北方の遊牧騎馬民族の侵入を防ぐために延々と築かれた明の長城
わたしのシルクロード「元年」
初めての海外一人旅
シルクロードの出発点といわれる「西安」を始めて訪れたのは、平成元年だった。
“平成の始まりを、私のシルクロードの出発点にしたい”という思いがあった。
私にとっては格好よく言えば、「シルクロード元年」だった。
初めての海外一人旅である。(それまでは、ツアーだった)
中国語もろくに話せない私が、単身中国へ乗り込んだのである。
とにかく私は旅になると度胸がつき、人懐こくなる。
我ながらちょっと無鉄砲だと思ったが、シルクロードへの想いがグングンと後押しした。
シルクロードの出発点・三大古都を廻る
一般には シルクロードの出発点は「長安」(西安)といわれているが、
厳密に言えば西安だけではない。
王朝が替わって首都が変ると、それに伴ってシルクロードの出発点も変っていたのである。
紀元前11世紀から紀元10世紀中頃にかけて、
西周、秦、前漢、後漠、隋、唐など13の王朝が都を西安に置いていた。
そういう意味では、西安をシルクロードの出発点とするのは非常に妥当性がある。
中国の七大古都は、北京、西安、洛陽、開封、安陽、南京、杭州であるが、前三つはシルクロード交易と関連が深い。
私のあこがれの人マルコ・ポーロが中国を訪れたのは、蒙古の支配下にあった13世紀・元の時代であった。その都が大都(現在の北京)である。
洛陽は、後漢・曹魏・西晋・北魏・隋・後唐の首都となった。また、長安を都とした王朝でも、洛陽を副都とした王朝が多かった。
こういうわけで、平成元年の旅は、この3つの古都を廻ったのである。
西安は後の記事でじっくり紹介するとして、
まず、北京と洛陽の名所・旧跡を訪ねた時の様子を紹介します。
?H3> 北 京
[天安門広場」と紫禁城(故宮)]
1989年と言えば、北京では何が起こったでしょうか。
よくご存じの天安門事件が起こったのは、6月4日です。
そして、わたしがここ天安門を訪れたのは8月11日でした。
そのころは何事もなかったように、表向きは平静でした。
ただ、天安門広場には、いたるとこに警備の警察官が立っていました。
横を向いているうちに、ちゃっかりと撮影しました。
故宮(紫禁城)は、明清朝の旧王宮です。
以外にも、たくさんの外国人観光客でにぎわっていました。
[万里の長城 八達嶺]
みなさんは、万里の長城と言えば北京郊外のここ八達嶺を思い浮かべるでしょう。
ここは、歴史的に新しい明の時代に作られました。
ところが西へ向かうと土くれのような、漢の長城にお目にかかります。
[頤和園]
清の女傑西太后が、莫大な金を注ぎ込んで改修して晩年を過ごしたところとしてよく知られています。
これがもとで清の国力が衰退したといわれています。
17孔橋
[洛陽 龍門石窟]
龍門石窟は、敦煌の莫高窟、大同の雲岡石窟と並ぶ、中国三大石窟の一つです。
わたしが最初に見たのが、龍門石窟です。
龍門石窟は主に、北魏時代と唐代に切り開かれました。
黄河の支流伊水河の両岸に1キロにわたり彫られています。
まず驚いたのは、石仏の多さです。ちょっと見疲れるほどでした。
10万体もの仏像が安置されていいるのですから、半端じゃありませんよね。
一番の見所は、何と言っても唐代に則天武后の統治時期に作られた奉先寺石窟です。
内部の仏像は神々しく、表情はおおらかで優雅でした。
彫が深いところは、わたしのお気に入りです。
則天武后が自分の化身として作らせたといわれています。
衣のヒダまではっきりと見えます。
則天武后は全国あちこちに寺を建て、仏像の顔は自分に見立てさせたといいます。
あまり評判のよくない彼女は、仏像の姿を借りて自分の徳が高いことを人民に示そうとしたのでしょう。
奉先寺石窟
則天武后が自分の化身として作らせたといわれる盧舎那仏。
[洛陽城]
ここ洛陽は、後漢、三国魏、晋、北魏王朝の都として400年間東アジアの中心でした。
私にとって、三国志の英雄、曹操、袁紹、孫堅(孫権の父)、董卓、呂布、関羽などが活躍した都はまさしくここなのです。
倭の女王卑弥呼ともこの都市は結びついています。
ここへ足を踏み入れた途端、2000年ほど前の空間に足を踏み入れたような気分になりました。
[洛陽 白馬寺]
この白馬寺は中国で最初に建立された仏教寺院であると言われています。
この旅は、とにもかくにも飛んでもハップンの旅で、トラブルとハプニングだらけ。
後にも先にもこんな旅をしたことがない。
そこらのところは次回以後をお楽しみに!
