天馬きたりぬ 「馬踏飛燕」 (甘粛省博物館)2009年5月17日(日) [コメント] このブログは旅の流れ沿って連続しておりますので、初めて訪問される方は前の記事もあわせてご覧いただければ、より楽ん出いただけると思います。 また、「シルクロードへを詩う」をご覧いただくと、これからの旅の中国篇の雰囲気をご覧いただけると思います。 私にとって、この博物館の目玉は何と言っても、武威の雷台から発掘された2000年前の「馬踏飛燕(飛燕をしのぐ馬)」の銅奔馬の本物である。何はさておきまっしぐらに向かった。 あった、あった! 目玉商品はやはり目立つところで異彩を放っている。 こうべをやや左無向きに挙げていななき、おをなびかせながら疾走する二本の前足と一本の後足は、空を翔け、残りの後足が飛燕の瀬をかすめるかのように見える。その燕は羽を広げ、首を回し、驚いて馬を見つめている。西域を奔放に駆け巡り、今にも空に飛び出しそうな駿馬が、2千年もの昔、無名の作家によって造られたことは、当時の芸術水準の高さを示すものであり、驚嘆のほかはない。見れば見るほど引き込まれる。 1本の足で体全部を支える均衡のとれた姿…… その造詣力に、不思議ささえも感じてしまう。 口をあけた顔は吼えるがごとく、 そして後ろ足の一本は羽を広げた燕を踏みつけている。 残りの三本足は空を駆り、首をもたげていなないている。 空を飛ぶ燕よりも早く駆ける馬――。 「飛燕をしのぐ馬」は、時の権力者がいかに優秀な軍馬を欲していたかを語りかけてくる。 漢の武帝が求め、やっとの想いで西域から手に入れた天馬はこんな姿だったのだろう。 高さ35センチ、長さ40cセンチという小さなブロンズだが、全身から、人を圧倒する勢い、しなやかさ、力強さ、スピード感がひしひしと伝わって来る。 それでいてどこか愛くるししい。 造り精緻で、 構造が実に巧妙である。、工芸品の域を超越したすばらしさを感じさせてくれる。 生き生きとして気品ある奔馬は、アメリカ、日本、イギリス、フランスなどで展示された時、「芸術作品の最高峰」と絶賛された――当時の新聞はそう伝えていた。 その記事を読んで、見損ねた私は悔しい思いをしていたが、今、中国のこの場で対面している方がずっと感慨深い。一気に溜飲が下りた。 ちなみに「馬踏飛燕」(馬、飛燕を踏む)と名づけたのは、日本に留学し、全人代副委員長もつとめた政治家でもあり文学者でもあった郭沫若氏である。 「汗血馬」は古代、世界にその名をとどろかせていた名馬である。同馬が駆けると、首の辺りからまるで血のような赤い「汗」が出たため、この名がついた。 肉付きがよく優美で、頭が細く首は長く、体の線が美しい馬である。 *上の2枚の「馬踏飛燕」は、それぞれ別なカメラで撮影し、3枚目の右の写真は造った当初を想定して、青銅色に色調を変えてみました。感じが結構変ってしまうのには、自分でも驚きでした。ちなみに、他の博物館や発掘された武威の雷台にあるレプリカは緑を帯びた青銅色でした。 漢王朝成立した紀元前200年頃、万里の長城の北方では、匈奴が壮大な遊牧帝国を作り上げていた。漢帝国を築いた高祖は余勢を駆って匈奴を撃つべく遠征を行った。 ところが、騎馬戦に長けた匈奴に完敗してしまった。 それからおよそ60年後に即位した武帝は、先帝の屈辱を晴らし、漢帝国を確固たるものにしようと決意し、匈奴に屈辱的敗北を喫した月氏と東西から挟み撃ちにしようと考えた。月氏への使いに名乗りを上げたのが、張騫であった。ところが、使者として出向いた張騫はすぐに匈奴に捕まり、10年も幽閉される。ようやく脱出した張騫は月氏に向かうが、既に月氏には匈奴を撃つ気概はなく、武帝の策は失敗に終わった。しかし、張騫は命がけで探索した西域の事情を詳細に報告した。 その報告の中で、「大苑に天馬、汗血馬といわれる良馬がいる」と報告した。 その後、この名馬を手に入れるために、武帝は大宛国(現在の中央アジア)に何度も攻め入ったほどだった。 漢の軍隊はついに大宛を滅ぼし、念願の「天馬」を得たのであった。 天馬来たりぬ 西の極(はて)より 流砂を渉り(わたり)て 四夷服しぬ (『史記』楽書) 「天馬を得て、四方の夷狄を征服することが出来た」喜びを、武帝は歌にたくしたのである。 この夷狄の中には、宿敵匈奴も含まれていたにちがいないだろう。 黄河の西、つまり河西回廊から匈奴勢力を一層すると、武帝はそこに、武威、張掖、酒泉、敦煌という河西四郡を設置し、西方への通路を確保したのであった。 当時歌われた詩には、「天馬」という美称が使われ、以来、中国での奔馬の名声は不動のものとなった。 「馬踏飛燕」の背後には、精美な青銅で鋳造された39頭の馬と14両の軺車(しょうしゃ、物見車)、戟(げき)や矛など古代平気を手にする17騎の騎士俑などが居並んでいる。それは栄華を誇った2千年前の漢王朝の凛々しい儀仗隊そのものであり、封建貴族が出行する際の威容と豪華さを偲ばせるものであった。 銅車馬出行儀仗隊の像
馬は、首を傾けているものもあれば、耳をそばだて、口から息を吐いているものなどもあり、それら一つ一つの表情が、すべて異なり、じつに写実的であった。
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凄い技術を要する馬ですね!
