2009年3月7日(土)
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[シルクロード紀行]
西安碑林博物館 〜シルクロード交流の足跡〜 ~
西安碑林は宋代に孔子廟を利用されて作られた。
西安碑林博物館正門入口 碑林の玄関
西安碑林博物館は、宋の時代に建てられた孔子廟を利用した博物館で、
歴代書家の石碑を数多く収集、展示している。
館内は「西安碑林」「歴史陳列」「石刻芸術」の3つに分かれている。
「西安碑林」 「歴史陳列」 「石刻芸術」
今回の西安碑林博物館には、ことの外思い入れがあった。
以前来た時には、なんら予備知識もなく、
せいぜいここには中国歴代の書家が書いた書の石碑が集められている、というくらいの認識しかなかった。
事前に調べてみるとここには、シルクロードの交流を伝える貴重な石碑がある。
今回は、三つの見学ポイントを持ってやってきた。
1)やっぱり一番の楽しみは、イランのファラオ王妃が感動した、古代 ペルシア語で書かれた「蘇諒妻馬氏墓誌」をこの目で見ることである。
ぜひ探し当てたいと思っていた。
2)第二室の「大秦景教流行中国碑」は、キリスト教の一派である景教(ネストリウス派)が、大秦国(ローマ)から伝わった古都を示す貴重な碑文である。
密教を伝授したインドの僧・不空和尚の功績を表した「不空和尚碑」も、シルクロードの交流を示す証だ。
3)それから、「平成」「昭和」「明治」などの元号は四書五経から取ったものだということを、確認したかった。
元号が昭和から平静に変った時、当時の官房長官小渕恵三氏が「平成」と書かれた紙を掲げて「新しい元号は平成です」と発表したシーンは記憶している人が多いと思う。
私が前に来たのは、まさに平成元年(1989年)8月だった。まさか、変ったばかりの元号のいわれが書かれた書が、碑林にあるとは知らなかった。
それから、私がおなじみの願真卿や王義之など有名書家の書も改めて見てみたIということもあった。
「西安碑林」
まず、真っ先に奥手にある碑林から見学を始めた。
「西安孔廟(孔子廟)」の古代建築群を活用する形で拡充された碑林には、文字や図像を刻んだ多数の石が集められている。
現在の館所蔵の文物は11000点余りである。
漢代から清代にかけての石碑が集められ、博物館の展示物のなかで最も有名である。
書道の大家の作品が立ち並んでいるほか、
玄宗皇帝の書もあり、キリスト教の伝来を伝える「大秦景教流行中国碑」もここにある。
石碑の総数は2000点以上にも上り、中国最大の書道芸術の宝庫といえる。
65万文字に及ぶ十三経の石碑が並び、王義之、欧陽通、慮世南、顔真卿ら書道大家の原 刻碑100基も展示されている。
キリスト教伝来の「大秦景教中国碑」も入っている。
入口の前の碑亭には、唐の玄宗皇帝直筆の「石台孝経」が立っていている。
これは儒家の経典孝教に注釈を加えて隷書で書いたものである。
隷書は私の好きな書体だ。
碑林の入口には碑亭があり、「石台孝経」が立っている。
中に入ると我々もよく知る願真卿、王義之などの書の石碑が立っている。
碑を読みながら進んでいくと、論語の有名な一説がいくつも出てききて、思わずうれしくなった。
子曰、吾十有五而志于學。三十而立。四十而不惑。五十而知天命。六十而耳順。七十而從心所欲、不踰矩。
子曰く、吾(われ)十有五にして学に志す。三十にして立つ。四十にして惑わず。五十にして天命を知る。六十にして耳順う(したがう)。七十にして心の欲する所に従えども矩(のり)を踰えず(こえず) 。
子曰、學而時習之、不亦説乎、有朋自遠方来、不亦楽乎、人不知而不慍、不亦君子乎
子の曰わく、学びて時にこれを習う、亦た説(よろこ)ばしからずや。
朋あり、遠方より来たる、亦楽しからずや。人知らずして慍(うら)みず、亦君子ならずや。
などが判別できたと魯媚を味わった。
孔子像 子曰、吾十有五而志于學。三十而立。四十而不惑。五十而知天命。六十而耳順。七十而從心所欲、不踰矩。
子曰、學而時習之、不亦説乎、有朋自遠方来、不亦楽乎、人不知而不慍、不亦君子乎 …
わが国の近代の元号、平成、昭和、明治などは四書五経からなどから取ったものである。
わざわざ、マジックで印がついているので、見つけやすかった。
日本人観光客を見越しての館側のサービスなのか? 観光客の書き込みなのか?
