さんがミコちゃんのベールを、
後ろから雑巾を絞るようにねじりながら持って歩いていたこと。

ただ末っ子の娘の結婚を受け入れがたかったのか、
お爺ちゃんが不味そうに酒を飲んでいたのが印象的だった。





このおめでたい席に出席しなかった家族が二人いる。
それはボクの親父と、長女のトミコ叔母さんだ。

これはずっと後になって知ったことだが、
トミコ叔母さんは、末っ子の妹の結婚に猛反対だったという。
家族の揉め事の調停役で、お店の大黒柱だったトミコ叔母さん。

何で猛反対して、可愛がっていた妹の結婚式までも欠席したのか。



それは、義理のお父さんになるジジイが嫌いだったから。

ボクも会ったことがあるけど、
「何をもってして、ここまで威張れるんだろう」というくらいに
傲慢でわがままで人を見下す人だったから。

自分の思いどおりにならないと、人前だろうとお構いなしに
物凄い罵声を奥さんであるお婆さんにも浴びせるジジイで、
ちょっと信じられないけど、
このお婆さんは恐怖のあまりに失禁してしまうほど、
酷くしつこい怒り方をするような奴だったそうだ。



そんな親と2世帯住宅とはいえミコちゃんが同居することを
どうしても受け入れられなかったらしい。



挨拶をしても会釈一つしないでふん反り返るこのジジイを、
ボクの親父も大嫌いで、お婆さんの失禁の現場を見たことがあるそうだ。
泣き崩れるお婆さんを強引に立たせて、
罵詈雑言の限りを浴びせている光景を目撃したことがあるらしく、

