桜田少年追憶記

学生時代までの自伝です。いよいよラストスパートです。

高校時代

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人生は選択の連続だ。
バンナイにとって卒業後の選択は、まさしく人生の岐路だった。

大学受験はほとんどがマークシート。
それでも「まぐれ」なんてそうそう巡り会うことはない。
しかし、その強運がバンナイに回ってきた。
なんと、バンナイの実力では到底受からない大学に合格したのだ。

ところがバンナイは、その運を運だとは思わなかった。

「勉強していないのに、あの大学に合格できた。だったら一年浪人して慶応に行く」

・・・賢い人間なら、あれが「二度と巡って来ない運」だったと理解できたはずだ。


バンナイは、ボクが通うことになっていた予備校に来た。
卒業後も毎日バンナイに会い、毎日ランチを一緒に食べ、毎日バカ話で明け暮れる日々。
みんなのマスコットだったバンナイを、毎日サシで見ることができる。
目立つバンナイは、たちまち予備校でも注目の的になってしまった。
こんなことをしているから、ボクも一浪で大学受験に合格出来なかったのだ。

どこに行っても目立ってしまうから、予備校に通っている時も、すぐに注目の的になったし、
ランチに行く先々ですぐに覚えてもらって、サービスしてもらうことも多々あった。


ボクは二浪することが出来たけど、バンナイは違った。
現役で大学に受かったのに浪人したわけで、親とある条件をかわしていた。
それは実家の家業を継ぐこと。
これだけは避けたかったバンナイは、受験が終わると荒れに荒れていた。

そんな折り、ヨネという友人の家で、J高の仲間たちとの飲み会があった。
バンナイの心中を知らず、みんな久しぶりにツッコミを入れ始めた。
そこでKという、ちょっとネジ曲がった性格の奴が、
バンナイに対して容赦のない攻撃を連発した。
・・・みんな酔っぱらっていて、その加減の無さに気づかずウケていた。

「ちょっと便所、行ってくる」

そう言い残して、バンナイはボクらの前から姿を消して、二度と戻って来なかった。


これはボクの心に深い傷を残す結果となった。
親友とこんな形で絶縁することになってしまったことに。

(きっともうバンナイと会うことはないんだろうな)

そう思っていた10ヶ月後、ボクとバンナイは病院で再会を果たすこととなる。
友人が亡くなったという一報を聞きつけて、駆けつけた先での再会だった。
それ以降、まるで何事もなかったかのように、ボクたちとバンナイの友情は復活した。

それ以降もバンナイは、ボクたちを楽しませてくれた。
中でもヨネの結婚式に参列した際のスピーチは強烈だった。

お互いが日本人を選んだことが素晴らしいこと。
黒人や白人が増え過ぎて、メシもまずく、ロクに喉を通らないこと。
アメリカの植民地政策が今後も続くということ。
それはアメリカ人が、少しでも広い大きな家に住むため、リッチな気分になるためであること。
こうなってしまったのも、日本人が良識を失ってしまったから、ということ。
常識、常識という人間に限って、肝心要の良識がないこと。
夫婦ケンカをしたら、先に謝ること。女は決して自分からは謝らないこと。
女性に言いがかりを付けられた苦い過去の説明など。

祝辞とはほとんど関係のない話を10分間やりきった。
言っていることはメチャクチャなのに、なぜか起承転結だけはちゃんとしている。
だから式が終わると、爆笑して聞いていた両家の親戚から握手攻めにあっていた。


幼馴染みのオブランは、年に何度か会うたびに聞いてくることがある。
オブランだけじゃない。1ヶ月以上、間が開けば誰でも聞いてくる。

「バンナイ、どうしてる?」

高校時代、何かと話題を振りまいてくれたバンナイは、
卒業後もいろんなエピソードを残してくれたので、みんな気になって仕方ないのだ。

「なんか年々身体が縮んでいる気がする。最後は溶けてなくなっちゃうんじゃないかと思う」

「明日が来るのが怖くて、夜も眠れない」

アメリカが大嫌いなのに、アメカジでアメリカの音楽と映画とハンバーガーが大好きな
バンナイのボヤきは今も健在だ。


強度の天然パーマで、髪が伸びると木みたいに盛り上がってしまう。
なで肩で内股でガリガリの体型で、運動神経も勉強も下の方で、
神経質でいつも自分の机を拭いていて、松尾伴内そっくりの顔だったバンナイは、
休み時間、ゆっくりすることができなかった。
教室にいても、廊下を歩いていても、トイレに行っても、図書館に行っても、
バンナイは放っておかれることがないイジられキャラだった。