いずれにしろあまりいい感じはしなかった。
現在の元号は、書経の中にでてくる言葉、「地平天成(地平かに天成る)」が由来とのことで、
「内外、天地とも平和が達成される」という意味である。
また、すぐそばには「百姓昭明、協和万邦」の文字もあり、
「昭和」はここから引用されたといわれている。
「たぶん1992年だったかな? 天皇陛下ご夫妻もお出でになった時ご覧になったのですよのですよ」と服務院が教えてくれた。
さて、シルクロードを通しての文化や宗教の交流についてであるが、
最も楽しみにしていた「蘇諒妻馬氏墓誌」は残念ながら見つけることは出来なかった。
館内にいる服務員に尋ねてみたが、私の中国語が不十分で質問が相手に伝わらなかったのか、結局わからなかった。
キリスト教がローマ帝国からシルクロードを通って中国に伝わって流行したことを示す「大秦経教流行中国碑」や「不空和尚碑」を確認できたし、キリスト教会の道徳寺の碑、インドから伝わった達磨のレリーフなども見ることが出来たので、ひとまず満足と言ったところだ。
大秦経教流行中国碑 中国における大秦景経の流行を示す貴重な碑。右はギリシャ語で書かれている。
弘法大師の師の師 不空和尚碑 右は拡大
キリスト教の教会道徳寺碑 インドから伝わった達磨大師のレリーフ
[コラム]
碑林には古代中国と外国の友好往来の史実を記載している石碑もある。この中で、大秦景教流行中国碑は外国にも名高い石碑である。この碑を刻んだのは781年で、もとは長安大秦寺にあった。大秦とはローマ帝国を指す中国古代の呼称で、景教とはキリスト教の一会派である。この碑文に記載された景教の教義、教規などによって、古代中国におけるキリスト教の伝播状況や国際交流、友好往来の関係が明らかになっている。特に、碑の上にはシリア文字の職名が刻まれており、古代中国と古代のシリア、イラン、ローマ、アラビア半島諸国との友好往来を研究する資料としても価値が高く、この友好往来の史実を記載した資料は古今東西にこれしか存在していない。
唐広智三蔵碑の内容はインド僧不空三蔵が布教師として長安を訪れ、大興善寺で真言密教を伝授し、サンスクリット経典77部、127巻を唐語に訳経したことである。中国の宗恵果は不空三蔵に就いて密教を深く学び、また、これを日本の空海に伝授した。これが所謂三国三大法師の関係である。この碑文は楷書で、唐代の有名な書道家徐浩の筆である。
石碑の土台は亀のような形をしているが、亀ではなく「亀趺(きふ)」という亀と竜の合いの子である空想の動物である、と館の服務員が説明してくれた。
見学してすぐ気づいたのだが、かなりの数の石碑が削り取られたり、割られたり損傷している。
文化大革命の折に破壊したとのことだが、、大変残念な思いがする。「貴重なものを…、ほんとうにもったいない」という思いで、心が痛んだり、怒りも感じながら鑑賞した。
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moriizumi araoさんは”目的意識を持たれて旅行されている”その姿勢を私も見習いたいと思っています。「平成」「昭和」「明治」などの元号の由来は四書五経からだったのですね。傑作です。
2009/3/10(火) 午後 8:48 [ mog*m*13 ]
mog*m*1338さん 返信遅れてすみません。傑作ありがとうございます。私は、胡小渕恵三氏が「平成」の元号を発表した時、ある学者が開設したのを興味深く聞きました。
2009/9/1(火) 午後 6:42 [ moriizumi arao ]
今までで一番興味しんしんで読みました。書道をやっているので
石碑の臨書とかやるので、実際こうやってみたいとおもっても
行けないので すごく勉強になりました。
願真卿、王義之 なんて 知っている人 あんまりいなくないですか??
ちょっと嬉しくなりました。
moriizumiさんは書道とかやったことあるのですか??
2009/12/15(火) 午後 11:03 [ リノ ]
リノさん
役に立ててうれしいです。
実は字が下手なので小学生からやらされていました。
孝行でも選択して、社会人になってから少しやりました。
2009/12/16(水) 午後 9:07 [ moriizumi arao ]
素晴らしいの一言に尽きる感じの石碑群ですね。
しかし、考えてみれば、本来はそれなりの場所にあってこその物なのかも知れないなと言う感じもしました。
2010/4/21(水) 午後 9:43
忠さん
ほhhとほんと!
私もそう思いながら見ていました。
2010/4/22(木) 午前 9:56 [ moriizumi arao ]
cst*n77* さん
ナイス☆ありがとうございます。
2015/3/6(金) 午後 10:23 [ moriizumi arao ]