東日本大震災 未来への祈りと伝承〜「みちのく巡礼」

みちのく巡礼は、東日本大震災の祈りの場創設と記憶・教訓の伝承、防災精神の啓発、復興に寄与する活動を行っています。

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杜泉新生のシルクロード2万キロをゆく4

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                  慈恩寺と大雁塔

2009年4月9日(木)

[コメント]
私が巡ったシルクロード2万キロの旅を、写真とエッセイで紹介します。
 既に西安の部分は、34回に渡って紹介していますので、総集編の感覚でご覧ください。
初めての訪問の人や久しぶりの人は、「はるかなり長安」や「麗しき ペルシア」もご覧ください。

仏教の伝来 〜鳩摩羅什と玄奘三蔵〜

イメージ 11 この古都西安(長安)で、膨大な経典をを漢訳した二人の僧侶がいた。鳩摩羅什(くまらじゅう)と玄奘三蔵(げんじょうさんぞう)。この二人は言葉と精神を永遠のものとし、いまだに私の魂を揺さぶる。今日はその二人の僧ゆかりの古刹を訪れて、偉業に打たれ、そして思ってみたい。
 唐の時代、長安の都はまさに国際都市だった。版図ははるか西アジアにまで広がり、城内を東西の文物が行き交っていた。その長安を目指して、わが国からも多くの有能な人材が渡った。その中に、若き留学僧空海の姿があった。なぜ空海が命を懸けてまで唐の都長安へやってきたのか?
それは仏教の源流に迫りたいの思いからであった。約1200年の時を隔てて、西安の街にその足跡を辿ってみたい。阿倍仲麻呂も私の心の奥に子どもの頃から住み着いている。
こうした先人たちの思いをいくらかでも感じ取りたい……そんな高まる気持でペダルを漕ぎはじめた。

「質素だった鳩摩羅什を草堂寺で偲ぶ」イメージ 5 
 唐代のシルクロードを考える時、その典型的な人物として鳩摩羅什がいる。
 名前を知らない人も少なくないと思うが、我々に最もよく唱えられている「妙法蓮華経天」が鳩摩羅什によって訳されたと聞けば、とたんに親しみが湧くのではないだろうか。西域の亀茲国生まれの彼の宗教家としての名声は西域ばかりでなく、中国にまで及び、彼を手に入れようと、戦争まで起こったくらいである。そんな彼だが、戦争に負けてとらえられ、戒律に反して、無理に女性と交わらせられる。私はそんな彼に人間味を感じていた。彼は玄奘三蔵より以前に多くの経典を訳している。イメージ 4
詳しくは、記事の最後の鳩摩羅什の紹介を見てください。キジル石窟で撮影した鳩摩羅什の写真を紹介します。

 そんなことから、この寺は余り有名ではないが、どうしてもお参りしたかったのだ。西安市内から西南へ50キロも自転車を漕ぐのはちょっと大変そうだが、四国遍路で1日40キロ以上も歩いた経験が何度かあるので、私としては大した距離ではない。バスの便は悪いし、自転車を5日間借りているので、タクシーではもったいない。
 草堂寺は華美なお寺ではなく、いわば田舎風のひっそりしたたたずまいだった。鳩摩羅什の名声にしては質素だった。おおげさなものはなにもなかった。
 
イメージ 1
     草堂寺の山門

イメージ 2 1960年再建された大雄宝殿(本堂) 


[大雁塔と玄奘三蔵院]
 朝早くホテルを出て、大雁塔前の公園に建っている玄奘三蔵像と、朝日を浴びている大雁塔をしげしげと眺めた。実は、日本画壇の重鎮、平山郁夫画伯が「明けゆく長安大雁塔」という題で、が薬師寺に大きな壁画を描いている。この光景を実際にこの目で見たかったのである。朝食も取らずに待ち構えていた。
幸い絶好の好天。まさに、“やったぜ”といった感じ小躍りしていた。何枚も撮った中でこれぞと思うものはこれ――平山さんの絵のイメージに近いものが撮れた。

