東日本大震災 未来への祈りと伝承〜「みちのく巡礼」

みちのく巡礼は、東日本大震災の祈りの場創設と記憶・教訓の伝承、防災精神の啓発、復興に寄与する活動を行っています。

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2009/1/23(金)
 今日はだいぶ寒さがゆるみました。書き始めた朝には雨でしたが、公開するときには晴れました。

 イランは5000年以上の歴史を持つ国なので、たくさんの遺跡があります。その中でも特筆すべきは、なんと言ってもペルセポリスとイスファハーンだと断言してよいでしょう。とりあえずはこの二つに絞って紹介したいと思います。そのほかの文化遺跡は、シルクロードの旅が進んでイランに入ってから、旅の様子とともに紹介する予定です。
今日はまず、ペルセポリスです。私が今まで訪れた遺跡の中では最大規模です。

[本日のシルクロード美人] チャドルの微笑み  

[本日のシルクロード]


ペルシア帝国の繁栄を誇る壮麗なペルセポリス

 ペルセポリスに降り立った時、澄みわたった空からあっけらかんとした夏の日差しが照りつけていた。黒いチャドルで身体を覆った女性たちも、ここではイスラムのしがらみから開放されて、ピクニック気分で笑顔が満面にこぼれていた。

イメージ 1 ペルセポリスの建物は石を積み上げた大基盤の上に築かれている。入口は111段もの大階段である。岩盤をそのまま切り出したという階段は、段差が10センチほどと低く、王侯貴族たちはここを輿や馬に乗ったまま上り下りしたという。
 階段を上って行くと、目の前に現れたのが「万国の門」(クセルクセス門)である。


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 この門は高さ15メートルほどある。門柱に控える二頭の牡牛像は上半身が崩落して見る影もない。門をくぐった東側の出入り口に立つ有翼人面獣身像は、かろうじてその雄姿をとどめている。しかし、顔は傷つけられている。偶像崇拝を嫌ったイスラム教徒によって、像やレリーフの多くが顔や頭部が失われている。

だが、無事に残されたものは実にみごとだ。ダレイオス1世の謁見の間は、アパダーナ宮殿とも呼ばれているが、この宮殿に上るための東階段の側壁面には見事なレリーフが刻まれている。建築から2500年経っているというのに、精緻を極めた往時ののみ捌きをそのまま残している。
 各国の外交使節や属国の朝貢使節が描かれており、それぞれの国の衣装や献上物が特徴的に描かれ興味深い。

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 そしてその壁面の左右(階段スロープの壁面)には、牡牛を襲うライオン像が刻まれている。ライオンはペルシャ王を、牡牛は敵を表している。
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 ]百柱の間は、往時には100本の柱を有したペルセポリス最大の広間イメージ 8であったという。入口には、23の属州の臣民に担がれている王を描いた「玉座の王像」や、対峙した牡牛に探検を突きつけている「悪魔と王の闘争像」が彫られている。絶頂期にあったアケメネス朝の権勢を誇示するものだ。
 
 緻密なレリーフなどから、ペルシャは征服地の宗教を許容し、文化的な多様性を尊重したことがうかがえる。そうすることで、西はエジプト、東はインドまでの大帝国を築き上げることができたのである
このペルセポリスも200年後アレキサンダー大王に敗れて灰燼に帰した。

イメージ 6 アパダーナで、大の字に寝そべって空を仰ぎ見た。かつてそこにあったであろう極色彩の梁や天井に代わって、抜けるような青い空が広がっている。仰ぎ見る列柱は、次第に空と一体になり、一瞬、天から神々しい何かが降り立つような幻想にとらわれた。

 丘の上にあるダイオス3世墓からペルセポリス全体を見下ろした。一瞬、いにしえの夢の世界に引きずり込まれた感覚になっていた……想像の都がそこにあった。
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 眼前に広がる壮麗な宮殿や広間は華やかな歴史劇の舞台となっていたに違いない。ペルセポリスは古代アケメネス朝ペルシャの最盛期(前6世紀)に築かれた都市である。
 自分がペルシャ大王になって自分の都を眺めている――そんな気分に襲われた。宮殿や建造物をそれぞれ一つひとつ部分的に見るとバラバラに感じたが、こうして眺めると、柱やレリーフが整然とバランスよく並んでいる。当時のペルセポリスの都を連想し、アケメネス朝の繁栄をゆっくりとしのびながら、楽しい、貴重な時をすごさせてもらった。

[写真紹介コーナー] 紀行文に登場しなかった写真

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閉じる コメント(6)

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写しての思いがこめられた写真に魅了されます。

2009/1/23(金) 午後 1:47 生涯現役塾 返信する

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ベルセポリス他の素晴らしい写真と紀行記を見せていただき有難う御座います。
アケメネス朝ペルシャのキュロス鏡いBC539年にバビロニアを滅ぼし、捕囚されていたユダヤ人を解放し、勢力下におきながらもパレスチナにユダヤ教の神殿の建立を許しました。
ユダヤ教はこの時ペルシャ人の信じていたゾロアスター教の影響を受け、旧約聖書が完成した、と言われています。
ギリシャのヘロドトスの書いた「ヒストリー」はペルシャのダレイオスがギリシャのアテネ他の諸ポリス国家を攻めたペルシャ戦争(BC492〜449)を記したものですが、これが西洋史「ヒストリー」の始まりになっています。
この戦争をヘロドトスは最終的にギリシャ側の勝利としていますが、侵略されなかっただけで、ペルシャを滅ぼした訳ではありません。
紀行記にありますように、アレキサンダーに滅ぼされるまで、世界一の帝国であり続けました。
見せていただいた写真や紀行記では、近年我々が耳にしたイランの激しい戦火や厳しい政治状況とは別世界のように見えます。
これは、イラン人が悠久の歴史を辿ってきたと言う民族の存在感の現れなのでしょうか。

2009/1/23(金) 午後 3:15 [ wak**755 ] 返信する

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写真 きれいにはっきり、撮れていて・・・ 見ていると行きたくなります。
実際にやっぱり自分の目でも 実物を見たいですっ!

2009/1/23(金) 午後 10:28 [ chiaa ] 返信する

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wak**755さん いつも有益なコメントありがとうございます。「イラン人が悠久の歴史を辿ってきたと言う民族の存在感の現れなのでしょうか」のご意見まったく同感です。実際にイランの人たちと接触した時、プライドの高さを強く感じました。自分たちこそ ペルシア」の血を引くもの、また宗教的にはマホメットの子孫を仰ぐもの――そうした点アラブに対する優位性を感じました。

2009/1/24(土) 午後 9:49 [ moriizumi arao ] 返信する

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生涯現役塾さん 最初は闇雲だった写真に、もだんだんハートがこもってきました。「消せばいいや」から、すこしずつ自分のこころを写す「写心」ななったかな、と感じています。それにしてもっ種類のカメラはきつかったですねえ。

2009/1/24(土) 午後 10:31 [ moriizumi arao ] 返信する

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chiaaさん ペルセポリスとイスファハーンは見たりなくて結局二度いきました。1回目は9人の旅だったのですが、2回目はひとり旅で自由だったこともあって、新しい発見がたくさんありました。

2009/2/2(月) 午後 1:55 [ moriizumi arao ] 返信する

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