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猛暑には年々堪えがたくなっている。
子供の頃はたった30円で入ることができた区民プールに、
同級生たちがワンサカいて、はしゃぎまくっていたのに。
プールではみんなで遊ぶ。
集団というのはご存知のとおり、全員主役ではない。
芝居で言うところのエキストラのような脇役の少年たちがいて、集団は成り立つ。
幼稚園時代の夏休み、親友 I の家へ遊びに行くには、駄菓子屋の前を通る。
駄菓子屋は子供のサロン。
旅行に行けない暇を持て余した、ちょっと年上の少年たちで溢れ返っているのが定番の光景。
その駄菓子屋の前で、なぜか泣き顔になって引き返す子供がいた。
泣きながら逆方向に走っていく光景を見たのは、一度だけじゃなかった。
同じ小学校だったけど、中1の時だけ同じクラスになった少年。
人付き合いは悪くなかったけど、目立つことはなかった。
彼は同級生を誰も家に招いたことがない。
後になって知ったことだけど父親がアル中で、いつも殴られていたという。
友だちにも罵声を浴びせたりするから、それがイヤで誰も呼ばなくなったそうだ。
彼が高校をドロップアウトしたという話は、人づてに聞いた。
母親が一家の家計を支えていたけど、父親の酒とギャンブルで借金だらけになり、
彼自身も高校を辞めざるを得なかったらしい。
家もどこかへ引っ越してしまい、それから誰も彼の消息を知ることがなかった。
最近、フレンチレストランによく行くようになった。
退院したばかりの頃、久しぶりに行くと、おかゆを特別に作ってくれて、
それからシェフと仲良くなり、話しているうちにシェフが同級生のテッチャンだと分かった。
駄菓子屋の前で泣きながら引き返していたビビりの幼児は、シェフになっていた。
高校を辞めた後、住み込みでフレンチレストランの修行に出た。
相撲部屋の新弟子も真っ青の過酷な労働をすること4年。
本場パリへ渡り、ビザが切れる際に帰国する以外は、パリの一流レストランで通算5年半。
それからタイとベトナムに行き、アジア料理も学んだりした。
帰国後はボクでも知っている超一流フレンチの店を数店わたり歩き、総料理長に登り詰めた。
結婚して一児をもうけたけど数年で離婚。
親権は奥さんにあるけど、育てているのは今もテッチャン。
ある大手レストラングループの役員になった直後、胃がんが発覚。
療養後は、長年の夢であった自分の店を開くことを決意した。
内装工事をしている間は、佐川急便でお金を稼いだ。
開店から順調に店は回っていた矢先、金庫に金が一円も残っていないことに気づく。
「まさか!」と思って銀行へ行くと、預金も全額引き落とされた後だった。
二人三脚で頑張ってきた店長が、全額盗んで逃げてしまったのだ。
さすがにこの時ばかりは参ったけど、
業者が「支払いを待ってやるから店を閉めるな」と叱咤激励してくれて再奮起。
食材の余り物をかき集めて、タイで覚えたカレーをスタッフの賄いで出したら大好評。
ランチメニューに加えたら、爆発的にランチの売り上げがアップした。
最近では大手食品メーカーがレトルト食品にしないか、と打診にきている。
「近所の人が気軽に来れるレストランにしたい。
もっとフレンチの美味しさを知ってもらえるように、だけどフレンチの枠にこだわらずにね」
と微笑むテッチャンを見ていると、
大病を患ったり、人間不信になるような出来事を経験した男とは思えない。
家から10mと離れていない駄菓子屋に行くのも、怖くてなって泣きながら引き返し、
区民プールでの役どころは「村人B」。
勉強もスポーツも下から数えたほうが早かったし、面白いことをする子供でもなかった。
しかし今では、同級生たちがテッチャンを見て奮起したり、
テッチャンの美味しい料理を食べて癒されている。
村人Bは同級生たちのスターとなって、羨望のまなざしを集めている。
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中学時代