普通なら「イタい奴」ってことになるんだろうけど、
当時、バンナイのステータスはかなり高かった。
ヤンキーとか運動神経の良い奴らよりも、というか、
そういう連中までバンナイに畏敬の念を持って接していたほどだった。
泣き言ばっかり言ってるし、いつもヒステリックに愚痴をこぼしていたのに。

きっとバンナイが、いつも自分をさらけ出していたからだと思う。
勉強が出来ないのも、自分の家が借家だったのも、神経性の下痢持ちなことも、
家にクーラーが付いていないことも、いつも赤裸々にさらけ出していて、
そんな「自分が恵まれない」最大の理由が、アメリカのせいだというオチ。
本人は至って本気だったけど、みんなバカ負けして笑っていた。


イタい奴なのに、バンナイの周りには人が集まった。
ボクらがいつも数十人で下校していたのも、バンナイがいたからだ。
バンナイはボクらの中心にいつもいた。

だから高校時代、バンナイが一人でいるところを見たことがない。
バンナイの意思に関係なく、バンナイの周りには常に誰かがまとわりついていた。
昼休み、バンナイが図書室に行けば、ガラガラの図書館が満員になる。

リーダーではなく、マスコット。
喜怒哀楽が激しく、ボヤいていたかと思うと、すぐにバカ笑いしている。
怒る矛先はいつもアメリカとか政府とか巨大なものに対して。
ちょっと芝居がかった行動と言動で、バンナイはボクらを楽しませてくれた。

授業は真面目に受けているし、言うことはいつも立派なのに、
バンナイは毎年留年スレスレで進級していた。
そのたびに頭を抱えてしゃがみ込む。もちろん追試を受ける原因もアメリカだ。


とにかく志だけは素晴らしい男だった。
「将来の人生計画」を書かされた時、最も具体的に記述していたのがバンナイ。
「マサチューセッツ考古大学へ留学し、ヒマラヤ登頂を達成・・・」
そんな文章だったが、工科ではなく考古と間違えていた。
ヒアリングで間違えてしまったんだろう。
バンナイはインディー・ジョーンズが好きだったんで。


高3の文化祭で、バンナイはバンドを組んで出場した。
会場は、音楽には興味はないけど、バンナイ見たさに集まった男どもで溢れ返っていた。
バンダナを巻いているんだけど、強度の天然パーマで頭に巻けず、
髪の毛に巻いている状態で登場してきたバンナイは、完全にスターになりきっていた。
こういう時のクソ度胸だけは凄かった。
最後はみんな舞台に上がってきて、歌っているバンナイを胴上げして、
バンナイがブチ切れながら演奏は終了した。


卒業文集は、卒業式の数日前に配布された。
そこでもバンナイは見事な文才ぶりを見せつけた。しかし、

「オレの人生は二つに一つ。エンターティンメント・オブ・デス」

という、意味不明な言葉を書いてしまう。

この日の晩、おそらくボクの人生で最も電話がかかってきた一日だ。
全然知らないクラスの奴まで、「あの文章の意味、教えて!」と。
ボクはバンナイととりわけ仲が良かったので、何かの暗号だと思い、
ボクなら知っている、と思ったようだ。
親が怒るくらい、ボクの家には電話が殺到した。

バンナイは「エンターティンメント・オア・デス」、
つまり「快楽か死か」と書きたかったのだ。

だけど前置詞を間違えてしまい、「オブ」にしてしまっただけの話。
これはその後、勝手に「安楽死」と意訳され、
「二つに一つと言ってるけど、どっちにしても安楽死」と、
卒業式でさんざんイジられまくっていた。


お金を持ち合わせていなかった高校時代、
バンナイとは公園や普通の歩道で、何時間でもバカ話で腹を抱えて笑い合えた。

しかし、バンナイが本領を発揮するのは、高校を卒業してからだった。
同じ予備校に通っていたボクは、幸運にも幾度となくその光景を見ることができた。

高1の時のクラスメートたちとは、高3まで一緒につるんでいた。
クラスが替わっても、下校の時はいつも一緒に帰った。
その中に新しいクラスメートたちが加わり、ぞろぞろ大群で帰ったものだ。
途中、大きなレコード屋があり、駅前には本屋がある。ここで適当にバラけた。