一本の足でこの大きな馬を支えるのです>。<
バランス感覚はお見事ですねポチ☆!
2009/5/18(月) 午後 2:50
わくわくさん よくまあ1本足で倒れないものだ…と思って、すごく感心しながら見てしまいました。すごいバランス感覚ですね。2000年以上前ですからね。
2009/5/18(月) 午後 10:36 [ moriizumi arao ]
どうして1本足であんな安定が取れるのでしょうね。試行錯誤するのでしょうか? できては壊しのように 2000年以上の前の技術ってすごいと思います。写真の技術もすごいですね。両方に傑作ポチ。
2009/5/19(火) 午後 0:41 [ melf ]
私もおなじ疑問なんです。それにしてもすばらしかったです。2200年目に思わずエールです。
2009/5/20(水) 午後 3:49 [ moriizumi arao ]
秦始皇帝の兵馬俑にも圧倒されましたが、こちらの銅奔馬も凄い!服飾等当時の風俗史にも興味があり、壁画の写真等も見ていますが本当に作った方々・描いた方々偉大です!写真でも素晴らしさが十分伝わりますが、実物を見たい気持ちが高まってきますね。
張騫も凄い人ですね。匈奴に捕まっても諦めず出発から13年ぐらいでようやく漢に帰れましたよね。その後も遠征してるのだから・・。匈奴に捕まっても屈せず19年ぶりに漢に帰った蘇武、匈奴に投降した李陵、同じく匈奴に降伏し殺された李広利将軍・・悲劇の話も多いですね。
ポチ☆です。
2009/9/11(金) 午後 10:04
senさん 感動してくれる同好の士が現れたようでうれしいですね。
2009/9/12(土) 午前 6:17 [ moriizumi arao ]
ゆーさん ありがとうございます。感謝です。完了です。
2009/12/16(水) 午後 8:45 [ moriizumi arao ]
「馬踏飛燕」みてきましたよ〜。
このライティングがまた効果的で素晴らしかったですね。
甘粛省博物館で敦煌木簡を見てきました。
庶民の微々たる税の領収書?見たいな物もあって読んでいて面白かったです。
2010/5/19(水) 午後 9:04
これ、見たいです〜。写真では今までも何度も見てますが、写真でこれほどの迫力なのだから、実物はどれほどのものか! 絶対に見に行きたい!
2010/5/20(木) 午後 10:02 [ str**gle*nionc*nt*r ]
安寿さん
同じものを共有し合えたという同士のようなものを感じました。
ずいぶん細かく見てきたのですね〜。
2010/5/20(木) 午後 11:21 [ moriizumi arao ]
struggleunioncenterさん
機会があったらぜひお勧めです。
小さいけれど迫力がありますよ。
2010/5/20(木) 午後 11:23 [ moriizumi arao ]
まったく素晴らしいですね〜。
『仏像(甘粛省の天梯山石窟のもの等)』の方も良かったです。
中国では、戦乱や文化大革命で、仏像はほとんど破壊されて、残っていないので、小生にとっては貴重でした。ハイ。
2010/6/25(金) 午後 1:16 [ イエスちゃん ]
sat*atu**200*さん
炳霊寺石窟はもちろんご覧になったのですね?
これからの記事で新疆ウイグル自治区のたくさんの石窟がアップされますので、お楽しみに!
2010/6/28(月) 午前 9:46 [ moriizumi arao ]