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[本日の記事] 巨大津波の激突 〜震源地に最も近い金華山での被災体験3高台に到着してほっとして海を見ると、先ほど桟橋付近にはまったく姿を見せなかったうみねこたちが、 何か落ち着かないように上空でざわめいていた。 やはり本能的に津波の襲来を感じているのであろう。 15:15 高台の上空をせわしく飛び回るうみねこたち 防波堤が隠れ、海面から7メートルほどある待合所の屋根、 さらには10メートルほどあるお土産の二階の屋根も次々に水面下に消えていった。 海面では、桟橋付近に停車していた自動車や売店内部からの流出物が波にもみくちゃにされていた。 15:18 防波堤水没 15:19 待合所や周囲の建物水没 再び激しい引き潮 〜巨大津波を予感約10分後の15時29分、今度は水が激しく南北両方向に引き始め、1分もたたないうちに建物、堤防、桟橋が完全にもとの姿を現し、海底も見え始めた。 15:29 水が引き始める。建物や桟橋が再び姿を現す。 15:30 激しい引き潮で見る見るうちに海底を表した金華山海峡 ?H5>川のようになった金華山の海峡 そして、33分には金華山と牡鹿半島との間の金華山瀬戸からはほとんど水が引き、 私がシルクロードの砂漠で時々目にした、幅数百メートルの枯れ河のごとくになった。 15:33 まるで砂漠の河のようになった金華山と牡鹿半島の間の海峡 ?H3>南北から第二波襲来
水はさらに引き、海峡にはほとんど水がなくなった。 第一波発生前の引き潮では、まだ海底の一部しか見えなかったが、 今度の引き潮は、比較にならないほど大規模で、 巨大津波の襲来を予感させるに十分だ。 そう思ったのも束の間、1分後の15時35分には、 30メートル近くある津波第二波が、南北両方向から怒涛のように押し寄せてきた。 15:35 ほぼ砂浜と化した海峡に、まず南側(牡鹿半島の先端・鮎川側)から津波が押し寄せる。 15:36 呼応するように北側(女川方面)からは、鋭角状の津波が突進して来る。 15:36 海峡の中央で、北側から来た津波が南側の津波に食い込むように突進してくる。 巨大津波の激突二つの津波が我々の眼前で中央から大激突した。その瞬間50メートルくらいの波になり、我々のいる高台を目掛けて押し寄せて来た。 15:36 激突はまず中央付近で起こり急激に伝播してゆく。 15:36 激突したとたん50メートルほどの高さになった。 15:37 さらに巨大化した波が高台のほうに迫ってきた。 我々は予想外の事態に多少動揺しながらも、さらに高いところまで駆け上がった。 せっかく地震やがけ崩れから逃げおおせてきて、ここまで来て津波にやられたのでは元も子もない。 しかし、この時点では、ここで見ている津波が、 他の場所で2万4千人ほどの生命を奪うことになろうとは… 、そこまでは予想していなかった。 *この項目の6枚の写真は、行動をともにした写真家の東野良氏の提供によるものです。 写真を提供してくれ、使用を了解してくれたことに感謝いたします。 ?H5>津波の記念碑
我々が避難した高台からさらに5〜6メートルほど高いところに、
大震嘯災記念碑」と書かれた石碑がある。これは昭和8年3月3日の昭和三陸沖地震の被災記憶を残すために建立されたもので、 碑文には、次のように書かれていた。 「地震があったら津浪の用心」 「 それや来た逃げよう五本松」 五本松というのは、現在ではこの呼び名はあまり言われないようだが、 5本の松があった高台を指すのだろう。 地震が来たら津波を用心せよ、津波が来たら、五本松の高台を目指して逃げよ…… という教えを書いたものだ。 我々もこの教えを守ったので、命が助かったのだ。 こうした碑は、三陸各地にあるが、大きな津波がここ まで登ってきた…という津波の恐ろしさを知らせる警報の役割を果たしている。 「東日本大震災に遭遇して」 記事一覧記事は題目をクリックしてご覧ください。1.金華山で命がけの避難 2.金華山 地震と津波の爪跡 3.予期せぬ救出 4.鯨の町鮎川・凄惨な津波の傷跡 5.避難所生活1 震災翌日 孤立無援の鮎川 6.