移住者と受け入れ側とのよりよいコミュニケーションづくりを
東日本大震災が起きてから日本中があわただしく動く中、1ヶ月が過ぎました。
私にとっては、金華山で津波を避けるため、落石が起きている最中に、落石で埋まったり、崩れ落ちている道を命からがら逃げたことが最大の印象です。 津波で家を失った方々や地震で家が壊れた方、 放射能のために住み慣れた家や地域を離れざるを得なくなった人々…、 こうした方々が数多く移住されております。 私は、金華山と鮎川での避難生活を通して感じたことがありました。 どの人たちも自分の住んでいる土地に強く愛着を持っているということでした。 お互い呼び合うときや、他の人のことを話題にする時、どこどこの○○ちゃんなど呼んでいました。 土地が人格の一部になっているようにさえ思えました。 それと、ただ単にお世話になっているよりは、何かの形でお役に立ちたいという気持を持っている人が多いことでした。 移住者を迎える側の人びとは移住して来る人々を、 気の毒な人々として、温かい、施しの気持で迎えられることでしょう。 そのときに、私が感じたようなことを組みとりながら接していただけると、 お互いによりよいコミュニケーションを持つことが出来るのではないでしょうか。 何か不自由なことや困ったことがあった場合に手を差し伸べるのは当然ですが、 移住された方々を、対等な仲間として接して上げることも必要だと思います。 時には移住者の方々のお力や知恵をお借りすることもよいのではないでしょうか。 今回の被災の体験を通じて得られた、地震や津波に対する対応の仕方などお聞きすることは、 とてもためになることだと思います。 移住者の方々の得意なことや興味のあることで力を発揮してもらったりすることもよいのではないでしょうか。 お互いに工夫すれば、よりよい人間関係が築き上げられるに違いありません。 仙台への帰還の道1 〜仙石線の被害を目の当たりにしながら野蒜・東名へ向かう仙石線の惨状に心痛む東松島の実家を朝6時に出発。津波の前は、実家の裏側には田んぼが広がり、 その向こうの海側には航空自衛隊松島基地が広がっていた。 基地があるために波の勢いがいくぶん抑えられて、その背後にある地域は流出や床上浸水が他地域よりも緩和されたのかもしれない。 その田んぼには、いまだに水が全面にたまっている。すっかり大沼と化してしまった。 そこから数百メートル行くと、道路のすぐ北側に仙石線の矢本駅がある。立ち寄ってみた。 駅舎や線路に泥水が浸入したようだが、幸い幸い大きな被害はなかったようで、少しほっとした。 私にとっては子供の頃から御世話になった愛着のあるマイステーションなのだから… 駅から数百歩先の両側の田んぼからは、まだ水が引かず路面近くまで冠水している。 特に海側は、まるで湖か大きな沼のようだ。 ここから海までは立沼地区という農業地帯で、地震前まではのどかな田園風景が広がっていた。 従弟は、建築して2年にもならない家と広いビニールハウスが流されたと、弟から聞いてきたが、 この光景を見ると現実を認識せざるを得ない。 自分は命が助かって、こうして二本の足で歩いていられる。それだけでも幸せだ。 すぐ脇を走るJR仙石線の線路に目をやると、、たくさんのごみやがれきが蓋っている。 鹿妻駅付近におかれているブルーインパルスは、高く掲げられているので流出を免れていた。 ブルーインパルスは航空自衛隊松島基地のシンボル的存在だったものである。 若い頃帰省した折に、「航空祭」でアクロバット飛行を繰り広げる雄姿に心ときめかせてせていたものだ。 次の陸前小野駅は45号線沿いにある。 この駅付近も惨憺たる状態だった。 野蒜と東名の惨状鳴瀬大橋を渡って左へ向かうと、被害の大きかった野蒜(のびる)駅や東名(とうな)駅がある。そちらへ立ち寄ると8キロほど歩く距離が長くなるが、どうしても記録に残しておきたかった。 ドロやヘドロで汚れ、がれきで埋め尽くされていた。 右側のお土産屋で買ったビールは、乾いたのどにしみこんだっけ… などなど思いにふけりながら悲しい思いで見つめた。 私は地震があった夜、金華山の黄金山神社で次のような放送を聞いていた。 ――国土交通省によると、仙台湾の沿岸を走るJR仙石線の列車(4両編成)が宮城県東松島市の野蒜(のびる)〜東名(とうな)駅間で脱線しているのを宮城県警のヘリコプターが上空から確認した ...