しかし、渋谷に出て遊びに行くとなると、連れはグッと減る。
「今日は金がない」「バイトがあるから」「予備校に行くんで」と、理由はさまざまだったが、
金もないのに、いつも渋谷に行くメンバーの中にいたのが、ボクと謙ちゃんだ。

本当にお金がない。
だからいつもウィンドウショッピングばっかりだった。
109、パルコ、丸井、西武、レコード屋にアメカジショップ。
マクドナルドはもちろん、自販機のジュースも買う金がなかったので、
喉が渇いたら、公園の水飲み場で凌ぐのが当たり前だった。

当時はバブルの夜明けの時代。
今でもあるザ・プライムというビルには、トイレの前にまで受付嬢がいて、
用を足した後は、プチタオルを笑顔でくれた。
そのプチタオルを貰うことが、唯一リッチな気分になれる瞬間だった。

歩いていると、他の同級生たちと渋谷でよくすれ違った。
一日に何度もすれ違っては挨拶をして。

勉強もせずに街をブラついているだけだったが、
毎週木曜日だけは、ボクは放課後まっすぐ家に帰る。

木曜日は、小学3年生から通っていた塾に行く日だったから。

学校をサボって、朝から渋谷に行く日も珍しくなかったけど、
ボクは塾をサボったことだけは一度もない。
10年間通っていたけど、体調不良で休んだ1日以外は休んだことがない。
勉強が好きだったわけでも、塾が好きだったわけでもないんだけど、
「休む」という発想自体がなかった。


なかなかイケてる夫婦が塾を経営していた。
男の先生は、アントニオ・バンデラスそっくりだったし、
女の先生は、松嶋菜々子そっくりだった。
男の先生は英語と数学、女の先生は英語と国語を教えていた。

高校受験の中3を教える時が、もっともピリピリしていた。
大晦日も元旦もない。昼から夜までみっちり勉強をさせられた。

日曜は、高3の生徒だけを教えていたから、
塾の先生は文字通り、365日働きどおしだったわけだ。

高校を卒業した後、大学生になってからも、社会人になってからも、
何度か塾の先生を訪問した。そのたびに温かい歓迎を受けた。

最後に会ってから16年目の昨夏、体調を崩して通院していたボクは、
なんとなく先生のことが気になって連絡を入れてみた。

男の先生は10年前に心臓の手術をして、3年前に塾を閉め、療養生活に入っていた。

「おお!元気だったか!オレなあ・・・体調がちょっと悪くてなあ。
夏が過ぎたら、遊びに来てくれ」

それからボクもまた体調を壊し、先生に連絡が取れないままでいた。

今年の正月明け、先生の自宅から携帯に着信が入った。
塾から電話が入るなんて初めてのことだ。

イヤな予感は的中した。

男の先生は、ボクと電話で話した2週間後に入院、その2ヶ月後に息を引き取ったという。
入院中、先生は迫り来る死期を予感していたらしい。

お子さんたちとは確執があったらしいが、「お前たちが子供で本当によかった。ありがとう」と
何度も何度もお礼を言っていたという。

電話をしてきたボクに、もう会えないことも分かっていたそうだ。

塾を365日、休まなかったため、奥さんを旅行に一度も連れて行ってあげられなかったこと、
塾を閉めたのに、自分の療養生活のため、奥さんがどこにも出かけられなかったこと。
生徒たちに何か残してあげられたのか?
生徒たちの何か役にたったのか?

