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憧れの長安へ
バスは、北門、西門、南門をぐるりと回って、ついに憧れの長安へ入城した。
この城壁は明代に建造されたもので、城壁の中が明代の「長安」である。
唐代の長安はこれよりもずうっと広い。
古き良き「長安」の姿をいくらかでも目にできるのだろうか…。
そう思いながら、胸をときめかせていた。
西安の中心鐘楼
私の「長安」訪問は、西安のシンボル鐘楼から始まった。
城内の中心に建つ鐘楼に上ると、市街が一望に開けた。 南に目をやると、大雁塔や小雁塔、西北には鼓楼が望める。 ここを起点に、東西南北へと大通りが延び、それぞれの方向の城門に達している。 1989年当時
現在は周辺は交通量が多いため鐘楼へ地下道から出入りする。はすっかり整備されている。
22年前の西安の情景
鐘楼に立って見はるかす西安市街は、街路樹の緑を除けば、黄土色の建物がやたら目につく街である。
木や草の多い緑の文化で育ったわたしたち日本人にとって、土の文化、黄土文化の西安のたたずまいは、ことのほか埃っぽく見える。 ――いったいあの大唐の都はどこへいってしまったのだろうか。
周、秦,漢、唐と十一代千百年にわたる中国王朝の栄華はどこに消えてしまったのだろうか。 私は現在の西安にも多少は、大唐の都・長安を見ることが出来るだろうと思っていた。
しかし、鐘楼に立って西安の街道を遠望すると、わずかに大雁塔、小雁塔が夕日を浴びて遠くかすんでいるのを見つけるだけである。 それもそのはずだ。ロマンに浸り過ぎたか…と、現実に帰った。 ――長安をめぐる王朝の戦い、戦乱によって、焼き払われたのだ。 中国では新しい王朝が立つと、前代の宮殿や城など焼き払ったり、打ち壊したりしてしまうから、残念ながら残っているはずはないのである。 めちゃくちゃな交通
行き交うものは、圧倒的に多い自転車、そしてバス、車。 馬車、ロバ車、輪タク、はては人力車といった、日本ではもう見ることが出来ない動物力の車も健在である。 それらが、まったく右往左往しながら無秩序に走ったり歩いたりしている。 よくこれで交通事故にならないものだと心配になるほどである。 ちなみに、交通マナーの悪さは最初に訪れた北京もやっぱりそうだった。
16年後の2005年には一層拍車がかかり、 交通量が増えた2008年には言うに及ばずである。
街は大発展を遂げているが、交通マナーは一向に進展の兆しは見られないな〜。
そんなことを考えながら、時間が気になった。
なにぶんにも1989年の旅では、西安は僅か3泊の駆け足の旅だったので、
そろそろ出発しなければならない。
リュックを背負って街中を歩くのではと不便だし、いかにも外国人そのものなので、
少し時間的には早いがホテルでチェックインして、荷物を預かってもらうことにした。
鐘楼からホテルの秦都酒店までは、3キロ弱なので、暑い中を歩いて向かった。
リュックを背負った私を、通行人たちはもの珍しそうに一斉に見る。
中には、「日本人か?」と訊いてくる人もいる。
それから、輪タクやの勧誘がやたら多い。
当時は珍しい三輪バイクからも時々声がかかる。
輪タクはたいてい「安いよ」とか「涼しいよ」などと声をかけてくる。
「不要!」「不要!」とひたすら断っても、しぶとく食い下がる輪タク屋も多いのでいささか閉口した。
輪タク攻撃を避けてちょっと路地へ入ってみる。
ちょうどレンガ造りの家を建築中の家もあった。
40分ほどでホテル秦都酒店へ到着した。
さっそくチェックイン。
ホテルの売店でアルバイトをしていた高校生潘さん 次回へ続く
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残念ですが画像がかけているものがあるようです。
2011/11/26(土) 午前 11:35 [ chama ]
改訂版はしっかり入りましたね。今日もとても素晴らしい記事です。☆☆☆ポチ!
2011/11/26(土) 午後 1:05 [ chama ]
西安に限らず古い中国に憧れるのは私たち旅行者のノスタルジーなのでしょうね。
でも、地元の人たちにとってはより良い近代的な生活を求めるのは当然の要求ですから・・・
2011/11/26(土) 午後 1:36
chamaさん
ご指摘とポチありがとうございます。
2011/11/26(土) 午後 2:49 [ moriizumi arao ]