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イメージ 7平山郁夫『薬師寺玄奘三蔵院大壁画』より 1号壁 「明けの長安大雁塔」


 近くでまじまじと像を見つめていると、玄奘三蔵への想いが湧き上がってきた。
玄奘三蔵は、西暦629年インドに向かう旅に出た。ナーランダ大学での修業を得て、インド各地をめぐり、西安に帰り着いたのは645年である。
 彼は帰国後、持ち帰った74部、1338巻もの経典の翻訳のため、その後の人生に心血を注いだ。
国禁を犯して、灼熱の砂漠を通り、極寒の中険しいパミール高原を越えてインドに辿り着き、そこで猛烈な勉学と修行を重ね、帰国後はほぼ死ぬまで経典の翻訳に打ち込んだ――こんなストイックな生き方は、到底できるものではない。この人物を表現できる適当な言葉が、私には見つからない。
 玄奘三蔵の旅をモデルにした、孫悟空が活躍する小説「西遊記」は余りにも有名だが、子どもの頃に描いていた、孫悟空、猪八戒、沙悟浄を引き連れて冒険旅行を繰り広げる「三蔵法師」と玄奘三蔵の実態が余りにもかけ離れていることを若かりし頃知った時がくぜんとしたものだ。
 私をシルクロードに導いたのは、マルコ・ポーロであったが、それを膨らませてくれたのが、平山郁夫画伯であり、玄奘三蔵である。
西安では、やはり大雁塔への思い入れが一番深い。
大雁塔は見れば見るほど気品をたたえてそびえ立っている。これから伸びていこうとする、はつらつとした気概にあふれている。この大雁塔が西安全体の雰囲気を醸し出しているように思う。

玄奘三蔵については、以前公開した下記の記事もあわせてご覧ください。
「はるかなり長安'9,10」
大雁塔からの眺め  〜奘三蔵と大雁塔1、2〜  
URL: http://blogs.yahoo.co.jp/sakurai4391/23842658.html
   http://blogs.yahoo.co.jp/sakurai4391/23891525.html

[興教寺]
 もう一つの玄奘三蔵ゆかりの寺の興教寺は、西安から焼く20キロ東南にある。山の斜面に立つ興教寺は、玄奘の遺骨が納められているところだ。夕方訪れたこともあり、黄昏の静かな境内である。立ち去りがたくていつまでも唐を見上げていると、工事の男が何かいい多層に見ていた。黙っていると1300年前の同じことを考えているような気にもなるが、気持を伝え合おうとしても、そこには言葉の壁が立ちふさがって
いた。