「いくらミコちゃんの結婚でも、
アイツ(ジジイ)がもてはやされる場にオレは出ねえ」

と言って、麻雀に行ってしまった。



結局、トミコ叔母さんの不安は的中することになるんだけど、
それはまたの機会に。

ただ傲慢な父親とは180度異なり、ミコちゃんの結婚相手の男性は、
穏やかないい人でした。



こうしてボクの小学校時代は、ミコちゃんの結婚式とともに終了しました☆

小学校2年の時から入った野球チーム・エンゼルス。

今では集団行動が苦手なボクだけど、子供のときはそうでもなかったのは、
エンゼルスのおかげだと思っている。

そんなエンゼルスも、小学校卒業とともに終わりになるわけで・・・。



エンゼルスの最終日。その日は練習はなかった。
練習はないんだけど、いつものようにグラウンドに集まった。

監督は、適当に遊びまくるボクらをグラウンドの中央に呼んだ。

円になったボクら一人一人を、監督が真ん中に呼ぶ。

監督は一人一人に労いの声をかけてくれた後、
なんとトロフィーを全員にくれた。



トロフィーを貰えるのは、優勝したチームの最優秀選手だけ。

通常はエースか4番バッターのどちらかだ。

それはレギュラーになれないほとんどの少年たちにとって、
憧れる以前の代物。

先輩がもらったトロフィーをみんなが自分のもののように
持たせてもらって喜ぶ光景を、監督は覚えてくれていたのだ。

そんなトロフィーを監督は、
30人余りの少年たちに自腹でプレゼントしてくれた。

最後はみんなで野球帽を空に向かって投げて、
ボクのエンゼルスは終わった。



プレゼントはそれだけじゃなかった。

食べ放題の焼き肉屋へ30人余りの少年たちを連れて行ってくれた。

帰り道、チャリを漕ぐのも辛いくらい腹に肉を押し込んだ。




エンゼルスは中学部もあったけど、ほとんどの少年たちは部活をやる。

中学でもエンゼルスに入ったのは数人の少年たちだけで、
小学校卒業とともに野球も卒業することになった。





キャンプ、スキー合宿、アイススケート、相撲大会は
少年野球連盟のイベント。

それ以外にも登山、ハイキング、都内歩こう会、劇団への参加、
相撲部屋への体験入門、スポーツセンターでの自主トレ、

他のスポーツ協会が運営するバスケ大会、バレーボール大会への参加・・・



いろんな経験を監督はさせてくれた。



当時は荒んだ地域だった埠頭のグラウンドも、

高層ビルに囲まれた都心のグラウンドも、

大人になって訪れたときは、あまりの小ささにビックリしたもんだ。






エンゼルスを卒業しても監督は監督だから、今でも監督と呼んでいる。

その監督が半身不随になったのは、昨年のことだった。

虫の知らせだったのか、奥さんがトイレに起きると、
布団の上で寝ている監督がいつもと違う感じがした。

普段は絶対にしないのに、監督を揺すったら硬直していたという。
慌てて救急車を呼んだら、既に心肺停止状態。

なんとか一命は取り留めたけど、
監督の体は自由が利かない体になってしまった。
心筋梗塞だけでなく、水痘症も併発してしまったという。



ある徹夜した早朝、息子でボクの同級生のクマが、
監督を車椅子に乗せて押してあげている光景を目にした。

背中を丸め、無表情の監督を見て、ボクは隠れてしまった。

時刻は朝の5時頃だ。

きっと誰も歩いていない時間を見計らって、
監督は散歩していたんだと思ったら、隠れるしかなかった。



ボクはたまに監督の店に行く。
監督が店にいないのは分かっているんだけど。

奥さんに聞くと、やっぱりエンゼルス時代の仲間たちが、
週に何人も訪れてくるという。

カズは野球チームに入っている息子を連れて。

I は生まれた赤ちゃんの写真を持って。

ヒロキは店の新商品の菓子を「まず最初に監督に」と。

他にもいろんな学年の教え子が、お店に来るらしい。

誰も監督に会いたいなんて言わない。
奥さんや息子のクマの口からでいい。
「今日は○○が来たよ」って監督に伝えてもらえれば。
覚えていなくてもいいってことだ。

それだけ監督は、たくさんの経験をボクたちに与えてくれたんでね。

ボクらの小学校では、高学年になると管楽器を吹くことができた。

放課後、夕暮れの校舎には、
いつも誰かが練習する管楽器の音色が響いていた。



これは音楽のK先生が、
自腹で1学年分の管楽器を用意してくれたものだ。



運動会で6年生は、ブラスバンドを全員で演奏する。
6年生全員が鼓笛隊のユニフォームに着替えて演奏するのだ。

男子はトランペット、サックス、トロンボーン、
ユーフォニウムの管楽器、そして大太鼓に小太鼓。

女子はフルート、ホルン、クラリネット、小太鼓の他、
バトンを回す役の子もいた。

ボクらの小学校の運動会における、最大の見せ場といってよかった。




6年生が運動会でこれらの楽器を使い終わると、次は5年生の番だ。

卒業式の時、5年生がこれらの楽器を使って、
壮大に先輩たちを見送るのだ。





K先生は一応、希望を全員に聞く。

ボクはトランペットを選びたかったんだけど、
トランペットは背の低い男子が選ばれる。

中くらいの背の男子はサックス、

そこそこ背の高い男子はトロンボーン、

クラスで一番背の高い少年がユーフォニウム、

で、希望から漏れた奴は、
ラッパみたいな単調な管楽器になってしまう。

だから最初からトロンボーンを選ぶことにした。



トロンボーンにボクはハマりまくった。

まともに音楽の授業をしたことがなく、
K先生には反抗的な少年だったんだけど、
トロンボーンだけはかなり気合を入れて吹きまくっていた。

学校から持って帰って店の横で練習していると、
家路につくK先生が、ボクの後ろでニコニコしながら見ていた。



「先生、もっと難しいの、教えてよ!」

とお願いしても、K先生はまともに相手にしてくれず、

「そんなことよりお前・・・楽しそうだなあ!」

と言って、嬉しそうにボクの頭をグシャグシャに撫でた。



それまで音楽の授業の時は、ふざけてばかりいた問題児だったけど、
管楽器の練習が始まってからは、誰よりも先に上手く吹けるようになり、
他の生徒に訓練しているK先生の手が回らない時は、
ボクが他のトロンボーンを吹く同級生に教えてあげるようになった。



卒業式が近づくと、K先生の熱の入った訓練が毎日のように続いた。
男女関係なく、厳しい怒号が響くこともあり、
ショックを受けた女子が、毎回一人は泣く始末だった。

泣くけど「やめたい」という子は一人もいなかった。
上手く出来た時の快感を知っているから。

上手く演奏できた時の達成感は、笛やハーモニカの比じゃない。
音楽嫌いのボクが、ドハマりするくらいですから。



そうやって完璧になるまで特訓は続き、
実際の卒業式では、5年生がある意味で主役だった。
感動した6年生の父兄が泣きながら、
スタンディングオベーションを送ってくれる。



「じゃあ・・・運動会になったら、もっとスゴイことになるぞ!
運動会じゃ椅子に座っていない。行進までするんだから!
しかもユニフォームまで着て、ブラスバンドの帽子まで被ってさ!」