というものである。
その現場は、野蒜駅から600メートルほど東名側に行ったところだった。 11人の乗客が事故の翌日に自衛隊のヘリコプターで救出された、 というラジオ放送を鮎川の避難所で聞いた。 せめてもの幸いだと、幾分でも気持が慰められた。
そこから1キロほど行くと、東名駅の惨憺たる姿が目に入ってきた。
私の見た限り、最も被害が大きかったのはこの駅であった。改めて見て比較みると、あまりの変わりように愕然としてしまった。 こういう状態を目にすると、いつになったら仙石線が全面復旧するのか、予測不可能のような気がする。 東名駅から海側には、老人ホームや介護センターがある。 そちらの方はいまだに海のような状態だ。 具体的な被害者の状況はいまだに詳細は不明だが、短時間に多くのお年寄りや体の不自由な方々を 避難させることは不可能だったはずなので、多くの老人方々が犠牲になったのではないだろうか? 不幸にして命を落とされた方々のご冥福をお祈り申し上げます。 合掌 「東日本大震災に遭遇して」 記事一覧記事は題目をクリックしてご覧ください。1.金華山で命がけの避難 2.金華山 地震と津波の爪跡 3.予期せぬ救出 4.鯨の町鮎川・凄惨な津波の傷跡 5.避難所生活1 震災翌日 孤立無援の鮎川 6.避難所生活2 鮎川では早くも復興への動き 7.鮎川での避難所生活3 再び津波警報発令 8.さようなら鮎川 お世話さまでした。 がんばってください! 9.凄惨な被災地を通り 徒歩で石巻から東松島へ向かう 〜自然の前に謙虚であれ |
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ご訪問、コメントありがとうございました。貴重な写真や体験記の数々、拝見させていただきました。津波の凄まじさと、亡くなられた方のご家族の方々の気持ちを考えると、私の家族の命が助かったことを感謝せざるを得ません。
2011/4/14(木) 午後 2:28 [ ひじゅる ]
ひじゅるさん
私自身、兄弟ともに助かったことは感謝したいと思います。
2011/4/14(木) 午後 3:48 [ moriizumi arao ]
こんにちは。
この記事を転載させてください。
2011/4/14(木) 午後 5:15
金華山で地震に遭遇されたときから見せていただいております。
あまりの凄まじさにコメントのしようがありません。
お体を大切になさってください。
2011/4/14(木) 午後 9:10
三月に、私の学校の先生のおばも、ちょうど一番すごい津波が来た市に住んでいて、脚が悪く高齢者でやはり亡くなってしまった。と、この震災について、「同じ日本人として、東北の人たちが苦しんでいて、こんな状況になっているのに、自分たちが何も被害にあってないからと、なにも感じないようなヤツは、いくら勉強が出来たって、おばが底に住んでたとか関係なく、人間として俺が許さない。」と、私たちに言って、再びこの地震について考えさせてくれました。
私は被害にあっていないので、あまりえらそうな事なんかいえませんし、写真や映像や、体験談でしか、感じる事は出来ませんが…
これからもコメントさせていただきます!!
これからも、元気でいてください!!
