ホータン周辺の仏教遺跡を訪ねて現在は、すっかりイスラム化されたホータンホータンの街には仏教の面影を残すものはほとんど、――というより私の目ではまったく見かけなかった。 女性たちは、スカーフ姿だし、男性はイスラム帽だ。
ところどころにモスクがあり、そこで祈る人々の姿があった。
ウイグル女性は目を楽しませてくれますね〜 いにしえの仏教王国ホータン法顕(338?〜442?)『法顕伝』(5世紀始め)の中で、 ホータンでは国も人民も富み栄え、みな仏法を報じて家の前に小塔をたて、 華麗な寺院では僧侶数万人が大乗を学び、 王は高価な宝石を供養に使い、自分のために使うことが少ないと伝えている。 法顕は高齢ながら、63巻もの経典を漢訳した。⇒ 玄奘三蔵は『大唐西域記』で、 篤く仏法を尊んでおり、伽藍は百余箇所、僧徒は五千人、みな大乗の教えを学習している。 王ははなはだ武勇で、篤く仏法を信じ、自ら毘沙門天の後裔であるといっている。 これらの見学した5つの遺跡と、すでに訪れたチャリクリク、ミーランを横につなぐと、 失われた古代の西域南道が浮かび上がってくる。 それぞれ下線付きの題目をクリックすると記事が開きます 268 ミーラン遺跡2 ミーラン故城の手荒な歓迎 269 ミーラン遺跡3 故城を巡る 270 ミーラン遺跡4 吐蕃の城砦と古寺のヘレニズム文化 271 チャルクリク 272 チャルクリクの小学校とウイグルのこどもたち 273 一路チェルチェンへ 274 チェルチェン 〜ポプラ並木の郷愁〜 275 チェルチェン 〜バザールとチェス〜 276 チェルチェン故城とザーグンルーク古墳 277.楼蘭からホータンへ7 278 石油開発で発展するミンフォン 279 玄奘三蔵が見たホータン は仏教国…、今のホータンは? 280マリカウト故城と玉売りの子供たち 〜ホータン2 ホータン周辺のほとんどの遺跡は、都城址と仏塔、寺院址からなり、 仏菩薩や諸天の彫像、壁画、いた絵が多く発見された。 (上)の2枚の写真は、「週間シルクロード紀行5 西域南道ホータン」より 実際に遺跡を見学したり、本を開いてみると、 礼拝対象の多さ、その装飾の豪華さ、 図や像の主題となる説話、伝承の多さには驚かされた。 詳細は、後の記事で紹介します。
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先月、佐賀県の吉野ヶ里遺跡に行ったとき、弥生時代の遺跡から絹織物が発見されていて、その時代からカイコを飼って機織りをしていたということを知りました。中国発祥の絹織物が東へは日本、西へはシルクを通って、西域へ伝わったんですね。現在のホータンはイスラムの色が濃く残っているんですね。
&トラバ
ぽちっとね
2011/7/10(日) 午後 11:58
杜泉さん、お早うございます。
久々にブログ訪問させていただきました。
いつもながら素晴らしいシルクロードのスケールの大きさに驚きな
がら拝見しています。玄奘三蔵は『大唐西域記』で篤く仏法を尊ん
で伽藍百余箇所、僧徒は五千人、みな大乗の教えを学習している。
日本仏教のルーツがここにあるのですね。
それがイスラム教徒にどのような過程でなった行ったのかも興味の
あるところですが、日本の仏教遺跡を訪ねるのがやっとのことです。
ホータンの街には美女も多いようですね。ポチです。
2011/7/11(月) 午前 8:23 [ らくがき楽ちん ]
kassyさん
蚕が西へ伝わった逸話は、とても有名ですので、そのうちアップしようと思います。
ポチっと! トラバありがとうございます。
2011/7/11(月) 午後 6:21 [ moriizumi arao ]
らくがき楽ちんさん
訪問とコメントありがとうございます。
ホータンのイスラム化は、カシュガル方面に興ったイスラム国のカラハン王朝に征服されたからなのです。
ポチっと! ありがとうございます。
2011/7/11(月) 午後 6:41 [ moriizumi arao ]
♪こんばんは。
猛暑で動きつらいとき、砂漠のホータンは厳しいですが・・、
ホータンにカイコと桑・・・シルクロード・スカーフ?
やはり ウイグル女性は目を楽しませてくれ
清涼ポチ!
2011/7/11(月) 午後 11:13 [ EGACITE ]
EGACITEさん
いつもたのしいいつもコメントありがとうございます。
そちらの暑さは格別でしょう!
暑さの中を息子の自転車で京都めぐりに励んだ頃を思いだすな〜
ポチありがとうございます。
2011/7/12(火) 午前 4:31 [ moriizumi arao ]