ところがボクらが6年生になった時、
ブラスバンドで行進をすることはなかった。

K先生の異動が決まってしまったからだ。

K先生とともに、管楽器も全て消えてしまった。


毎年、リレーの選手に選ばれていたボクだったけど、
この結果、完全にやる気を失った。

K先生の次に来た音楽の教師は、気難しい嫌味なジジイ。

しかもカワイイ女子だけは、特別扱いする最悪な奴だった。
ボクの音楽嫌いは、また元に戻ってしまった。



ところが卒業からしばらく経って、この教師から学んだことにきづいた。

それは掃除の仕方。

ホウキの掃き方から雑巾の拭き方まで、
神経質なこの教師は、身に染み込むまで徹底指導したのだ。


音楽では学ぶことはなかったけど、
掃除の仕方だけは役に立った次第です。。。

劇団員・Mさん

その劇団には、子役はいなかった。

大人でも難解な前衛的な芝居をする劇団だったけど、
全国に名が知れた超有名作家の劇団だった。

この劇団が夏の講演で、子供を大量に使うことになったそうで、
エンゼルスの監督に主宰者のマネージャーが相談に来て、
即ボクらが出演することが決まった次第。



芝居の稽古は10日間。

ボクらは全員名前のないエキストラみたいなものだったけど、
それぞれ出る場面と台詞が決まっていた。





副座長は、腰まで髪を伸ばした超ロンゲの人だった。

男のロンゲを見るのはこの時が初めてだったんで、かなり衝撃を受けた。

だけど子供の扱いの上手い人で、ボクらはみんなこの人になついていた。



劇団員は、とくに男性が強烈なインパクトのある人たちばかり。

女性の劇団員の人たちからは、初めて「大人の女」を見た思いだった。

ボクらの親や先生とは、全く違うタイプの人たちがそこにいた。

芝居に情熱をかけているから、ボクらに無関心な人が一番多かった。





そんな中でボクらの担当を任されたのは、
Mさんというペーペーの女性だった。



Mさんだけがエキストラにもなれず、裏方にもなれず、
ボクらの面倒を見る係。

子供好きだったのかどうかは分からない。

だけど、Mさんはホントによくしてくれた。



夏の暑い時期で、しかもボクらの稽古がなかなかない時、
10日間もあれば途中でダレる。

そんなある日、
Mさんは自腹でボクらにアイスキャンディーを買ってくれた。

1本30円のアイスキャンディーだけど、30人弱もの子供全員に。
給料なんか無かったはずなのに。。。





公演2日前から、この超有名作家が自ら指揮を執った。

この人が凄かったのは、大人と子供の区別をつけないこと。

大人と子供の区別をすること自体、意味が無い、という感じだった。

大人に特別厳しいわけでもない。

かと言って子供に気を遣うわけでもない。



そんな超有名作家の態度が、ボクらは気に入らず、

「いちいち細かいんだよ!○○さんは!!」

と、遂に怒りが爆発してしまったが、
○○さんは、

「あ・・・そう?じゃ、どうすりゃいいの?」

って感じでポカーンとしていた。



その時だった。
誰かが2階の観客席からメガホンで指示を出す
この超有名作家に向かって、

「じゃあ・・・次はMさんにいい役を与えてやってくれよ!!」

と。

「そうだ!Mさんはオレたちのためにアイスを自腹で買ってくれたんだぞ!
○○さんは、エラソーに文句ばっかり言ってるけど、
コーラの一杯も奢ってくれないじゃないか!!」

「そうだ、そうだ!!」

このブーイングに、Mさんはアタフタ。

「ちょっとやめてよ!!・・・なんでそんな余計なことを・・・!!」

他の劇団員は大ウケしている人と、顔面蒼白になっている人と。



「あー・・・Mって、ああ、君か。すごい推薦をもらったなあ〜」

と、嫌味でも冷やかしでもなく、この超有名作家は淡々と答えていた。



そして結論を出した。

今でも忘れられないのは、子供扱いしない言葉だったから。



「じゃあ・・・こうしよう。
オレより副座長のほうがいい、っていうんだったら、
君たちのことには、オレは一切口を出さない。
コーラも奢らないし、Mを抜擢する約束もできないけど、
座長としては最大限の譲歩だと思ってくれ」

「・・・」

「いや、いい作品ができればそれでいいんだよ、オレは。
コーラを奢ってやってもいいけどさー、
それで上手くなるとは思えないんだ。
Mの件は・・・お金をいただいてお芝居する以上、それは無理だな。
ただ・・・あの給料でアイスを奢るっていうのは・・・
君たちに頼まれなくても、そういう奴は実力でいい役を取ると思うよ。
すぐには無理だろうけどさ」



