東日本大震災 未来への祈りと伝承〜「みちのく巡礼」

みちのく巡礼は、東日本大震災の祈りの場創設と記憶・教訓の伝承、防災精神の啓発、復興に寄与する活動を行っています。

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この度の東日本大震災で被災された方々、ともにがんばってまいりましょう。全国の方々が暖かいそして力強い応援をしてくれています



凄惨な被災地を通り 徒歩で石巻から東松島へ向かう  〜自然の前に謙虚であれ

日和山公園から三陸自動車道インターまで

 仙台の自宅に戻る前に、途中の東松島にある実家の被害状況を見るために、そちらに向かう。
東松島は石巻から西に位置している。
 日和山公園を後にして、海側を見ながら西に1キロほど進んだ。

 
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  この一帯はひばりの海岸と呼ばれ、高校時代陸上部の冬季練習でこの海岸と日和山のサーキットコースを走り回っていたことを思い出す。
 この海岸は住宅地として発展し、門脇町、南浜町などの町名で呼ばれるようになった。
  しかし、今は見渡すがぎり瓦礫の山だ。
 
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  奥には白い建物の石巻市立病院が見える。 
  高校時代には、あの海岸はほとんどが浜辺だった。
  その後、一帯は住宅街になったが、鉄筋コンクリートの建物を残して、元の砂浜に戻ってしまった。
  
 山をさらに西に下って国道45号線に出るルートが東松島までは最短距離だが、
 途中の道路がまだ水没していると聞いていたので、
 とにかくいったん総合運動公園方面を目指して北へと向かった。
 
 石巻駅付近で何人かの人に聞くと、三陸自動車道脇の農道はほとんど水が引いているので、
 そちらがよいという。

 だが、そこまでが大変だった。
 地図がないので、勘だけが頼りで、どこを歩いているのかわからなかった。
 かなりの地域でまだ水が引いていないし、いまだに水没しているところもかなりあった。
 靴の中は泥水だらけで、歩くたびにピチャペチャ音がする。
 
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 いくらかでも西へ行きたい一心でそちらへ向かうと、道が陥没して深い水溜りになっていたりして、
 遠回りしたり、逆戻りせざるを得なかったりの繰り返しだった。
 現在は水が引いているところも、床上浸水した跡がくっきりと見えていた。
 こんなときには、津波を前にして逃げ惑う姿が目に浮かぶ。
  
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 こんなに海から離れたところまで水が襲ってしまうのかと、
 恐ろしくなるような光景の中をひたすら歩いた。

?H5>スーパーが避難所に イメージ 9 2時間以上かかってやっと三陸自動車道の石巻河南インターのすぐそばにあるイオン石巻店に到着した。
 そう言えば、今朝10時前に鮎川を発ってきたので、何も食べていないことに気がついた。
 休憩を兼ねて立ち寄ってみると、ここは避難所になっていた。
 店長の判断で店舗にあった商品を被災者へ無料で配布しているとのことで、被災者の方々は大変感謝していた。
 
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 私もあまりにも腹が減っているし、食べなければ歩くスタミナも出ないので、
 店員さんにわけを話すと、無料でパンを分けてくれた。
 またしても感謝、感謝だ。

両側が水浸しの農道を東松島に向かう

 三陸自動車道に沿って農道を歩き続けるけた。
 道の両側の田や畑はまだ水没していて、まるで沼地の真ん中の道を歩いているようだ。
 
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住宅地もこの惨状
 住宅地に近づくと、自動車が水から頭をわずかに出していたり、頭から水に突っ込んでいたり、
 片側の2輪が水に落ちていたり、さまざまな格好で水にはまり込んでいた。
 
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           形だけ残った家屋の周りには、大量のがれきや流木がまるで襲い掛かるように押し寄せていた。
 
