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二浪したボクが大学を卒業する頃に、バブル経済が弾け始めた。
バブルが弾けて就職難と言われ始めたけど、今ほどヒドい状況ではなく。
しかしバブル期と比べたら、はるかに厳しい就職活動。というのが当時の環境だった。
今でも通用するとは思っていないが、就職活動には基本的な法則が存在する。
そう信じていたボクは、学校で誰よりも早く内定をもらった。
一番早い内々定は、ある大手印刷会社からで、これはGW前に出た。
GW明けには大手商社と専門商社から内定をいただき、
5月中旬には大手飲料水メーカーからも内定をいただいた。
そして遊び半分で受けた飲食の会社からも内定を受けた。
これは会社説明会に行けば、そこの商品を食べさせてもらえるかも、と思ったからだ。
「さて、どの会社に行くか?」
真剣に考え始めた時、ボクは相当悩んだ。
どれも業種が全然別だからだ。
つまり、ボクはただ闇雲に就職活動をしていただけだったのだ。
就職難といわれている時代。
ロクに勉強してこなかった自分。
将来の夢や進路を一切考えず、4年間を過ごしてきたツケ。
幸い就職活動には自信があった。
誰よりも早く内定を取っていたし、必勝法が分かっていたので。
「だったら、真剣に進路を考えよう。内定はその後に取ればいい」
そう思って、内定をいただいた全ての企業に断りの電話を入れることにした。
まず最初に断るのは、飲食会社だ。
そう思って本社に頭を下げに行ったら、そこで丸め込まれてしまった。
海千山千の人事部からすれば、青臭いガキを丸め込むことなんか、どうってことなかった。
そのためのマニュアルもきっとあったはずだ。
・・・問題はそこからだった。
ボクがこの飲食会社を選んだことを告げたら、大手商社が大学の就職課に猛抗議をしてきた。
「よりによって、あんな会社を選ぶとは。
もうおたくの大学から新卒枠を減らすことも視野に入れなければならない」
そう脅された就職課の先生は、それは凄まじい雷をボクに落とした。
「今からでも遅くはないから考えなおせ。お前のせいで、後輩にも迷惑をかけることになる」
困り果てたボクは、ゼミの教授に相談した。
ゼミの先生は大変温厚な先生だったんだけど、この時の怒り方といったらなかった。
ボクを引き連れて就職課に乗り込み、
「守らなければならないのは、どっちなんだ?会社か?それとも生徒か?」
と。あまりの剣幕に就職課の先生たちはタジタジだった。
就職課を出て、先生にお礼を言うと、先生は苦虫を潰したような顔をして、
「○○君、正直なところ、私も君の選択肢が賢明とは思えないよ。
みんなが就職したくても出来ない会社に内定を取れたのに。
あの商社のことはもう忘れていいけど、君が決めた就職先はもう一度検討したほうがいい」
胸にずしりと来た言葉だった。
しかしボクは先生の忠告には従わず、その飲食会社へ行くことを決めた。
どうしても行きたかったわけじゃない。むしろ卒業まで悩んだほどだ。
それでも「行く」と約束してしまった以上は・・・と思っていた。
それは「自分との約束」なんかじゃない。
自分を良い奴に仕立て上げたかった、社会に媚びていたからだ。
こんな自己顕示欲ではハッピーになれるわけがない、ということに、
この頃はまだ、そんなことに気づかずにいた。
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高校卒業後
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大学生の頃、家の前にちょっとオシャレな弁当屋ができた。
オーガニック系のおかずを扱う弁当屋で、店内は男が入りづらい感じの。
ところが客のほとんどがサラリーマン。
他の弁当屋のほうが、はるかに量が多いし値段も安いのに、
サラリーマンで溢れ返っていたのは、なかなか美人の店長がいたからだ。
歳の頃は30代で、サバサバした性格で、喋るのが上手い。しかも美人で色気ムンムン。
水商売のほうがピッタリなのに、その人がエプロンをしていて、
笑顔で惣菜のチョイスを一緒に考えてくれるアンバランスさがウケて、店は大繁盛だった。
今だったら、デレデレしながらこの店に出入りしていただろうけど、
