東日本大震災 未来への祈りと伝承〜「みちのく巡礼」

みちのく巡礼は、東日本大震災の祈りの場創設と記憶・教訓の伝承、防災精神の啓発、復興に寄与する活動を行っています。

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兵馬俑坑は1974年に井戸掘りをしていた農夫によって偶然発見された。1号坑は、東西230m、南北62mで約6000体の歩兵が並ぶ。 
 
兵馬俑坑の発見
1974年、ひとりの農民が始皇帝陵の東側1.5kmで井戸掘りをしたところ、
陶俑の破片を見つけた。
「俑」というのは、墓に副葬(墓主へ供えるものを埋納すること)する人形のことである。
これが兵馬俑坑発見の瞬間だった。
それから翌年にかけて1回目の発掘調査が行われ、
陶俑、陶馬、木製戦車、青銅の武器などが多数発見された。
このことが発表されるやいなや、世界中に大センセーションが巻き起こり「考古学における20世紀最大の発見」といわれた。
以後、整理・修復をしながら発掘が続けられ、20世紀から21世紀にかけての大事業となった。
兵馬俑博物館
1989年に訪れたときには、兵馬俑坑はまだ発掘中のため一般公開されておらず、
発掘された俑や銅車馬が陳列されている博物館だけが公開されていた。
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                1989年の入場券

このときには、博物館のすぐそばに駐車場があるだけだったが、
今は、周辺はすっかり緑地化され、きれいな花が公園いっぱいに咲き乱れていた。
博物館施設も格段に充実された。

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   周辺は公園に整備       1号館外観         文物廟入口   

タクシーを降りて歩き出すと、観光客に大勢の売り子が群がっている。
〈くわばら、くわばら〉遠回りをして、入口まで行ったが、やっぱり見つかってしまった。
だが無視してそのまま入場券売り場へ直行した。

ここでも見学料金は外国人と中国人が同じになった。
16年前には、どこでも外国人は中国人の3倍〜5倍くらいの値段だった。
当時は、外国人観光客は有力な外貨稼ぎの対象であり、それだけに優遇もされた。
洛陽駅では、当時の国家主席小平氏などが使用する、待合室に案内されたのには驚いたものだった。
白いカバーの付いたソファーに腰を下ろして、却って緊張したのを覚えている。
21世紀を向かえたのを機会にして、どこの観光地でも足並みをそろえて、
いわゆる外国人料金が撤廃された統一されたとのことである。

イメージ 12俑坑は全部で4つ見つかっている。
第4号坑は、発掘した結果空であった。
現在1,2,3号坑が公開されている。
まず、2.3.1号坑の順に見学し、引続き、秦銅車馬展覧館を見学した。

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      2号坑入口                3号坑入口             秦銅車馬展覧館         
「撮影禁止」の看板が一応出ているが、撮影は可能で、どの観光客も自由に撮影していた。
16年前にはは撮影禁止が厳密に守られていた。
フィリピンのスカルノ大統領夫人のエメルダさんや、イランのパーレビー国王夫人もカメラ撮影を希望したが断られたというエピソードもある。

これらのエピソードは、私の心に残っている。
『NHKシルクロード 第一巻 長安から河西回廊へ』から引用して紹介しよう。

――「アイ・キャント・ビリーブ・イット」
イメルダ夫人は、そう言って絶句した。
秦始皇帝兵馬俑坑が、広大なスケールをもって彼女の眼前にひらけた時のことである。
当時のフィリピンのマルコス大統領夫人イメルダは、
毛沢東主席とも会談したことのあるフィリピンナンバー2の要人。
世界のトップレディーのひとりでもあった。
「写真を撮ってもいいかしら」
彼女は、案内人をつとめる陝西省文物管理局の考古学社にたずねた。
あなたの脳裏に充分焼きついたでしょう。それ以上の記録はないでしょう」
考古学者はそういって撮影を断った。
大統領へのこの上ないおみやげを、彼女は断念せざるを得なかったのである。