実家は残っていた
 海から2.5キロほど離れた私の実家はかろうじて残っていた。
 ただ、道ひとつ隔てた母が住んでいた家と、弟の家は明暗を分けた。
 道路を境にして海側で、床がふつうの高さの母の家は、床上1メートルの浸水だったのに対して、
 土地が50センチほど高く、床がかなり高かった弟の家は、あと10センチほどで床上浸水を免れた。
 とにかく、弟の家族は全員無事なのが何よりであった。
 家を流された姪(姉の娘)が避難して来ていた。
 ただ、姉夫婦の行方がわからないのは気がかりだった。
 日和山から姉の家が流出したのを確かめてきただけによけいに心配だった。
 姪夫婦が石巻で心当たりの避難所を探したが見当らなかったとのことだ。
 我々は残念ながら、二人の死亡を予想した。
 その夜は、姉夫婦を偲びながらしんみりと語り合った。
 翌朝、40数キロある仙台の我が家を目指して出発した。
 もちろん歩きである。

人間は大自然の前には謙虚であれ

 実家から150メートルほど海側の道を南西に向かって歩いてゆくと、
 田んぼを埋め立てた住宅地は、家屋がかなり流出していた。
 形だけが残った住宅も内部はほとんどがらんどうであった。 
 
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 船が海から2キロ以上も離れている住宅まで流されてくるのだから
 津波のすさまじさは推して知るべしである。

 
 15キロあまり歩いてきて目の当たりにしてきた光景は、あまりにもむごたらしい。
 人間の築き上げた文明社会も、大自然の前にはなすすべがないことを――、
 痛烈に思い知らされるのである。

 三度の四国歩き遍路やシルクロード2万キロの旅で感じたことを、ここでも感じている。
 拙著 『諸君!お遍路はいいぞ』←詳細はこちらをクリックしてください p96から、引用します。

 自然にいだかれている自分、自然をいつくしむ自分、それが渾然一体になって、
 自分が知らず知らずに自然の中に溶け込んでいくような気がする。
 こんなとき、〈自分もこの自然の中に生きる一つの生物なんだ。
 自分は自然に生かされているんだ〉と気づかされる。
 毎日々々自然の中を歩いていると、「自然は偉大だ」と思えてくるようになった。
 所詮人間なんて自然に比べればちっぽけな存在だ。
 それが実感としてわかってくる。
 大昔の人びとは、朝起きれば太陽に向かって祈りをささげ、自然にひれ伏し、
 自然の恵みに心から感謝していた。
 このことがよくわかっていたのだろう。

 それがいつの間にか、「自然によって生かされている」ということを忘れ、
 「自然は利用するものだ」といった傲慢さが芽生え、破壊さえするようになった。
 恐ろしいことだ。
 だが、こうして自然の中を歩き続けていると、自分の――いや人間の傲慢さを打ち砕いてくれる。
 そして人間の小ささが見えてくる。

閉じる コメント(35)

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福島の会津に知り合いがおり、震災直後から支援物資の応援など少しですがしました。

もし、被災地への物資や仮設住宅で 鍋・食器等必要とされているものがあれば長野から用意して送ります。
ヤマト運輸とは契約しています。指定がる営業所止めにもできますのでお役に立つことがありましたら連絡お願いします。

2011/4/11(月) 午前 8:58 [ くまこ ] 返信する

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ここも木っ端微塵だね。物も人間も誰も彼も木っ端微塵になってしまった・・・。そのほかの言葉が浮かびません。

2011/4/11(月) 午前 9:16 お父さん 返信する

いまなお、わが子の安否確認ができないで地元にとどまっているひとびとのことが”哀れ”でなりません。
これらの人びとは、行政の”避難”の対象から外れても、地元にとどまるでしょう。(-_-;)

2011/4/11(月) 午前 9:17 [ #&%$ ] 返信する

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あんみつ姫さん

心のこもったコメントありがとうございます。
東北の地にも早く桜が咲いてくれないかな〜
と待ち望んでいます。

きっと、被災された方々も心が癒されることでしょう。

2011/4/11(月) 午後 0:50 [ moriizumi arao ] 返信する

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pyrloveさん

被災された方々に、華やかな桜を見せて、
やすらぎを感じてもらいたいですね〜

2011/4/11(月) 午後 0:54 [ moriizumi arao ] 返信する

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じーぞうさん

自分が九死に一生を得たことで、
被災した人びとの立場に少しは立てるようになったと思います。

2011/4/11(月) 午後 0:58 [ moriizumi arao ] 返信する

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moriizumi araoさま


心が元気とのこと、少しホッとしました。

ご存知だとは思いますが・・・

徐々に建築士達も動き出しております。
地震保険の査定と平行に、
下記に一度相談してみてくださいませ。


http://www.miyajikyo.com/pdf/miyagi-fight.pdf

http://kenchikushikai.net/modules/liaise/?form_id=2


一日も早く穏やかで平和な生活がおくれますよう
お祈り申し上げます。

2011/4/11(月) 午後 5:52 K22 返信する

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ご訪問ありがとうございました。
ご無事で何よりでした。映像だけでも我々には衝撃的でした。それをじかに体験され、お身内を亡くされた皆様のお気持ちを考えると本当にたまりません。皆様の一日も早い復興のために、我々も微力ですが頑張ります。

