「東日本大震災に遭遇して」 記事一覧記事は題目をクリックしてご覧ください。1.金華山で命がけの避難 2.金華山 地震と津波の爪跡 予期せぬ救出 東日本大震災に遭遇して3まだ、ときどき余震が来ているが、比較的穏やかな朝を迎えた。昨晩は小雪が待っていたので、薄っすらと雪景色だ。 ささやかなご恩返し境内に出てみると、社務所の人たちや巫女さんたちが焚き火をしている。避難している我々16名が暖を取れるようにとの配慮である。 我々も、境内の木製の落下物や、周辺の倒木やなどを集めてきた。 我々が交代で火の番をすることになった。 “何でもいいですから、やれることがありましたら申し付けてください”と申し出ると、 それでは、水汲みを手伝ってください、とのことだった。 神社から300メートルほど離れた「金光水」という湧き水から、 20リットルポリ容器やペットボトルなどで飲料水や洗い水などを運ぶ仕事である。 何回も往復しているうちに、汗ばむほどであった。 ただ御世話になっているよりも、ず〜っと気分がよい。 予期せぬ迎え船午後2時ごろ、船着場の様子を見張っていた仲間が、「迎の船が来るぞ!」と叫んで、息せき切って神社まで駆け上がってきた。 さっそく、リュックを持って岩や倒木で埋まっている道を駆け下りた。 地震が来ればすぐに避難できる身づくろいが出来ているので、とっさに行動が出来た。 船から「津波が来る可能性がありますので急いでください!」 「明日以降は、お迎えに来れませ〜ン!」と、ハンドスピーカーで叫んでいる。 千載一遇のチャンスを逃してなるものかと、必死で走る。 桟橋で待っていると小さなモーターボートがやって来て、3人ずつ観光船まで運んだ。 鮎川へ向かう16名を乗せた船は、小さなモーターボートを曳航しながら、鮎川へと向かった。予想よりかなり早く帰宅できるのではないかという安堵の気持はあったが、 一方、いつ来るかわからない余震による津波を警戒して、船の乗員3名も我々乗客も緊張していた。 あんな大きながけ崩れの道をよく逃げおおせたものだと思うと、ぐっとこみ上げた。 海のあちこちに、たくさんの船が船底を見せて浮いている。 港近くになると、港内に入れない船が、流出防止のフェンスで周囲を囲んで停泊していた。 鮎川が見えてきた。 金華山で聞いていたラジオ放送では、鮎川は壊滅的被害と報道されていたが、 遠くから見た限りでは、そのようには見えなかった。 ところが、上陸してみると、 残っていたのは鉄筋コンクリートの建物の外壁と鉄筋だけだった―― という悲惨な現実に遭遇することになったである。 凄惨な状況は次回の記事で
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友人が田野畑村に住んでいて九死に一生を得ましたが…
港に有った船400隻はすべて流され、民家も残ったのは5%。
港のテトラポットは打ち流され陸に上がっている物や港に…
船のスクリューがあたったら壊れてしまうので接岸できないし船を買っても操業出来るのは何年先に成るか分からないとの事。
そんな中、迎えが来てくれたことは奇跡です!
無事に帰れて本当に良かったね\(^o^)/
ポチ☆
2011/3/24(木) 午前 0:32
東北・宮城詳細地図を見ながらですが、金華山・・・ほんと今回地震に一番近いところで被災、牡鹿半島先端・鮎川浜も水没のあと、よく避難救助がありましたね。
避難生活でも冷静に、さすが 杜泉法師ポチ!
