私の四国遍路 〜想い、感動、そして魅力 センテンス集〜
“すばらしきかな 歩きの世界”
・仕事からも、世間からも、家族からさえも解き放されて、自由を満喫している自分が、
四国の美しい景色を眺めながら、金剛杖をついてのんびりと歩いている。
・歩いているときは、誰からも束縛されずまったく自由な時間のように感じる。
そして、いろいろな思考が駆けめぐってくる。発想が浮かんでくる。
自分でも不思議なほど空想が広がってゆく。
・色々なことを考えながら歩く旅もすてきだなあと感じる。
・歩くということは、人間になにかを与えてくれる。
逆に言えば、人間は歩くことによってなにかを生み出している。そういうことなのではないか。
・遍路をしながら、自分の人生を再吟味してみる。今の自分でない自分を見つめなおしてみる。
そのためには、歩くことが最適だし、歩くためには四国の遍路道以上の場所はないだろう。
・信仰心があるわけではないが、歩いているうちに心が穏やかになってくる。
・私にはそれはなんだかわららない。
その目に見えない大きなものに、何もかもゆだねて歩いてみよう。
そんな気持ちになってふたたび歩み出した。
“出会い ふれあい”
・乳母車にすがってやっと歩いている老婆が、しわだらけの手で少ししなびたみかんを差し出してくれた。
受取る私の手は、感動で震えていた。胸がしめつけられるように熱くなった。
思わず涙がすうーっと流れ落ちて、右の頬を伝った。
“本当は、私が助けてあげなければならないのに……„
・人のさしのべてくれる暖かい手に、何度涙したかわからない。
「愛の始まりは、『会い』である」。そのたびに想いを深くした。
“自分の世界 こころの世界”
・別世界に身をおくと、今まで見えなかった別の自分が見えてくる
・「自分の心と向き合う遍路の旅は、限りなく険しく、はてしないものかもしれない」。
「だが、これこそが人生そのものなのではないだろうか?」
立ち止まってそんなことを思う。
そしてまた歩き出す。
・別に信仰があって巡っているわけではない。
ただこうやって廻っていれば、何かつかめるんじゃないかと思って歩き続けている。
・お遍路は心の旅だ。自分自身の心の旅だ。
・見栄を捨てれば心が楽になる。
“生かされて歩く喜びと感謝”
・歩き続けていると、お大師様の化身の杖だけでなく、靴や笠はもちろん、ふだんは無意識に身に 着けている白衣やズボンまで仲間のように思えてくる。
・遍路道を自分の足で歩いているといいながら、
独りの力で歩いているのではないと、つくづく感じる。
道を整備して道標をつけてくれた人がいる、暖かい手をさしのべてくれるたくさんの人々がいる 心を和ませてくれる自然がある、履いている靴や靴下だって……。
いくつものこうした「ご縁」が私の歩みを支えていてくれているのだ。
・人間は生かされていることをしみじみと感じる。自分ひとりでは生きられない…と強く感じる。
“祈りの世界”
・お寺に着くと我が家に戻ったようなほっとした気分になる。
・神は信ずる心にのみある
・お寺を一つ廻るごとに、自分が少しずつ強くなっていくような気がする。
ついに結願の寺・八十八番大窪寺へたどり着いた。
“遍路の世界”
・四国の人の心の中には、とりわけお接待をしてくれる人の中には、お大師様が生きている。
ながく歩いているうちに、確実にそう思えてきた。
自分の心の中にも、仮の姿かもしれないが…、少しずつそういうものが生まれてきたような気が する。
四国遍路は人の心に根ざしたいいシステムだ……。
・普通の旅とは違って、知らないでいるうちに、なにか心穏やかになっていくような気がする。
・四国全体が参道というか、普通の道も民家の道もみんなお寺につながっている、というような感 じがする。
だから、どこを歩いていても、目的があってさびしくない。
・人生ってなんだろう、宇宙ってなんだろう、神様はどこにいるのだろうか…。
いい年して何をそんな青臭いことを考えてるんだ――と笑われそうだが、
遍路は、そんなことを思索したり、瞑想したりする場であり、静寂の中で自分や世界を見つめな おす場でもある…そんな気がする。
・遍路の楽しさはその道程にあり
・上りは苦しいが登り切るまでは苦しさからは逃れられない。
心で逃げてもこの急な山道からは逃れられない。
登り切るしかないと、心に言い聞かせて頑張って行く。
・「遍路ころがし」は、遍路に花を添えてくれるものだ。
これがなければ、遍路は変哲のないお寺巡りの歩き旅になってしまう。
・歩き遍路の魅力は、人間の本来の心を、もう一度自分に思い起こさせてくれるということだ。
・ゆっくりと流れる時をゆったりとしたこころで楽しむ
|
moriizemi arao さま。。こんばんは〜♪
>人間は生かされていることをしみじみと感じる
自分の心が穏やかにならないと何も感じられませんね。。。
