東日本大震災 未来への祈りと伝承〜「みちのく巡礼」

みちのく巡礼は、東日本大震災の祈りの場創設と記憶・教訓の伝承、防災精神の啓発、復興に寄与する活動を行っています。

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2009年3月4日水()

[シルクロード紀行]

楊貴妃のラブロマンス 〜華清池〜
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入場門を入ると、体をしなやかに傾けた白い楊貴妃が妖として迎えてくれる。
池の向こうに見える驪山には青々とした木々がこんもり茂り、清涼感を感じさせてくれる。
いつ来ても風光明媚だ。

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華清池は、唐の詩人白楽天の「長恨歌」に歌われた唐の玄宗皇帝と楊貴妃とのラブロマンスの舞台として有名である。
3000年前の西周の時代から使用されている温泉保養地である。
私が以前ここを訪れたのは、玄宗皇帝や楊貴妃が使用した浴室が発見された1986年の3年後だった。

華清池の目玉はなんと言っても玄宗皇帝と、楊妃が使用した風呂である。
以前の時には、楊貴妃の浴室を見るだけで、入場券のほかにさらに30元も取られたちょっと苦い思い出があった。入場券とあわせて80元で、当時とすればかなりの高額だった。
またも別料金ならば見るのをやめようと思ったが、幸いにもすべて通しで30元だった。
内外統一料金はありがたい。

玄宗皇帝のお風呂は蓮花湯といい、10.6m×6mの白大理石造りである。
程よい温度に設定されていた。
楊貴妃のお風呂・海棠湯(かいどうゆ)は、3.6m×2.7mとちょっと小ぶりで、海棠の花の形に似ていることからこの名がついたのだそうだ。
池の周りにも海棠が植えてあり、ピンクの華麗な花を咲かせていた。

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玄宗皇帝のお風呂の由来となった蓮    楊貴妃のお風呂は海棠の花びらを2枚合わせた形に似ているところから名付けられた

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    海棠湯の建物             玄宗皇帝の風呂・蓮花湯        楊貴妃のお風呂・海棠湯

イメージ 8ここが長恨歌で「「春寒くして浴を賜う華清の池、温泉の水滑らかにして凝脂を洗う」と歌われた有名な風呂なのである。
楊貴妃もかつてはこの湯に身をゆだねて、そして玄宗の寵愛にすべて捧げたのであろう。  
彼女は則天武后や韋后のように、何かの思惑を持ったり、権力を求めるたりはしなかった。
だからこそ、華清池に伝わる彼女の伝説は、現在の私たちの心の中に深く刻まれているのかもしれない。

玄宗は楊貴妃に溺れ、長恨歌に「これより皇帝は朝早くには朝廷に出て来なくなった」と歌われているように、政治をおろそかにするようになった。
そのために、755年安史の乱が起きた。
この乱を起こした安禄山は康国(サマルカンド)出身のソグド人と突厥系の混血で、私がこれから向かうシルクロードとは縁がある。

イメージ 9海棠湯のそばに長恨歌の石碑が設けられた。
詩を口ずさみながら、久しぶりに玄宗と楊貴妃の蜜月のような甘い生活と悲壮な死別を偲んだ。

一方、華清池は西安事件の舞台としても有名であり、五間庁の窓や壁には無数の弾痕があった。
ここで蒋介石が捕えられ、第2次国共合作へと発展するのである。
この弾痕はせっかくのロマンの地に水を差すものだが、これもまた厳然たる歴史なのである。


イメージ 10出入り口から駐車場までは土産屋がびっしり並んでいる。このあたりもざくろの産地で、門前の果物屋に沢山並んでいた。
夏蜜柑ほどもある大きなもので、珍しいので1個買おうとしたら、1個では売らない。
仕方なく2個買って運転手とふたりで食べた。大きい割合には大味でなく、甘さと酸っぱさが程よく調和していて、ざくろファンになった。

華清池から西安へ向かい高速道路を走っていると「帯路」(道案内)という文字を書いた厚紙を持った人が、何人か高速道路の端に立っている。
おそらく、道案内するから車に乗せてくれ、ということなのだろう。
日本ではちょっと見られない風景だが、中国では時々見かける。
「田舎の人は、タクシーと乗用車の区別が付かないんだから…」と運転手はぼやく。
華清池から西安へ戻り、その日最後の見学場所清真大寺へと向かった。