大学生のボクは、水商売風の持ち上げられ方を楽しむという概念がなく、
だけど未知の危険な甘い世界に今、ちょこっとだけ足を踏み入れている感覚はあり、
弁当屋に弁当を買いに行ってるだけなのに、ガチガチに緊張して、逃げるように店を後にした。
これ以降、ボクは一度もこの店に入っていないが、
お袋がここの弁当が好きで、何度か夕飯としてここの弁当が家にあった。
この店がどのくらいの期間、存在したのかは詳細には覚えていない。
多分、1年も経たなかったと思う。
ただ、この店長がいなくなってからは、あっという間に閉店してしまったことだけは覚えている。
後になってから聞いた話だが、この店長はお客の男性と婚約したらしい。
だけどその男性客には妻子があった。
「奥さんと別れる」と約束したのに、結局その男性は家族を捨てられなかった。
近所の人たちに婚約宣言をしてしまった手前、居ずらくなって辞めてしまったという。
その後、この女性店長よりはるかに若いけど、愛想のない女性が店長になった。
すると男性客は寄りつかなくなり、店はあっという間に閉店してしまったという次第。
ボクらの町に、一瞬だけ巻き起こったオーガニック弁当ムーブメントは、
ちょっと猥雑な女性店長とともに過ぎ去っていった。
お店が繁盛するには、味もさることながら、接客によるところが大きい。
そんな基本的な事実を、この店の盛衰から学んだ気がします。
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子供の頃、ボクは大家族の中で育った。
お袋のイトコだったトシちゃんは、結婚していて近所に住んでいたけど、
奥さんと子供も一緒に、いつも夕飯をボクの家で食べていた。
もう一人、ヤッチャンというお袋のイトコもいて、この人はお店を閉店するまでいてくれたけど、
ボクはトシちゃんのほうが好きだった。
トシちゃんは、子供の扱いがとにかくうまく、
ボクはトシちゃんにいつもくっついて、かまってもらおうとしていた。
お昼の時間になると、ボクは家族のみんなに声をかける。
「トシちゃん、ヤッちゃん、お爺ちゃん・・・」
という風に、常にトシちゃんを最初に呼んでいた。
そんなトシちゃんは、ある日突然、ボクの前からいなくなった。
いなくなった当日のことは、なんとなく覚えている。
トミコ伯母さんが、「何も黙ってすることないのに・・・」とボヤいていた。
お袋は「常識が無い」とか言って、ブツブツ文句を言っている。
トシちゃんがいなくなってしまったので、みんなに声をかけるボクの仕事も必要なくなった。
高校生くらいになって、トシちゃんが突然いなくなった真相を聞いた。
トシちゃんは独立して、自分で店を開きたかったらしい。
それで爺ちゃんに内緒で、開店の準備を進め、メドが立ったので突然辞めていったという次第。
お店は横浜のほうで開いたという。
しかし経営は芳しくなく、ボクが高校生の時に店を閉めて、田舎に帰ってしまった。
そんなトシちゃんがボクが大学生の時「ひょっこりと店を訪ねてきた」という連絡を、
お袋からもらったので、急いで店に向かった。
何しろボクは、トシちゃんが大好きだったので。
しかし、久しぶりに会うトシちゃんは、
ボクと目をあまり合わせようとせず、妙によそよそしい。
聞けば、今はタクシーの運転手をしていて、たまたま長距離で東京に来たお客さんを乗せて、
これから田舎に帰るところだと聞いた。
ボクが話しかけても、トシちゃんは「ええ」とか「まあ」とか「そうです」とか。。。
おいおい、トシちゃん・・・オレにはそんな言葉を使わないでくれよ。
「しばらく見ないうちに、図体だけはデカくなったな」って言ってくれよ。
後から聞いた話では、トシちゃんは、爺ちゃんに謝りにきたそうだが、
爺ちゃんは別に怒っていなくて、ただ、ちょっと寂しかった、という話をしたという。
「爺ちゃんに負い目はあったとしても、オレは関係ないだろ、トシちゃん!」
後で聞いて、そう思った。
トシちゃんは、最後までよそよそしく、これ以後、ボクはトシちゃんと会っていない。
ボクが子供の頃、隣の舗装されていない砂利だらけの駐車場には、
毎週火曜と金曜に、八百屋さんと魚屋さんが車で来ていた。
この頃は、人もたくさんいたから、結構にぎわっていた。
中でもボクは八百屋さんが大好きで。