また心臓が動いていていてくれることのありがたさも。。
瑪瑙は朝夕のお参りの際、読経の後にお数珠を左胸にあてて
今日一日のお願い。。またはその日のお礼をご真言とともに
申し上げております
生かさせて戴くこと。。ありがたいことですね〜。。。☆
2011/1/11(火) 午前 0:55 [ - ]
歩いているうちに心が穏やかになってくる
まさしくその通りです、何も考えず何も求めず
ひたすら歩くそれが心地よいのです
2011/1/11(火) 午前 1:36
moriizumiさま〜はじめまして〜。私qpg3は区切り遍路の途上で休憩中です。
綺麗な写真のブログですね。思い出す風景ばかりです。もう3回の亜歩き遍路を結願されているとのこと、さらに海外も含めすばらしい遍路先達さんですね。ずいぶん参考になり、共感をしながら拝見しています。やはり、歩き販路は体験者でないと理解できないと思います。これからも楽しみに拝見します。
私は残っている51番札所以降を2月の後半から歩こうと思っています。まだまだ未熟な遍路です〜。
2011/1/11(火) 午前 10:46 [ vip*q*g3 ]
おはようございます。
始めの様な道がとても好きです。
今日は生き方そのものを考えさせられる文が、とても良かったです。
これからもずっとお遍路の道があり続けることを願わずにはいられません。
ポチ☆
2011/1/11(火) 午前 11:02 [ バタフライ ]
こんにちは♪
自由とは、本当は自分に責任を持たないと
本当の自由は得られないし、厳しいものだと
思います。
いつも素敵なお写真をありがとうございます。
まるで自分自身空想の世界で旅してるようです。
ポチッ☆
2011/1/11(火) 午後 1:09 [ rar*rar*do ]
ホント、、、
ゆったりとした時間が、、、四国には流れてました











その通りだと思います
やっぱり、四国お遍路は、、、やったものにしかわからない、、、苦しみや楽しさがいっぱい詰まってました
でもブログの内容は、、、自分とは比較にならないくらい、、、すごいですね
ホント何度も行った人には勝てない
自分は仕事をしながら、、、なので、、、
今年のお盆休みは、熊野古道から入り、、、西国33ヵ所に挑戦するつもりです
もちろん、自転車で
四国ほどではないかも、、、ですが、、、
今後の人生、、、すごくいい経験になると思ってます
2011/1/11(火) 午後 9:26 [ キューピー ]
めのうさん
日常では当たり前のことが、とても新鮮に見えてきたり、
気付かなかったことがとてもありがたく見えるんだから、
遍路の世界は不思議な世界ですね〜。
ポチありがとうございます。
2011/1/11(火) 午後 10:31 [ moriizumi arao ]
おタケさん
意見や気持が一致しましたね〜
たいていのお遍路さんがそう感じながら歩いているのかもしれませんね〜。
2011/1/11(火) 午後 10:35 [ moriizumi arao ]
今更ながらですが、お遍路は歩きながら回ることに
凄く意味のあることだと、改めて思い正してくれました
だけど、現実問題女性の1人お遍路さんは出来ないし
バスで10番まで回りましたけど味気なく
それからは、行っていません。
あらおさん・・・尊敬致します★
2011/1/12(水) 午後 5:28
私は、車遍路です。始めは観光気分で巡拝しました。
西国、美濃西国三十三ヶ所と違うのは、歩き遍路さんの
多いことです、宿坊などで、歩き遍路の皆さんの話を聞いて
観光ではなく、信仰を少しずつ考えるようになりました。
04年頃から里山に登っています。140mの山から
富士山まで、240座ほど登りましたが、100座位は単独
登山です。急登や藪漕ぎに悩まされたり、道を間違えたり
自分探しのようなところは、遍路と共通するところもあると
思って、知多四国をお詣いりしました。それにしても
歩き遍路は素晴らしいと思います。
2011/1/12(水) 午後 9:09
はなゆりさん
遍路は、やりようですが、やればやるほど奥深さを感じます。
遍路はやっぱり人それぞれだと想いますので、
将来、何かのきっかけで巡ってみようかな、と思ったら回ってみればいいのではないでしょうか。
十二番焼山寺までの山道を歩けば、また変わった気持になるかもしれません。
2011/1/13(木) 午後 6:40 [ moriizumi arao ]
山登りさん
私も若いころにはじめて遍路したときには、最初のうちは旅行の延長でした。
回っているうちになんとなく、宗教心が芽生えてきたように思います。
私も今年からまた山登りをしようかなと考えています。
2011/1/13(木) 午後 6:48 [ moriizumi arao ]