[コメント]
大雁塔を出発した時には、次の訪問先は約1キロ先の陝西歴史博物館にしようと思っていました。
しかし、すぐに気持が変ってしまいた。
逆戻りしてもいい…。
やっぱり空海に、先に会いたくなりました。
ちょっとルートを変えて、空海の修行の地「青龍寺」へハンドルを向けていました。
これがひとり旅の」気軽さだ。 これがよさですね。
「陝西歴史博物館」 ちょっとごめんなさい。
[シルクロード紀行]
空海へ想いをはせて静龍寺へ
陝西歴史博物館を横目にしながら、その先の青龍寺へ向かいました。
1989年についで二度目の訪問です。
青龍寺は、西安の市の東南部楽遊原にあり、582年に創建されました。
元の名前は霊感寺といいましが、711年に青龍寺と改名されました。
唐の時代にはかなり有名な寺院でした。
空海は、私にとっては、三度歩き通した四国遍路のシンボルなのです。
その空海の修行の地として思い入れが深い寺です。
空海はここで恵果法師に真言密教について教えを請い、
また、苦労して中国仏教密宗文化を学び、漢学についても研鑚を積みました。
彼は博学で、造詣も深く、仏教、詩、詞、サンスクリット、書などについても成果をあげました。
806年、多数の仏教経典や書籍を携えて帰国。
奈良の東大寺で日本密宗真言宗を開きました。
道場を開いて、密教を広め、日本留学僧の中でも数少ない仏学大師となり、「東密」の開祖とりました。
1981年、日本仏教界は青龍寺の境内に、空海記念堂と空海記念塔を建立しました。
引き続いて、1986年には日本から桜の木1000株が送られました。
私が訪れたのは、2度とも8月だったので、残念ながら西安の桜は見ることは出来ませんでした。
恵果と空海 空海のレリーフ
師の恵果と空海との出会いについては、「空海の風景」(司馬遼太郎)など何冊かの本で読んだことがありますが、そのときの様子を空海自身が書いた「御請来目録」で次のように伝えています。
「和尚は自分を見て微笑み、歓喜しておっしゃいました。「私は前もってあなたが来るこを知っていて、長いこと待っていました。今日やっと会うことが出来ました。とても良いことです。とても良いことです」
このレリーフはそのときの様子のように思えて、想いを込めていつまでも見入ってしまいました。
空海は日本に帰ったらこのお寺と同じ名前のお寺を立てようと決心したとのことで、
四国88ヶ所の三十六番青龍寺(こちらは「しょうりゅうじ」と読みます)がその寺です。
次は、陝西歴史博物館へ向かいます。
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遥かなる昔の先人の足跡を辿る旅って感慨深いものがありますよね。先人の心境を自分の心と重ね合わせたりして、旅がとても思い出深いものになります。シルクロードって人が何千何万も意思(と足跡)を重ねてできた道だから、惹かれるんですよね。いいですね。
2009/2/20(金) 午前 3:19 [ Kurocelestar ]
シルクロードへ行く前に、四国歩き遍路をしたのですが、1200年間、営々と築かれてきた遠路道の歴史と重さ、そして先人のお遍路さんの思いも感じながら歩いていました。
2009/2/20(金) 午前 10:29 [ moriizumi arao ]
お遍路にも興味があります。シルクロードとお遍路はやはり違うところが多いのでしょうね。
2009/2/20(金) 午前 10:56 [ melf ]
melf さん シルクロードと遍路道の違を意識したことはありませんでした。私は今始めて意識しました。大きな違いは、シルクロードは商業の道・交流の道、遍路道は心の修養の道ということではないでしょうか――私はそう思います。
2009/2/25(水) 午前 10:48 [ moriizumi arao ]
こんにちは、
この写真を見て感激です。
絶対に青龍寺には行きたいです。記念堂もあるんですね。
2012/7/1(日) 午後 2:06
asayanさん
西安は遍路関係者にとっては原点的な町ですよね。
2012/7/1(日) 午後 2:32 [ moriizumi arao ]