2011/3/24(木) 午前 10:34 [ EGACITE ]
復興支援に 悲しみから愛を トラバ贈りさせて頂きます。
2011/3/24(木) 午前 10:39 [ EGACITE ]
大変な中、貴重な被災の体験記です。
救援の船が早く来てくれてよかったですね。
精力的な記事にぽちっとね
2011/3/24(木) 午後 5:26
ご無事でよかったですね。
怖い災害ですね。
私の知り合いは家族で長崎へ移住したと聞いています。
怖くてもう住めないと判断されたのでしょうね。
2011/3/24(木) 午後 5:48
こんばんは。
一生、心から消えることのない脱出劇ですね。本当に無事で良かったですね。
神社の巫女さんたちはどうなったのでしょう。無事だといいのですが。
ポチ☆
2011/3/24(木) 午後 6:28 [ バタフライ ]
無事ご帰還、本当に良かったですね。
インド洋大津波の時、インドでは今回の日本と大変違いました。
被災後「海の方には行くな! 海岸付近に住んでいる奴らは何をするか分からない。略奪されるぞ!!!魚を食べるな!流された屍の肉を食べた魚だぞ!・・・・」義援金の半分以上は政治家等に中間搾取され、1/3くらいしか被害者に廻らなかった。
インドでは被災しないのに懐を肥やした人が沢山いました。
2011/3/24(木) 午後 7:37 [ 山野彷徨人 ]
連日、被災のニュースを見るたび、胸が痛くなり、がんばれ日本!!を心の中で念じています。写真を見るたびに、よくぞご無事で生還されました・・・と思います。
2011/3/24(木) 午後 9:04
何を書いたらいいのか、わからないくらい悲惨な状況の中で
私の心に記事が残り、写真が頭の中に残りました。
まさに無事に生還できましたことに、お祈りを申し上げます。
2011/3/24(木) 午後 9:13 [ きう ]
ご無事で何よりです。
こういう時の状況判断は生命に関わりますね。
moriizumi arao さんは守られているような気がしました。
とにかくご無事で良かったです。
2011/3/24(木) 午後 10:07
ご無事だったんですね。良かった!
生々しい体験の記録にどきどきしてしまいました。
まだまだ大変な日々を送られていらっしゃると思いますが
応援しています。
2011/3/24(木) 午後 10:33 [ ひより ]
社務所の方たちや巫女さんたちも、ご自身被災されていらっしゃるのに、暖をとるために焚き火をしてくださるなど、ありがたいお心遣いですね。また、避難されているみなさんでも水汲みや火の番をするなど、ひとのつながりを感じますね。
迎えの船、乗れてよかったですね。
すぐに荷物をまとまておいてよかったです。
私も自宅ではいまだにそうですが、いつでも逃げられるように
避難するときに持っていくものをまとめています。
これからの生活が大変ですが、お互いがんばりましょうね。
2011/3/25(金) 午前 9:35 [ バインフラン ]
本当に良かったです。
被災した皆さんの心が癒される日の
一日も早いことを祈っています<m(__)m>
2011/3/25(金) 午前 10:39 [ TOMI-旅子 ]
moriizumi arao さんお初です。
ご訪問感謝です。大変な目に遭われたのですね。ぼちぼち色々な事を聞かせてください。
2011/3/25(金) 午後 4:20
三原色さん
まさか翌日に迎えが来るとはまったく想像していませんでした。
命拾いはするし、早く迎えに来てもらえるし、まったく幸運ですね〜。
なにかにまもられているのかも?
2011/3/25(金) 午後 5:28 [ moriizumi arao ]
しばらくです。てっきりアジア方面の再訪歴中かと思っていましたのに!鮎川で大震災に遭われていたとは。
震源に極く近いところブログを開けてびっくりしました。
こんな危険の中、数々の記録写真これまた驚嘆です。
先生には幸運が付いていますね。
小生の店も少なからず被災で結構のガラス瓶の山、嫌いでない酒もこう池の様になると胸がむかむかしてきます。
でも一家皆無事だった事を感謝しなければならないでしょう。無線機も大半落下しましたが破損したのはわずかでした。5〜600枚のレコードもファイルごとたおれましたがまだ整理は手つかずです。昭和53年の地震もひどかったのですが今回は地震っすごいエネルギーだなー思い知らされました。
2011/3/29(火) 午後 4:41 [ hir*132*00*t ]
hir*132*00*tさん
人それぞれこよなく愛するものがありますよね。
それを失うことはとてもつらいことですが、
私の場合、それを乗り越えた時には、別なすばらしいものが待っていたような気がします。
2011/3/29(火) 午後 4:49 [ moriizumi arao ]
今日は、moriizumiさんが被災されていたと初めて知りました!
本当にご無事で何よりでした。地震に遭われた最初の記事から拝見しています。金華山には湧水があるのですね。まさに命の水ですね。不足や不潔による衛生状態の悪化は避難生活の環境を更に悪くしますよね。こちらの記事を拝見して、湧水が神々しいものに思えました。
2011/4/8(金) 午後 1:00
mamanさん
とてもおいしい水でした。
市販のミネラルウォーターよりうまいです。
金華山にも三日後くらいに救援の食料が届いたようでした。
2011/4/8(金) 午後 5:03 [ moriizumi arao ]
この救出の話が一番好きです。 大戦中の戦記をよく読むのですが、こういう危険をおして救出みたいな話がときどきあります。 やはりそういう精神はまだ生きているのですね。
2019/2/3(日) 午前 11:29 [ いやいや ]