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杜泉新生(もりいずみあらお、旅行作家)さん・・平成元年だったのですか。 僕は、3年遅れです。49歳でした。ウルムチから西安でした。2年目は、ウルムチからタクラマカン砂漠を一周しました。3年目は、モンゴル及び内モンゴルでした。
いずれも2人旅で・・全行程ガイド、ローカルガイド、運転手付きでした。
画像を見ながら、それを思い出しています。
楽農家(らくのうか)です。
2011/10/5(水) 午後 7:56
楽農家さん
なんだか同好の士を再発見したようでうれしいですね。
ポチありがとうございます。
2011/10/5(水) 午後 10:51 [ moriizumi arao ]
♪おはようございます。
平成元年がシルクロード元年!
こちらが行った20年も前です・・・。
中国4000年の歴史からすると、最近の変化は目を見張りますね。
長安、洛陽、大都・・・懐かしい世界歴史!。
洛陽は通っただけで未だ。
杜泉法師の 語部期待ポチ!
2011/10/6(木) 午後 0:04 [ EGACITE ]
龍門は大好きな北魏の楷書を見に何度も訪れています。
牛闕造像記なんて震えが出るくらい大好きです。
いまは特急がありますが、
昔は夜行列車で行きました。
2011/10/6(木) 午後 4:23
EGACITEさん
わたしの紀行文も詳しすぎてなかなか中国から出ることができません。
もっとスピードアップしたいところですね、
ポチありがとうございます。
2011/10/6(木) 午後 10:45 [ moriizumi arao ]
安寿さん
書には詳しくないわたしなので、
高校時代や若かりし頃にちょっと学んだ欧陽詢や褚遂良くらいしかしりませんが、牛闕造像はちょっと太めのダイナミックなのではないのでしょうか?
わたしは太くてダイナミックな顔真卿が好きでした。
私も北京からっ洛陽まで夜行列車でした。
時刻表なんかあって亡きがごとしのおおらかな旅でした。
2011/10/6(木) 午後 10:58 [ moriizumi arao ]
シルクロードを中国とローマとの間の主要貿易路とするならば、その中国側起点は洛陽であり、その欧州側起点はシリアのアンティオキアと定義できる。
この名称をリヒトホーフェンとヘディンが使用した意味で理解すれば、この隊商路の主要な路線は次の3本になる。
1.敦煌(とんこう)からアルトゥン山脈に沿い、ホータン、ヤルカンドなどタクラマカン砂漠南辺のオアシスを通過してパミール高原に達する南方の交通路 (西域南道)。これが最も古い。砂漠の南を通ることから漠南路とも呼び習わす。
2.敦煌からトゥルファンを経てウルムチに達し、イリ川流域にいたるもの。この北方のシルクロードはおそらく紀元後数年に開かれた。天山山脈の北麓を進むことから天山北路とも呼び習わす。
3.敦煌から楼蘭(ろうらん)を経てコルラに達する中央路は北方路よりも古く、南方路と同じ頃の紀元前2世紀にさかのぼり、最も重要な隊商路として4世紀前半まで使用されていた。天山南路あるいは漠北路ともいう。
広義のシルクロード、すなわち西トルキスタン(旧・ソ連領中央アジアの一地域)以西の東西隊商路は多数の路線に分岐していた。
2012/3/31(土) 午前 10:38 [ 高砂のPCB汚泥の盛立地浄化 ]
4月6日熊本県庁で水俣の発展調査
くわしいご高説をいただきましてありがとうございました。
これからもよろしくお願いいたします。
2012/4/3(火) 午後 4:42 [ moriizumi arao ]
ナイス☆ありがとうございます。
2013/3/13(水) 午前 10:13 [ moriizumi arao ]