イメージ 9興教寺の周辺は山林に囲まれ、野鳥のさえずりが絶えない。

イメージ 8西安市から東南へ焼く20キロにある興教寺。

イメージ 10境内に建つ玄奘舎利塔。高さは23メートル。

[杜泉流鳩摩羅物語]
 鳩摩羅什(344〜413年)(以下羅什と略す)は、クマーラジーヴァといい、意味から訳せば、童壽(どうじゅ)となる。父のクマーラヤーナ(鳩摩羅炎)はインドの宰相であったが、出家して西域の亀茲国(きじこく)にやって来た。その地で国王に推されて国師となりなり、王の妹ジーヴァを娶って一子をなした。子の名は、父母の名を合わせてクマーラジーヴァとした。生まれたのは亀茲国の首都クチャ(庫車)である。7歳で出家して、母とともに北インドに留学し、小乗学派を学び、カシュガルでは往時スーリヤソーマ(須利耶蘇摩・しゅりやそま)について大乗空義(だいじょうくうぎ)を極め、梵本(サンスクリット語)の法華経を授けられたという。
 故国亀茲に帰ると国王の帰依を受け、大乗教義を講説した。その名声は西域諸国ばかりでなく、中国にも及んだ。戦争を起こして羅什を手に入れようとする王まで現れたのだから、その名声は限りもない。384年、前秦王・符堅(ふけん)は将軍呂光(りょこう)をつかわして亀茲国を攻めさせ、羅什を自分の国に迎え入れようとした。この戦で亀茲国王白純は戦死し、鳩摩羅什はとらえられた。その時、呂光は亀茲王の娘を無理やり羅什に娶らせようとしたいう。彼の種をこの世に残そうとしたのである。
 呂光は羅什を連れて涼州(甘粛省武威)まで戻った時、前秦が滅んで符堅が殺されたことを知る。
呂光はそのまま国を起こして後涼王となり、羅什は涼州に18年間とどまることになる。その時に、本格的に漢語を学んだといわれている。
 401年、後秦王姚興(ようこう)は後涼を内、羅什を長安に迎えて国師とした。羅什は長安の西明閣と逍遥閣にとどまり、本格的に仏典翻訳と講説をした。訳した経典は、一般に名前のよく知られる『法華経』『阿弥陀経』『中論』など多岐にわたり、いろいろな説があるが、その数35部297巻とされている。
 羅什の訳は流麗であり、漢語の持つリズムをよく生かしている、と言われている。羅什訳の経典は中国で熱狂的に迎えられ、日本や朝鮮半島に伝わり、今日でもつかわれている。羅什ほど後世の仏教に深い影響をあたえた人はいないだろう。一般に余り知られていないのが不思議である。
 ひとりの僧を求めるため戦争まで起こして例は、史上ほかにあるだろうか? 後秦王姚興や羅中の血統が絶えることを恐れ、長安の妓女10人をまわりにはべらせたという。女性と交わらないという戒律受けた僧の身では、姚興の待遇は羅什には苦痛であったに違いない。姚興の望みどおりに羅什が子孫を残した
稼動かは、後世の歴史書は伝えていない。羅什は破戒僧の汚名まで着せられ、自身も罪の意識にさいなまれ、一生悩みぬいたことだろう。羅什が玄奘三蔵とくらべて後世に名前や人となりが余り伝わらなかったのは、女性に関することを口にすることがはばかられたからではないだろうか。4134月13日、羅什は長安の長安大寺でぼっした。享年70歳であったという。

「1西安とその周辺(遙かなり長安)」書庫の記事一覧

閉じる コメント(9)

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こんばんは。くまなく巡っておられることを羨ましく思います…。トラバさせて頂きますね(^^)

2009/4/10(金) 午前 1:10 Rev.Ren'oh

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トラバありがとうございます。
目下、訪問箇所へすぐにリンクできるような索引を作っております。

2009/4/10(金) 午後 0:29 [ moriizumi arao ]

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いつも勉強させていただいてありがとうございます。
鳩摩羅什は学生時代に、確か高校のときに習ったきおくがあるのですが、よくわからなかったたのですが、読んでよくわかりました。

2009/4/12(日) 午後 8:08 [ melf ]

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歴史的、文学的記述ですね。ですが、400年ごろ、長安に既に都があったんですか?随分早くから栄えていたんですね。
興教寺、これは確か空海さんが青竜寺から経典を借りに行ったお寺でしたっけ?

2009/10/29(木) 午後 8:04 [ ciaocommodore ]

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ciaocommodore さん 長安は紀元前11世紀から起源10世紀までの2000年の間に漢や唐などおおくの王朝が都を置きました。

2009/10/29(木) 午後 11:38 [ moriizumi arao ]

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ああ、漢の時代からあったんですね。僕は長安と言うと、直ぐ、唐しか思い浮かびませんでし。
漢とか隋のころは、まだ洛陽かと思っていましたが・・

2009/10/30(金) 午前 8:57 [ ciaocommodore ]

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ciaocommodoreさん ちょっとはお役に立ったようですね。

2009/10/30(金) 午前 9:38 [ moriizumi arao ]

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「妙法蓮華経天」が鳩摩羅什によって訳された、とは初めて知ったことで、本当にありがとうございます。と言いますのは、私の壇寺は日蓮宗だからです。その根本が南無妙法蓮華経だからです。本当にありがとうございました!!!。ポチ。

2009/12/6(日) 午後 10:37 kur*kur*bo*bo*2000

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くりぼんさん
お役に立ててうれしいですね。以前このことを知った時、私も驚いたのです。

2009/12/7(月) 午後 4:30 [ moriizumi arao ]

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