・・・そういった自問自答と繰り返していたという。
先生がボクに残してくれたもの。それはまた別の機会で。


親友の宝もの

高3の時に神奈川県に引っ越していった親友・I。
引っ越しの直前、道でばったり会った I に「最後だから」と家に上げてもらった。

ほとんどの荷物は段ボールに詰められていて、
段ボールに入れてない物は、引っ越しまで使って捨てるという。

「じゃあ・・・アレも捨てるの?」

「捨てるわけねーだろ!」

ボクが指を指したアレは、布団の上に置いてあった。
これをどれほど I が大事にしてきたか、ボクは親友なので知っている。
I は引っ越しの前日までアレを大事に使っていたのだ。

大学を卒業し、群馬県に勤務していた I の家には、年に何回か遊びに行った。
その時も、アレは I の枕元に置いてあった。もうボロボロだったけど。

I は4年前、電撃結婚をした。今は東京の郊外に住んでいる。
その家に、もうアレはない。


I はかなりの変人だ。良く言えば個性派。
長い付き合いの中で、ボクは I から何かを相談されたり、
悩みを打ち明けられたことが一度もない。いつも「結果報告」しか話さない。

気持ちの切り替えが徹底しているというか、 悩みを引きずることがない。
勤務時間以降も仕事の悩みを引きずることもないし、
プライベートの悩みを勤務時間中に考えてしまうこともない。
「寝よう」と決めたら、数分で夢の中。
誰かと会っているときに、別のことを考えることもない。
飲み会の終わりの時間は、自分の中ではっきりしているから、ずるずる付き合うこともない。

I は多趣味な男だった。
スポーツ観戦だけでなく、バスケチームにも入っていたし、
バイク、絵画、読書、旅行・・・休日はいくらあっても足りないというほど、充実していた。

ところが結婚した途端、これらの趣味をスッパリ捨てた。

「あれは独身の時だから楽しかったもの。結婚したら別の楽しみ方があるから」

と、「奥さんと時間の共有こそが、最上の喜び」と気持ちを切り替えた。
今では仕事が終わると、全ての時間を2歳の息子に捧げている。
荒くれ者だった男が、息子にデレデレになっている光景は、なかなか気持ちのいい違和感だ。


今から4年前、ボクは I から電話をもらった。

「今日、ちょっと時間、作ってくれないか?どうしても話したいことがあるんで」

平日の昼過ぎに、I から電話がかかって来るのは異常事態。

「どんなに自分の中で重大な話であっても、他人にとってはどうでもいい話」

と思っている I が、わざわざボクに報告することとは、どんなことなのか?
ボクは本気で動揺した。

「結婚報告かな。だけど不治の病だったらどうしよう。
いや、会社大好き人間がまさか転職するのか!?」

・・・結果、I がボクを呼び出したのは「婚約報告」だったので、少し拍子抜けした。

「お前には、どうしても最初に報告したかったんで」

そして I は、結婚する相手がどんな人なのか、いつデートをして、どこに行って、
なにを食べて、何が趣味の人で、いつ結婚しようと思い、いつプロポーズして、
いつ両親に挨拶に行って、いつ結納を済ませる予定で、どこに住む予定なのか・・・
30分くらい時間をかけて説明してくれた。

そして I は話をここで一旦区切り、ボクが聞きたかったことを姿勢を正して話し始めた。

「来週、もう今のマンションを引き払って新居に引っ越すんだけど、
ほとんど捨てていくよ。・・・あのクッションもな」

そう、アレとは、クッションのこと。

いつも結果報告を淡々とする I が、苦渋の表情を見せたのはこの時だけだ。

ボクの知っている I なら、彼なりに考え抜いた最上の結論に迷いはなかった。
結婚相手への思いの他に、断ち切り難い感情が見てとれる。
この時点では、まだ I も消化できていないようだった。

そして、人を利用することを極端に嫌う I が、初めてボクにあるシグナルを送ってきた。


(つづく)

トミコ伯母さんが病に倒れてから、家の空気は一変した。
中でもレイコ叔母さんの嘆きようはヒドい状態だった。
そんな状況の中、唯一の救いだったのが、イトコの絵美ちゃんだった。

ボクが小6の時に結婚したミツコ叔母さんに、待望の赤ちゃんが生まれたのが中2の時だった。
ボクにとって最年少のイトコになるこの赤ちゃんが、絵美ちゃんだった。

ミツコ叔母さんは年中、絵美ちゃんを連れて実家に帰ってきていた。
実家が近いから、というのが理由ではなく、嫁ぎ先の義父の我がままに耐え切れず、
実家に帰ってくることが多かった。