2011/4/11(月) 午後 6:22 [ オレンジトマト ] 返信する

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あまりの被害に言葉がでません・・・海岸から2キロも離れた場所に大きな船があること自体、驚愕です。
数万に及ぶ亡くなられた方のことを思うと胸が痛みますが、ご家族みなさん無事で本当に良かったですね・・・

2011/4/11(月) 午後 9:09 マイペース 返信する

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あまりにも酷い光景に、言葉を失います。
とりあえず、ご家族が無事で良かったですね。

2011/4/11(月) 午後 9:32 アノニマ 返信する

訪問いただきました「じろう」と申します。
たまたま運がよく「八戸」なのですが、被災は免れました・・・
日々が過ぎても被災された方々のことを忘れることはありません。
涙しない日はありません・・・
多くの悲しみを背負った人々のためにも私自身がこの「命」を大切にして、教え子たちに「命」の重みを伝える覚悟であります。
毎日祈っています・・・

2011/4/11(月) 午後 9:50 じろう 返信する

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ご訪問ありがとうございます。
石巻から鮎川〜金華山は毎年初詣に行くルートです。あまりの惨状に言葉もありません。大変なご苦労をされながらも、ご無事で生還されてほんとうによかったです。

2011/4/11(月) 午後 10:30 [ - ] 返信する

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初めまして。テツさんからおじゃましました。
しかし、皆さんご無事で何より。
一日も早く復興をとしか言いようが有りません。すみません。

2011/4/12(火) 午前 7:39 [ 釣神 ] 返信する

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三度の四国歩き遍路やシルクロード2万キロの旅の
杜泉法師が 杜と泉の仙台の地獄を歩いている・・・
ご家族も被災され 悲しく、苦しい修行ですが、
「自然によって生かされている」ことを明確に残されポチ!候。

京都・大沢池にも 親戚の安否を心配していたマダムがいました。
法師の 道中の安らぎ、元気にトラバさせてもらいます。

2011/4/12(火) 午前 10:41 [ EGACITE ] 返信する

合掌。現実を受け止め、私は私でできることをやりたいと、改めて思いました。お導きいただき、ありがとうございました。

2011/4/12(火) 午後 10:13 y5o*u*su 返信する

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コメントを頂き 光栄です、被災地の皆さん 頑張って下さい 毎日 毎日 皆さんの事を思い そして 頑張っての言葉を 私達に出来る事 必ず明るい未来を全国民で力を合わせて、そう願いブログで表現しています、長い時間がかかるでしょう、私も必ず
被災地にゆき 汗させていただきます、被災地の皆さん心より頑張って下さい。

2011/4/12(火) 午後 11:34 [ - ] 返信する

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皆さまへ

毎日、いろいろと追われております。
リコメや訪問遅くなりがちですが、
ごめんなさいね。

2011/4/13(水) 午後 8:08 [ moriizumi arao ] 返信する

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皆さまへ

コメントありがとうございます。

毎日、いろいろと追われております。
リコメや訪問が遅くなりがちですが、
ごめんなさいね。

2011/4/13(水) 午後 8:14 [ moriizumi arao ] 返信する

ご訪問及びコメント有り難うございます。

写真の数々を見てると心が痛みます・・・。
私の親戚も福島の郡山と白河に居て、半壊した家から家財道具の運び出しなど手伝いに行ってました。

原発の事もありますがもう一度原点に返って、一つになって力を合わせなければいけないんだな・・・と痛感してます。

2011/4/16(土) 午後 7:37 [ - ] 返信する

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k22さん

ご親切なアドバイスありがとうございます。
いろいろ調べて手を打ちたいと思います。

2011/4/17(日) 午前 11:03 [ moriizumi arao ] 返信する

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