穏やかな人で口数は少ないのに、いつもボクに優しく声をかけてくれていた。
魚屋さんは18時になると帰っちゃうけど、八百屋さんは20時くらいまで駐車場にいた。
帰る前に、爺ちゃんの店に来て、流し台で顔を洗って帰っていく。
特別、この人と会話したわけじゃないけど、優しい雰囲気で大好きだった。
小学5年生の日曜日、野球から帰ってくると、なぜか八百屋さんが家にいた時がある。
ボクと同い年くらいの娘さんを二人連れて。
照れ屋だったボクは、全く話をすることができず、ずっと部屋に入りっ放しだった。
部屋にも聞こえてくる娘さんたちの声は、実に素直そうな明るい声で、
本当にお父さんである八百屋さんのことが大好き、って感じだった。
なぜ、八百屋さんがウチに来ていたのかは、今でも分からない。
高校生の時、何気に駐車場に目をやると、
あれだけ賑わっていた八百屋さんには閑古鳥が鳴いていた。
魚屋さんは、とっくに撤退していた。
それからしばらくして、八百屋さんも遂にこの地域から姿を消した。
最後の日、爺ちゃんの店でいつもより仰々しく、ウチの家族に挨拶する八百屋さんがいた。
ボクが大学生の時である。
「せいちゃんも元気でね」
昔のままの穏やかな、のんびりした声でボクに声をかけてくれたけど、
ボクは何と言っていいか分からず、頭をヒョコンと下げただけだった。
あの八百屋さんがどこから来ていたのか。
そしてその後、どこへ八百屋を開きに行ったのか。
団地の前とかで、八百屋さんのトラックが止まっている光景を見るたびに、
あの八百屋さんを思い出す。
ボクが大学生の時に、物心ついた頃からいたトシちゃんと八百屋さん。
トシちゃんは心理的に、八百屋さんは物理的に、それぞれどこかへ行ってしまった。
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14歳から36歳まで、
大晦日は I とパン屋の息子だったMパイと一緒に大晦日を過ごした。
恒例行事というものは、いかなる理由があろうとも実行されるもの。
他に選択肢はない。
続けるかどうかは、本人たちの意思次第。
誰の迷惑もかからない、ユルい恒例行事だ。 大学時代はMパイと一緒に、春休みと夏休みに I の家へ遊びに行くのが恒例で、
宿泊費のかからない I の家は、絶好の暇つぶしだった。
現役で大学に合格した I は、ボクたちより一足先に社会人になり、
群馬県の事業所で勤務していた。
日中、I が会社へ行っている間、観光やドライブ、冬には日帰りでスキーに行ったりして、
夜は、I が寝てからゲーム三昧というのが、遊びに行った時のルーティンだった。
この I の家には、たしか28歳くらいまで遊びに行った。
I が埼玉県に転勤になるまで続いたと思う。
一番つらかったのは、25歳の時に付き合っていた女性から、デートの誘いがあった時。
この時は付き合って間もないラブラブの時期だったんだけど、
恒例行事をキャンセルすることが出来ず。。。
これは友情を選んで恋愛を捨てたということじゃなく、
「先に決まっていた約束を反故にしない」という自分へのルールでもあった。
冠婚葬祭、仕事のトラブル以外では、約束は守ること。
果たせそうにないのなら、始めから約束しないこと。
自分との約束をも破る奴が、人との約束を守るわけがない。
数少ない自分へのルールで、最初に決めたルールがこれだった。
I とMパイと3人で会うのは、ゴールデンウィーク、お盆、そして大晦日と正月。
毎年、決まった時期に、よくずっと会い続けたと思う。
ゴールデンウィークとお盆と正月は、渋谷にあった東急文化会館で待ち合わせをして、
映画を観に行って、メシを食べて、本屋へ行って、飲み屋へ行く。
お盆はボクの家に集まり、レンタルビデオを見た後、年越し蕎麦を食べてから初詣に出かける。
Mパイは家に帰りたがらず「初日の出も見よう」といつも言ってきたが、
ボクはさっさと家に帰っていた。
まだ爺ちゃんもレイコ叔母さんも健在だったし、
家族と一緒に過ごすのが当たり前、というより、そうしたかったので、
初日の出まで付き合う気がなかったというわけだ。
あと、元旦の夜は、なぜか謙ちゃんと電話で声を交わすのも、恒例化していった。
いつも会話してんのに、元旦もバカ話をするのが楽しくて仕方なかった。
I とMパイの3人で行く大晦日は、まずMパイが結婚を機に脱落した。
