日本キリスト教団 桜ヶ丘教会

桜ヶ丘教会は日本キリスト教団の中にある健全な教会で、全国にあるホーリネスの群の教会です。

不破与彫(ふわよえる)のお便り

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子ども達と共に

 
しばらく前に原稿をお預かりしておりましたが、掲載が遅れてしまいましたこと申し訳ありません。どうぞ、このページを楽しみにしておられた方々、ご覧ください。
 
「子ども達と共に」
 最近、テレビ新聞等で毎日のように「婚活」という字を目にする。それも、心なしかもの凄く白熱して取り上げられているような気がする。うーん、なんだか、情報操作というか、圧があるのでは?「結婚して一人でも多く子どもを生めー!」といった・・・・。
 ところで、夫の以前の仕事仲間のMさには、二十歳の娘さんを筆頭に八人のお子さんがいる。昨今では珍しい子福者である。その背景には、Mさんご夫妻が格別こども好きであったとか、お二人のキリスト教信仰によって、「産めよ、増えよ、地に満ちよ」と、与えられたまま世に送り出したとか、諸事情が混在するだろう。
 Mさんよりもずっと少数の子ども達をまえに途方に暮れている私などには、別世界の話のような気がしてしまう。そうして、毎年届く写真付き年賀状に写るお子さん達が全員実に明るい笑顔なので、重ねて驚かされている。Mさんご夫妻は素晴らしい子育てをされているのだなあー・・・・と。
 以下は私の勝手な説であるが、子どもが多いご夫妻に共通するものを感じる。それは妻が夫を深く敬愛し、「この人の子どもをもっと産みたい。」と心から望んだ上の祝福なのでは、というものである。望んだ人が望んだだけ授かるとは限らないが、全国の男性が伴侶にこのように思わせることができたら、少子化の問題は氷解するのではないだろうか。
 男性にばかり責めを負わせようとするつもりはない。ただ、「出産・育児は女性の至上の喜び」という決めつけも幻想であるが、子育てが「疲れる。ストレスが溜まる」ものという不必要で否定的な印象が定着しつつあることも言えそうに思うのだ。
 確かに、疲れているママは多い。我が身も含め、つい苛立って子どもにきつい顔、話し方をしているママをそこかしこで度々見かける。このまま「婚活」戦略が成功して子どもの数が増加したとしても、疲れたママも比例して増えていく。イライラしたママと萎縮する子どもが溢れてしまうだけである。どうせなら、誰もがトゲトゲしないで共生したいものだ。
 「子ども」という語から、聖書の御言葉が連想された。マルコによる福音書の10章13節〜16節。
イエスに触れていただくために、人々が子供たちを連れて来た。弟子たちはこの人々を叱った。しかし、イエスはこれ見て憤り、弟子たちに言われた。「子供たちをわたしのところに来させなさい。妨げてはならない。神の国はこのような者たちのものである。はっきり言っておく。子供のように神の国を受け入れる人でなければ、決してそこに入ることはできない。」そして、子供たちを抱き上げ、手を置いて祝福された。
 
 出産数の増加を図るというのは、国の存亡をかけた必死で、反面エゴイスティックな動きのように思える。しかしながら、このことには聖書の思想が根底にあるのでは・・・・。と言っては、こじつけに過ぎるだろうか。
 イエス様の子ども達への愛、憂い、憤り。このお方のように子どもを、更に言えば神の子どもである全世界の人々を、お互いに尊重できる世界が満を持して到来することが、わたしの夢想で、待望である。
 
 