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二十歳を過ぎた時、武道館でのライブを楽しみにしていた。
そのチケットはなかなか取れないチケットだったんで。
バイトをしていたら、延長をお願いされてライブに間に合わないかもしれない。
大学に行ったら、断れない飲み会に誘われるかもしれない。
だから、その日はまるまる空けることにした。万難、排して・・・・・ってやつです。
開場よりもはるか前に行って雰囲気を楽しもう。
どんなことがあっても、この日はライブに行くんだ。
・・・・・そう思っていた当日、ボクはそのライブに行くことはなかった。
もっと重要な用事がはいってしまったんで。
同級生に書く年賀状は、卒業したらリストから外れる。
そんなボクに卒業後、何年も年賀状を送り続けてくれた友人がいた。
とりわけ親しかったわけでもない。
だけどみんなで遊んでいると、必ずその輪の中にいる。
無口だけど社交的で、いつもニコニコしていた奴・・・・・それがチャス君だ。
思春期の中学生は、些細なことでケンカを起こす。
すぐに仲直りもするけど、ケンカした直後は派閥を作ろうと仲間を引き込む。
そんな時、必ず「チャス君!あっち行こうぜ」と腕を引っ張られる少年。
修学旅行の班を作る時も、チャス君をめぐって小競り合いが起きる。
誰とでも仲良くできるけど、くだらないイザコザにも巻き込まれる。
他校とのケンカが起きると、チャス君も必ず連れて行かれた。
平和的な少年だけど、チャス君は柔道をやっていたので。
あの当時、学校対学校のケンカは、しばらくするとすぐに仲良くなる。
ちょっと前まで対立していたはずの中学生も、最初に仲良くなるのはチャス君だった。
いつもニヤけていたし、ひょうきんな性格でバカなこともやる、背の低い少年。
中3のクラスで一緒になるまで、ボクはチャス君も出来損ないだとおもっていた。
ところがボクと違って、授業中は真剣そのもの。
オンオフを使い分けることができる少年で、成績もかなり優秀だった。
なのにチャス君は、附属高校への進学を頑なに拒否。
「オレ、コックになるの」
チャス君の進路は明確だった。
大好きなお爺ちゃんがコックさんで、そんなお爺ちゃんと一緒に厨房に立ちたいと、
いつも抑揚のないトーンでニコニコしながら話していた。
ボクは中学時代、サシでチャス君と話をした記憶があまりない。
サシで話をするようになったのは、高校生になってからだった。
ゲーセンに向かう途中、学校から帰る途中のチャス君とよく一緒になり、
お互いの近況を報告をしながら、年中歩いたものだ。
そんなこともあってか、チャス君は別の高校に通うボクにも年賀状を送ってくれて、
料理人になってからも年賀状をボクに送ってくれた
・・・・・・二十歳まで。
深夜に仕事が終わり、バイクで帰宅途中に事故に遭い、
チャス君はあっけなくボクたちの前から姿を消してしまった。
その訃報を知らされて、ボクが立てていたライブ計画はどこかにすっ飛んでしまった。
お通夜の席では、いつもチャス君を取り合いしていた不良連中が、
駅で案内係をしたり、弔問客を駅まで車で送ったり、料理を運んだり、驚くほどの活躍をしていた。
きっと“オレたちのチャス”という思いだったんだろう。
レストランで若いシェフを見かけると、フと思うことがある。
チャス君はフレンチとイタリアン、どっちの道を目指していたのか。
どっちでもいい。ボクもそこまでグルメじゃないし。
どっちでもいいけど、一度チャス君の料理を食べてみたかったです。
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ボクの卒業した中学は、区でも指折りの偏差値を誇っていた。 |
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まだまだ「ツッパリ」と言われる不良が、ギリギリ生き残っていた時代。 |
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ボクは一度も同じクラスになったことがない。 |