ミツコ叔母さん
による「実家に帰らせていただきます」攻撃は、
絵美ちゃんが小学校の低学年まで続いた。義父が死ぬまで続いたわけだが、
絵美ちゃんが来ると、家族のみんなが笑顔になる。
病に伏せっていたトミコ伯母さんも、ベッドの上で笑顔を浮かべて絵美ちゃんを見ていた。
トミコ伯母さんが倒れてから亡くなるまで、絵美ちゃんは我が家の癒しだった。

絵美ちゃんはボクによく懐いてくれた。
高校生だったボクは、大人がしない遊びで絵美ちゃんをあやす。
そういうのは、子供は大好きだから。


絵美ちゃんは子供の頃、小児ぜんそくだった。
それが原因でボクが高校生の時、何度か入院したことがあった。

・・・これは絵美ちゃんも知らない、ミツコ叔母さんも知らない話である。

なんでボクが知っているかと言ったら、ミツコ叔母さんの旦那がウチに来て、
レイコ叔母さんに話していた時、ボクもたまたま一緒にいたからだ。

その時ボクは大学生で、絵美ちゃんは小学校の低学年だった。
ぜんそくで入退院を繰り返していた絵美ちゃんが、最も長く入院していた時期だ。
たしか2ヶ月くらい入院していた。
お医者さんも「精神的なものが影響しているのかもしれない」と言い始めて、
ミツコ叔母さんもよくならない絵美ちゃんにイライラし始めていた頃で、
ボクも心配して何度かお見舞いに行った。


「絵美ちゃん、退院できたって!」

レイコ叔母さんが笑顔でボクに言ってきた数日後、
絵美ちゃんのお父さんで、ミツコ叔母さんの旦那が我が家にやって来た。

「ミツコには話していないんですけど・・・」

入院中、絵美ちゃんが公衆電話から電話をしてきた。
そういうことは週に何度もあったが、この日はちょっと様子が変だったという。
長い入院生活で情緒不安定になっていたのか、
絵美ちゃんは愚図りながら電話をしてきたという。

「その時ですね・・・うめき声が聞こえてきたんです。男のうめき声が。
近くに先生か誰かいるのか聞いたけど、誰もいないっていう。
ウチの子が喋るたびに、苦しそうな男のうめき声が何度も聞こえてきたんですよ」

レイコ叔母さんは「思い出した」という。
絵美ちゃんが退院するちょっと前くらいから、
旦那さんがお祓いしてもらうことをミツコ叔母さんに急に言い出した、という話を。

旦那さんには、気になることがあった。

絵美ちゃんが入院するちょっと前に、自宅マンションの踊り場から、
酔っぱらった男性が転落死してしまったことを。
この話は、低学年の絵美ちゃんがショックを受けると思って、内緒にしていた話だった。

もしかして、その人の霊が・・・と思った旦那さんが、お祓いを勧めていたというわけだ。

そしてお祓いをしてもらうため、外出許可をもらった絵美ちゃんを、
ミツコ叔母さんがお寺に連れていった。
信心深い人ではなかったけど、医者から自分の娘がただのぜんそくではなく、
精神的なものに原因があるかもしれない、と言われたら、
藁にもすがる思いになるのが親の気持ちだろう。

ところがお寺の近くまで来ると、絵美ちゃんの発作がかつてないほど激しくなり、
とうとう歩くこともできなくなってしまい、止むなくタクシーで引き返したという。

翌日、病院に住職さんが来てくれて、お祓いをしてくれた。
その時、絵美ちゃんはスヤスヤ寝ていて、お坊さんが来たことに気づかないまま、
お祓いの儀式は10分ちょっとで終わったという。

驚いたことに、絵美ちゃんのぜんそくは、この後すぐに止まり、2日後に退院。
退院の翌日から学校に行き始め、復帰を喜んでくれた友人の家に泊まりに行って、
うそみたいに元気に遊び回っていると。

ぜんそく自体はすぐに治ったわけではないが、これ以降、絵美ちゃんが入院することはなかった。
その後、大病することなく成人を迎えた絵美ちゃんは、ぜんそくに悩まされることもなくなった。

最近は年に一回くらいしか会わなくなったが、トミコ伯母さんのことを覚えているという。
トミコ伯母さんが亡くなった時、絵美ちゃんはまだ3歳になる前だったから、
なんとなくしか覚えていないそうだけど、その話を聞くと、ボクはなんか嬉しくなるのだ。

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