避難所生活2 鮎川では早くも復興への動き 7.鮎川での避難所生活3 再び津波警報発令 8.さようなら鮎川 お世話さまでした。 がんばってください! 9.凄惨な被災地を通り 徒歩で石巻から東松島へ向かう 〜自然の前に謙虚であれ 10.仙台への帰還への道1 〜仙石線の被害を目の当たりにしながら野蒜・東名へ向かって歩く 11.仙台への帰還の道2 〜野蒜・東名地区の津波被害と消防隊員の強い使命感 12.元気をくれる言葉たち 13.被災地三陸漁師〜「自粛をしないで欲しいです」 14.我が家の地震被害 15.震災ごみ仮置き場が満杯 「ルール守って」 16.津波に水没して生還した1本の奇跡の桜〜ついに満開に〜「岩手・田野畑村被災地からの報告」 17.命尽きるまで避難を呼びかけた南三陸町女性職員・遠藤未来さんの死を悼んで 18.2ヶ月の3月11日に振り返る。14時46分に犠牲者、行方不明者に黙祷。 19.東日本大震災チャリティーイベント 「井上ひさしさんに捧ぐ&学ぶ街づくり」 ご案内 20.金華山の復興に向けた検討に入る 21.漁師復帰に向けて・・。 新しい光が照らされたような事がありました。 22.【3.11大震災 証言・焦点】:証言/気仙沼・大島の津波/伝説の「島三分断」寸前 23鹿やうみねこはは地震を予知する? 〜金華山と鮎川での体験を通して 24.大地震 恐怖の戦慄 〜震源地に最も近い金華山での被災体験1 25.崖崩れの中のを命がけの避難 〜震源地に最も近い金華山での被災体験2 |
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。。津波が 重なり合うと 50メートル。。
恐怖ですね。時に自然は 脅威でもあり。。
これでは ひとたまりもありませんね。
先人の 教えは 確かですね。
怖かった事でしょう。。改めて津波の 怖さを知りました。
大変貴重な 画像を拝見しました。m(__)m
2011/6/10(金) 午後 5:31
本当に貴重な映像です。津波の恐怖が伝わってきます。
凄い!ポチ!
ブログ紹介させていただきました。
2011/6/10(金) 午後 5:46
写真だけ迫力が伝わった来ますが、目の前にしたら恐怖でしょうね。
凄い貴重な写真ですね。
ポチ!
2011/6/10(金) 午後 6:08
しばらくお邪魔してませんでしたが もの凄い経験をされていたんですね 今さらのように三月の大揺れを思い出します
2011/6/10(金) 午後 6:10 [ マロニエ ]
当時私は最初ついに来るべき時が来た宮城県沖地震かと思いました、しかし時間がたつにつれ凄まじい地震と津波が北は青森県から関東地方へと長い距離だったことがわかり唖然としてしまいました、それはまさに千年に一度と言われるほどの東日本大震災だったのです、いまとなっては予測を越えた凄まじさはさまざまな写真や映像によって自然の恐ろしさをあらためて実感した思いです・・・・本当に亡くなられた方々にはご冥福を祈るばかりです。源 住泰でした。
2011/6/10(金) 午後 6:39 [ japaninstaizu ]
凄い写真ですね。想像を絶する光景ですね。あいで
私も木曽川の氾濫で3mの水害にあいました。
10年くらいで、民家や、工場 商店が出来ました。
この大被害を風化させないために、これらの写真を
残すべきです。五本松の高台を、大切にするべきです。
2011/6/10(金) 午後 6:42
こんばんは
すごい写真ですね。
このような写真は一生残すべきものです。
一日も早い復興を
国会議員さんしっかりしてください
2011/6/10(金) 午後 7:33 [ 三心庵 ]
♪こんばんは。 また大雨になりそうです。
これだけ みても 良くぞご無事で 帰還ポチ!。
津波の記念碑は あちこちにあるようですが、
時代と共に 忘れるようで・・・。
記念日にして ご冥福を。
2011/6/10(金) 午後 9:20 [ EGACITE ]
本当に、この写真は残して下さい。貴重な記録です…。
明日で3ヶ月ですね。
早いのか、遅いのか…。
2011/6/10(金) 午後 10:34 [ jun ]
あらおさま
こんにちは。
あれから3カ月!