――VIP専用車「紅旗」が西安市街をぬけ陝西省賓館へ向け疾走していた。
車には、当時のイランのファラオ王妃。
彼女は陝西省博物館に展示してある「蘇諒妻馬氏墓誌(そりょうさいばしぼし)」を目にした感激を
一刻も早く夫パーレビ国王に伝えたかった。
時刻は、今、西安が朝10時半、イランの首都テヘランはまだ6時半。
国王へ電話するにはまだちょっと早すぎると思ったが、興奮をおさえることは出来なかった。
宿舎の賓館へ着くや否や、彼女は本国へ緊急電話を申し込んだのであった。
蘇諒妻馬氏墓誌。
一見したところでは何の変哲もない小さな唐代の末期の墓誌(埋葬されている人の履歴、功績などを刻んだ石版。墓の前に立てるもの)である。
しかし、この墓誌には古代 ペルシア文字が刻み込まれている。
ペルシア帝国の繁栄と東西文化の交流を証明する貴重な文化財である。
しかも、この ペルシア文字は、エジプトとインドにそれぞれ1件、そして西安のこの墓誌、
あわせて世界には3件しか存在しないといわれる古代の証言者である。
王妃はパーレビ国王にこう話したのであった。
「ここがシルクロードの出発点、そしてターミナル。私はいまそこに立っている!」

これを本で読んだ時、私の興奮していた。

明日は西安碑林博物館でこれにお目にかかることが出来る。
実は、16年前に碑林を訪れた時には、その背景は知らなかったので、
数ある展示物のひとつとして見逃してしまったのだろう。
今度はしっかりとお目にかかりたいと思う。

――私が2度目に西安を訪れた翌年の2006年にときめくような報道がなされた。
同年6月28日の新華社電によると、始皇帝陵の陪葬墓から出土した人骨がペルシャ系のDNAと同じ特徴を持つ男性の骨と分かった。
ただ、その骨が蘇諒妻馬氏のものかどうかについては触れていなかった。

話は変るが、兵馬俑発見者は楊志発さんという農夫で、現在は、館長を務めている。
写真集(120元)を買ったらこころよくサインしてくれた。
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兵馬俑の様子までお伝えすると写真が膨大になりますので、
次回にまわすことにして、分割します。次回をお楽しみに。

簡単に予告編です。
1号抗は6000対の武装した兵馬俑で、中国を統一した秦軍の威容を現在に伝えています。
2号抗は弓を持った歩兵隊、戦車隊、歩兵と戦車の混成部隊。
3号抗は兵馬俑の最高指揮機関と考えられる場所で、指揮車1輌、作戦本部と考えられる部屋もありまた。
秦銅車馬展示館には、実際の2分の1サイズで作成された二組の銅製の馬車が展示されていました。
いろいろな俑もたくさん展示されていました。

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やっぱり西安といえば、この兵馬俑ですよね。
私もいつの日かこれを見に行きたいです。圧倒される
のでしょうね...

2009/3/1(日) 午前 9:50 [ zakzak ] 返信する

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一番大きな1号坑へ入ったとたん、壮大さにがあんと来ました。
みなさん明日はきっと見てくださいね。

2009/3/2(月) 午前 0:57 [ moriizumi arao ] 返信する

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イランのファラオ王妃が、中国の古の墓誌に古代ペルシア文字が刻まれ、それ(古代ペルシア文字)が世界に三件しか発見されていない古代文字の物証とあっては、ご自身の立場と相まって、感極まることまさしく夢の如し、です。 世界は相変わらず不安定ですが、彼女のような歴史の結びつきの中に喜びを抑えきれない興奮の様子は、真に胸を打ちます!(嬉) 1974年は、私の誕生年ですね(嬉) 兵馬俑坑、これは是非とも行かねば! ブログがどんどん充実していくので、体調を整え、心のエネルギーを満タンにして訪問しないと、記事の中で興奮しすぎて、迷子になりそうです(笑) 俺のブログの中で、ミイラとりがミイラになったと、先輩に笑われないように、訪問する前に、ヘビに睨まれたカエルのように、息を飲みます(喜)

2009/3/12(木) 午後 11:40 [ 天心 ] 返信する

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