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日本文化の起源と思われる中華文化、
細密な仕事に豪華な創りばかりですが
丁寧さがやはり大陸的な感覚と日本とでは差があるように思っていますが、如何なことでしょうか。

2009/3/5(木) 午後 4:09 文麿

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私が何度か中国を訪問した印象では、やはりジョージさんと同じ印象を受けますした。特に建物の場合、彫刻や絵などは、建物の全体を引き立たせるひとつのパーツとしてとらえているのではないでしょうか。日本の芸術では、絵、書、彫刻いずれでも1本いっぽんの線を大切するのに対して中国では、調和などの全体美を大切にしているように思います。美のとらえ方に違いがあるようです。
私は以前京都や奈良のお寺回りをしたのですが、何ヶ寺回ってもそれぞれ、仏像、建物、庭にそれぞれ違った趣を感じて飽きなかったのですが、北京でお寺や庭園めぐりを10日以上姉妹たら、最後の方は、みんな同じ感じに見えて、あきがきてしまいました。

2009/3/5(木) 午後 4:55 [ moriizumi arao ]

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華清池という場所は歴史もあり、とても景色の良い
場所ですね。写真のような天気の良い日は、きれい
な写真がとれそうです。一見の価値のある場所だと
思います。

2009/3/5(木) 午後 7:37 [ zakzak ]

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こんばんは ももんがの嫁です。

楊貴妃といえば、傾国の美女の代表みたいにいわれますよね。
美しく生まれる、というのは女性にとっては幸せな事なのに
なんだか可愛そうないわれ方だと、極々一般人の私は思います。

それにしても、国が傾く程の美女ってどんな人だったのでしょうね。
タイムマシンがあったら会ってみたいです。

2009/3/5(木) 午後 8:18 ももんが

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zakさん 確かにいいところですよ。ただあまりにも観光化しすぎかな? という気もしました。20年前に言った時は素朴さが残ってよかったような気がします。そうは言ってもっても建物が復元されて昔に近くなったのかな?

2009/3/10(火) 午後 5:11 [ moriizumi arao ]

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ももんがさん 私もタイムスリップしたいですね。そして、傾国・傾城美女めぐりなんていいんじゃありませんか? ところで、中国5千年の歴史の中で、「傾国の美女jと呼ばれた人を思いつくままに挙げてみますと、
妲己(だっき)、褒姒(ほうじ)驪姫(りき)西施(せいし)
楊貴妃(ようきひ)虞美人(ぐびじん)などですが…、
ところが、安能務氏は『春秋戦国志』(講談社文庫上巻P35〜)で「傾国」と「傾城」を峻別したうえで、傾国の美女は、中国史上でも3名しかおらず、そのうちのベスト1が褒姒、2位が妲己、そして3位を西施としています。
それを読んだ時私もびっくりでした。
こんなことまで書いて、ちょっと悪乗りしすぎましたかなあ〜。

2009/3/10(火) 午後 5:39 [ moriizumi arao ]

華清池に行った時の事を思い出しました。
又行きたくなりました。

2009/9/4(金) 午前 6:43 プニまま

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ベルチャままさん 華清池は行くたび変わっていました。ちょっと観光化されすぎの点もありましたが、それでもよかったですね。

2009/9/4(金) 午後 2:52 [ moriizumi arao ]

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楊貴妃。。。いったいどんな 美しい賢い??女性だったのですかね。。。ほんと 魅力的な女性だったんでしょうね。。
興味ありますね。

2009/12/15(火) 午後 10:57 [ リノ ]

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リノさん
楊貴妃 当時は相当な美人だったのでしょうが、現代日本に来ると要メタボ注意だったかも。
ある歴史の本には80キロくらいあったのでは? なんて書いている人もいますよ。(笑)

2009/12/16(水) 午後 9:15 [ moriizumi arao ]

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楊貴妃を見に西安に行ったのに、
兵馬俑で財布を(取られて?)失くし、見られませんでした。
傾国の美人イメージの楊貴妃が あの像ではちょっと興醒めですが、現代の中国人も結構傾国美人が多くポチ!でした。

2010/8/19(木) 午前 9:31 [ EGACITE ]

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EGACITさん
残念でしたね。
私なんかはなくしやすいので、3箇所に分けて用心しました。
忘れっぽい私ですが、海外旅行中は不思議とお金がなくなったことはありませんでした。
緊張しているのかな?

2010/8/19(木) 午後 10:51 [ moriizumi arao ]

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