2011/4/14(木) 午後 10:34 [ mocona ]
以前におかちめんこさんのブログで拝見していた、白鳥が遊ぶ美しい田んぼが泥の海に、いつかまた以前の姿に戻ることを願って止みません。大事なものをなくされた皆様には掛ける言葉さえ見つかりません。立ち直る希望を政府は明示して欲しいものだと思っています。
どうか心を強く持ってくださいますように、ご自愛ください。
2011/4/15(金) 午前 0:04
おはようございます。
杜泉法師が体験された、今回の東日本大震災は 親鸞聖人も 体験しなかった 千年に一度の災難でしたね。
杜泉法師も 千年後には・・・。
苦しみも悩みも、阿弥陀如来の力で、消えて 元気に復興・・・の親鸞展をトラバさせてもらいます。
2011/4/15(金) 午前 9:45 [ EGACITE ]
ケポチさん
転載ありがとうございました。
2011/4/15(金) 午後 10:13 [ moriizumi arao ]
おはようございます。
先日見にいった、京都・平安神宮・八重紅枝垂れ桜が、
杜泉法師の、仙台の苗から育ったとは知りませんでした。
今回の東日本大震災に 元気を送るよう満開でしたので、ふるさと 杜の泉へ トラバさせて頂きます。
2011/4/16(土) 午前 11:03 [ EGACITE ]
地震発生時の様子から避難所の生活、そしてその後の状況まで、たくさんの写真とともにとても丁寧に書かれており感心します。
それにしても徒歩とはすごいですね。だからこそ撮れる写真も多かったでしょう。
先週は地震後初めて実家の東松島と福島に帰ってきました。来週はボランティアとして一週間相馬に行ってくるつもりです。出来ることから一歩ずつ。
2011/4/16(土) 午後 0:34
ご隠居さん
ありがとうございます。
忙しいながら、気持の上でも次第に平常の生活に戻ってきました。
2011/4/17(日) 午前 9:49 [ moriizumi arao ]
moconaさん
コメントありがとうございます。
対岸の家事的にややさめてに見ている人もいますが、
たいていの人は真剣に受け止めてくれているように思います。
私も個人的に多くの知人から助けていただきました。
次に他でこのような災害が起きないとは限りません、
そのときには恩返ししたいと思います。
2011/4/17(日) 午前 9:59 [ moriizumi arao ]
ケンジさん
すっかり変わり果てたふるさとや周辺の様子を見ると、愕然としてしまいます。
早くもとの姿に蘇えってくれることを願っています。
見通しを明らかにしないで、目先の対策にのみ汲々視ている政府にますます信頼をなくしています。
2011/4/17(日) 午前 10:31 [ moriizumi arao ]
EGACITEさん
お心遣いうれしいですね〜
感謝 感謝!
すぐ行ってみま〜す。
2011/4/17(日) 午前 11:50 [ moriizumi arao ]
20日に松島海岸から代行バスに乗って石巻に行きました。
途中、東名や野蒜あたりの惨状には唖然といたしましたが、
それでもずいぶん片付いたのでしたね。
震災直後の貴重な記録写真でよくわかりました。
私のブログでご紹介させていただきました。
TBお願いいたします。
2011/6/24(金) 午後 4:29 [ 鉄平ちゃん ]
鉄平ちゃん
転載可にしてありますので、転載していただけないでしょうか。
実はTBの経験がないのです。
勉強してみます。
2011/6/24(金) 午後 10:41 [ moriizumi arao ]
はじめまして。
先日、圓通院のガイドさんよりご紹介いただき、
振り替えのバスで東名駅跡へと行ってきました。
2年の月日と地元の方、ボランティアの方、そして自然の息吹によって
あたりは穏やかな景色へと変わってきていましたが
こちらのお写真を見て、胸が痛みました。
リンクを張らせていただければ幸いです。
2013/6/10(月) 午後 10:20 [ 松原美里 ]
松原美里さん
より多くの方々に見ていただきたいのでリンク歓迎です。
これからもよろしくお願いいたします。
2013/6/10(月) 午後 10:50 [ moriizumi arao ]
松原美里 さん
そちらの記事にコメントしようとしましたが、コメントの仕方がよくわかりませんでしたのでこちらにリコメいたします。
2013/6/10(月) 午後 10:55 [ moriizumi arao ]
ありがとうございました!
2013/6/25(火) 午後 9:43 [ 松原美里 ]