上から目線でもなく、諭すような口調でもなく、
大人が友だちに話すとしたら、こういう話し方なんだろうな、
というような喋り方だった。

これにはボクらも納得どころか脱帽だった。

「すいませんでした!!」

とみんなで頭を下げると、

「いや、謝らなくていいよ。なんで謝るの?・・・まあいいや。
じゃあ、頑張っていこう!
公演が無事終わったら、コーラを奢らせてもらうよ。
だけどそれはあくまで祝杯だから。ここでの要求を呑むわけじゃないよ」





当時、この超有名作家をボクらは知らなかった。

作品は前衛的なものだし、書いている本も教科書には載らない。

それでも「この人ってスゴイ人なの?」って思ったのは、
開演前日から徹夜組が出ていた時だ。

朝、会場に着くと外は長蛇の列で、みんなビックリしたもんだ。



あらすじは、ベリャーエフという作家の「永久パン」という作品に、
アレンジを加えたストーリーだった。

3日間の公演で、毎回趣向を変えていた。

初日はギンギラギンのド派手な衣装に厚化粧、
2日目は一転して影絵が基本、3日目はKKKみたいな頭巾を被ったり。



芝居が始まる前、本題と関係のないショートストーリーがあって、
これがまた難解なものだった。

シャボン玉を吹く女の子を、コートを着た怪しい男がじっと見ていて、
やがて「そのシャボン玉を貸して」としつこく懇願する。

マジで嫌がる女の子から強引にシャボン玉を奪い、
最後はシャボン玉ではなく、
口から泡を吹いて痙攣して動かなくなってしまうのだ。

これにはボクらも全員呆然。
完全に子供の理解を超えた光景だった。



父兄や近所の大人とは全く異質の大人たち。
Mさん以外、だれも子供扱いしない。

なんというか、夜にしか生きられない男と女の世界というか・・・

経済的、家庭的な希望を抱かない刹那的な人たちというか・・・

だけど揺るぎない自分の居場所を発見した人たちというか・・・

全く異次元の世界がそこにありました。
いい経験をさせてもらいましたよ☆

思い出作り

冬の間は、野球のグラウンドを借りられない。
練習もなければ試合もない。

通常は水曜日が練習で、日曜日が試合。
それが冬になると、水曜日はスポーツセンターで汗を流す。


他の小学校のチームは、
スポーツセンターで汗を流すだけか、完全休みだったみたいだけど、
ボクらの監督はいろんな行事を提供してくれた。





その中でひとつだけ辛かった思い出がある。

それは冬のスキー教室。
5年から参加できるこの行事は3泊4日だったが、
ボクは5年の時しか参加していない。

なんでこうなってしまったのか。
それは3年の社会科見学に続いて、お袋が演出を担いだ面がある。

山道はくねり坂。
しかもバスの運転手が道を間違えて、
乗車時間は10時間にも及んでしまった。

そしてゲレンデに着くには、
宿を1時間前に出発しなければならない。
その間、延々くねり坂をバスは走る。

なのにお袋は酔い止め薬を、
リュックにわずか1錠しか入れなかった。

この1錠は帰りに飲む。
だからゲレンデに向かうときは、
ずっと気持ち悪いのを我慢しなければならなかった。

おかげでスキー場に着いた時には既にブルー。。。
ようやく元気を回復する頃には、午後になってから。

それにあの頃のスキー板は紐結び。
下手くそな初心者は、すぐに紐がほどけてしまう。

そんな悪条件が重なって、スキーは一度きりの参加となった。





春に行く富士急ハイランドへのアイススケートも、
監督は一泊二日のプランにしてくれた。

小屋みたいなウナギの寝床で、
身動きとれないくらいのぎゅうぎゅう詰めだったけど、
あれはあれで楽しかった。





こういう泊まり以外では、

後楽園ゆうえんちや上野動物公園へ歩いていく「歩こう会」、

高尾山への登山、サイクリング、チビッコ相撲への参加、

相撲部屋への体験入門、少年バスケ大会やバレーボール大会、

サッカー大会への参加、郊外へのピクニックなどなど・・・、

監督はいろんな経験をさせてくれた。



「野球じゃなくてもいい。ただみんなと一緒にすることが、
こんなに楽しいんだ、ということを知ってもらいたかった」



数年前、監督はボクにそう言った。

かかる費用のほとんどが持ち出しだったはずだ。

エンゼルスに入っていない同級生たちよりも、
何十倍もの経験と思い出を残すことができたのも監督のおかげだ。

そんななかでも忘れらないのが、劇団の公演への参加だった。

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