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歩き遍路を志す人の中には、「歩きの中にこそ遍路の真髄がある」と考える人もいます。 私もその考えには同調しますが、だからといってお寺を軽んじてよいものではないと考えます。 あくまでも、「お寺あっての歩き」なのだから、その点を履き違えないことが大切であります。 四国遍路は、本来、信仰に根ざした宗教的なシステムであって、お寺が信仰の場であることを十分認識する必要があると思います。 確かに信仰心がなくても四国遍路は出来ます。 現実に、信仰を抜きにして遍路をしている人は大勢います。 だが、もしも、お寺が信仰の場であることをわきまえない行動を取ると、他人の信仰心まで傷つけることになるでしょう。 遍路は、お接待などを通して、多くの人々からその人の信仰の気持や想いを預かっていると、私は考えています。 たとえ、遍路中だけの「仮の信仰心」であったとしても、しっかりとお参りすることによって、預かった責任をはたすことが出来ると思います。 自分一人だけの遍路ではないことを、常に忘れないことが大切です。 |
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おはようございます
今、四国礼拝の旅について、ある本を読んでいます。
昔、お遍路さんが亡くなられたらなくなった寺の裏山に埋葬して供養塔を建てた。今でもその供養塔があちらこちらにある。と書かれていました。それだけ真剣に四国礼拝のたびをしていたのでしょうね。
2011/6/26(日) 午前 6:35 [ 三心庵 ]
三心庵さん
よい本をお読みですね。
よかったら紹介してください。
2011/6/26(日) 午前 7:08 [ moriizumi arao ]