風化させない為にも記事として残すことに大きな意義が有ると思います。
昭和8年の教えも役に立ったのですもの!
ありがたいですね。
あらおさまの記事も必ず役立つと思います。
今後ともよろしくね・ポチ☆
2011/6/11(土) 午前 11:14
reikunさん
天災私忘れた頃にやってくる、ですので、何かの形で残さないといけませんね。
南三陸町では、役場の残骸を残すとのことです。
2011/6/12(日) 午前 7:51 [ moriizumi arao ]
コメントを頂き、訪問しました。
昔の人の教えが今に活かされているのですね。
うちの島も150年前と170年前に6mの近地津波に襲われています。
昔の記録を今に伝承していきたいと思っています。
2011/6/12(日) 午後 2:57 [ ich*kis**geo*07 ]
kasayさん
アドバイスありがとうございます。
漠然と専門化とのコンタクトを考えていたのですが、、具体的な動きをしていませんでしたので、積極的二行動したいと思います。
2011/6/12(日) 午後 3:11 [ moriizumi arao ]
真砂女さん
津波に直面した皆さんに聞くと、たいていかけ離れた世界の出来事のようにしてみていたと語ります。
恐怖を乗り越えた世界なのかもしれませんね。
2011/6/12(日) 午後 3:16 [ moriizumi arao ]
はじめまして。コメント頂きありがとうございました。
私の記事で触れました、「後世の人たちに津波による災害を警告する」ための石碑の実物がこれなのですね。
過去に被災した人たちも、二度と同じ悲惨を繰り返すまいとこの石碑を建てられたのでしょうね。
これをもっと多くの人の目の触れる場所に置かねばならないと思います。次の世代の人たちにもきちんと伝えられていくように。
2011/6/12(日) 午後 6:10 [ RAINBOW ]
貴重な画像ありがとうございました。
震災直後の仙台にいき多少は目にしてきましたが、
海沿いの津波に会われた方の生の姿は見れていない状況です。
夏に訪問いたします。
家の修理も中断しているようですね。
元通りにはならないでしょうけども安心して暮らせる
レベルになると良いですね。時に石巻のおじちゃんおばちゃん
は元気ですか?
近くに来られてたので訪問してください。
2011/6/12(日) 午後 10:48 [ ごろ ]
ごろさん
石巻のおじちゃんとおばちゃんは元気ですのでご安心ください。
家の修理は来たり来なかったりで困っちゃいます。
2ヶ月で完成できれば上出来かもしれませんね。
でも、疲れましたね〜
珍しくちょっと愚痴が出てしまったようですね〜
長いようで、短い3ヶ月でした。
でも、大変な被災者の方は、これからが正念場なんだよね〜。
2011/6/14(火) 午後 0:21 [ moriizumi arao ]
こんにちは。
6月30日付け河北新報朝刊の三面記事にこの金華山での大津波のこと、つまり貴方様の遭遇したことが「ドキュメント大震災・逃げるその時8完」として掲載されました。お友達の東野さんの貴重な写真と共にです。沖へ逃げた金華山定期船のことです。改めてぽちします。
2011/6/30(木) 午後 5:31
お父さん
実は昨日、東野君たちと山歩きをし終えて、仙台駅前で打ち上げをしていたところへ担当記者の浅井さん電話が入り、記事掲載の連絡が入りました。
2011/6/30(木) 午後 11:20 [ moriizumi arao ]
お父さん
ポチありがとうございます。
2011/6/30(木) 午後 11:22 [ moriizumi arao ]