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Tさんのこと

 10年ひと昔と言う。天国に召されて11年になる彼女のことを、桜ヶ丘教会でも半数はご存知ないかもしれない。
 享年29.舌がんに冒され、独身のまま短い生涯を終えられた。愛らしい童顔からはあ思いも寄らぬ雄弁家、勉強家で、ものすごく優秀な女性だった。米国留学を経て、次の春にはイスラエル大使館のスタッフとしてスタートを切ろうとされていた矢先だった。
 不信仰な言い方かもしれないが、もし今もご存命であったら教会と国際舞台をリードする有望株であっただろう。ただ、女性(だけ?)の悪癖で、周囲の人々を敵見方に分けて足場を固めようとする一面もあった。
 ある時私は彼女と意見が分かれて「敵」にみなされてしまった。しかし、私は間接的に彼女のご家庭の事情について聞いていた。育てのご両親の信仰を受け継ぎ、家事や勉学にいそしんでおられることなど・・・・。彼女がいじらしく思われて嫌いになれなかった。いずれ和解できるときが来るだろうとのん気に構えていた。
 そのうちに彼女は留学された。帰国後は、N県のYさん宅から時折上京され、医療機関に通われているという話だった。私は、彼女の病状の詳細を知らずにいたため、ある日曜日の朝、礼拝前に訃報が教会に届いた時には言葉を失ってしまった。
 (でも、今、Tさんは神様の御腕の中で、身も心も安らいでいらっしゃる。本当に良かった)きっと、いつギリギリとご自分を練り上げてきつい辛い思いをされていた彼女に神様が「Tさん、ここへ来てゆっくりやすみなささい。」と優しく諸手を広げて抱き上げてくださったのだ、という確信をもったことだった。
 彼女が周囲を敵味方にわけようとしていたのも、複雑な家庭環境のせいもあられたかも。
 真の理解者、生涯の友と呼べる誰かを渇望しておられたからかもしれないと、家庭内の葛藤を味わって教会にたどりついた私には、それが痛いほど良く分かるのだ。教会やイスラエルの国にとっては痛手であったが、天国に、神様の御許に身を置いているということが、彼女には一番のしあわせであると、私は固く信じている。
 いつの日か、主なる神さまに許していただいて、天の御国に昇って行きたい。そして、御光に包まれてますます美しさを極めて緒らrテルであろうTさんに再びお会いしたい。

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第1回目随想から

                     「お母さんのからあげ」
 霧吹きをスプレイしたような雨の夕刻、娘達のお迎えのため歩いていた団地の小道で、どこかのお宅からちょっとしょう油の香りの強いからあげの匂いが漂ってきた。
「うーん、ちょっとしょっぱそう・・・・・。」という感じと同時に、子どもの頃に食べた思い出のからあげが脳裏に浮かんだ。
 よく料理本にあるようなしょうがじょう油の味つけではなく、お母さんのからあげはガーリックパウダーをまぶす作り方だった。いちごが出回る頃には、半分にカットされて、からあげを持ったお皿の周りに添えられていた。
 両親が離婚してお母さんと二人住まいになってからはいちごの姿は見られなくなったけれど、相変わらずからあげは大好きな一品であった。お母さんは料理が得意だっただけあって、舌も肥えていたようだった。母子家庭の家計はどうしていたのか今考えると不思議なのだけれど、月に一、二回は出前のサビ抜きの鉄火巻や、駅前の評判のラーメン屋のチャーシューメン等おいしいものを食べさせてくれた。
 その後、色々あって、色々あってお母さんとは仲違いして別離し、今では連絡も途絶えている。
 私はそれから成人した後心を病んで、自分の病気のことがわからないまま結婚し、娘を二人授かった。家事も育児もどうしていいものやら、判断力が鈍くなる病だった。その上、実家に婚家に所属教会の人々や娘達の保育園の他の子どものママ達に対する劣等感にさいなまれた。
とうとう
「こんな不信仰な私では、神様に喜んではいただけない。」と神様まで加害者にして、自分で勝手に追い込まれた絶望の淵に、自分で飛び込んで九死に一生を得た。
 かえって悩みごとが増えた今現在。冷たい春雨の中を潜り抜けて私の鼻まで届いた、からあげの匂い。
「神様は、もう一度お母さんと会わせてくださるために、私を生かしてくださったのかもしれない。」
 おぼろげにそんな予感を覚えながら、娘達の許へ向かった。

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