結婚した年は、奥さんも一緒に参加したんだけど、
Mパイが「オレが奥さんに気を遣ってつまらないから」という理由で、以後不参加に。
I とそれからしばらく一緒に大晦日を過ごしたが、これも I の結婚と同時になくなった。
恒例化していたけど、さすがに「毎年楽しみ」ってわけでもなかったので、
とくに寂しいという感情はなかった。
というよりもむしろ、家族と一緒に正月を迎えることが、何より新鮮だったし、
大晦日恒例の格闘技をテレビで見たかったので、不思議と寂しさはなかった。
歳を重ねて環境が変われば、大事なものの順序も変わる。
過去の慣例に固執するほうがおかしいのだ。
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大学時代は、いろんなバイトを経験したが、
最も印象に残っているのが、小さなカラオケ屋でのバイトだった。
世はバブル全盛期。
1時間7000円も部屋代を取り、1曲歌うのに200円も取っていたので、
来る客のほとんどがサラリーマンかお店の経営者たちだった。
平日は客がほとんど来ない。金曜、土曜の稼ぎだけで店は回っていた。
ここでボクは、J高時代の友人・謙ちゃんは一緒にバイトをしていた。
謙ちゃんがボクの親友になったのは、この期間一緒にいたことが関係している。
フラれても、バイト先に行けば謙ちゃんがいる。謙ちゃんが失恋したら、ボクがバイト先にいる。
将来について、恋愛について、人生観について・・・
20代の前半、ほとんど客が来ないカラオケ屋で、毎晩ボクらは語り明かした。
謙ちゃんの夢は、ミュージシャンで生きていくこと。
高校時代からこの夢だけはブレずに、本当にメジャーデビューを果たした。
ボクは会社に入り、どんどん出世していったが、
いつも謙ちゃんに遅れをとっているというコンプレックスがあった。
子供の頃からの夢を本当に実現した謙ちゃんに対して、
いくら出世しても、いくら良い給料をもらっても、好きでやっている奴には敵わない。
会社を辞めて、次の転職が決まるまでの間は、短いほがいい。
長くなればなるほど、腰はどんどん重くなる。
新しい環境に飛び込むことが面倒になってくる。
そう感じ出したボクは、まだカラオケ屋でバイトしていた謙ちゃんに会いに、
いつも深夜、カラオケ屋へ遊びに行き、消え失せそうなモチベーションをなんとか保っていた。
このカラオケ屋は、短期間だったが悩める時期にボクを救ってくれた空間だ。
謙ちゃんだけではなく、このカラオケ屋にも感謝している。
バブル崩壊後、激安店がどんどん増えて、週末までガラガラになってしまい、
バイトの謙ちゃんだけで、この店を回していた空間があったからこそ、
ボクは救われたし、謙ちゃんとの友情も深まったから。
カラオケ屋は、謙ちゃんのメジャーデビューが決まるとほぼ同時に閉店した。
バカ騒ぎして、さんざん散らかした挙げ句、悪態を付く客は、近所のホテルマン。
もどしてしまう客は、失恋してやけ酒を飲む女性が多かった。
酔ってはしつこく絡んでくる中華料理屋の支配人。
毎週火曜、会社の帰りに3人で1時間半だけ歌って帰る銀行のOL。
気前がいいのは飲食店の社長だが、いつも何時間も延長するので社員が参っていた。
「夢をもたないとダメだ」と説教してくれたのは、ちょっとキザなテレビカメラマン。
日曜の夕方、家族で歌いに来るのは、ラーメン屋の主人。
巨乳の女部長は怖かったけど、「その気があるならウチの会社に来い」って言ってくれた。
客の残していった乾いた寿司を、謙ちゃんと無言で食べるのが楽しみだった。
重い看板を店内に入れる時、階段を登らなくてはならず、いつもスネに当たって青あざができた。
謙ちゃんと会うと、たまにこのカラオケ屋の話が出ることがある。
あれから20年が経った。
ボクも謙ちゃんもすっかりオヤジになったから、
あの頃のお客さんもかなり年齢を重ねて、いろんな人生を送っているんだろう。
ボクたちと違って、あのカラオケ屋に思い入れを持った客はいるわけがない。
店が無くなったら、違う店に行くだけの話だ。
だけどボクにとっては、バイト時代を振り返る上で忘れられない名脇役である。
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