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2月11日は東日本大震災から11ケ月目です。 今日は、仙台近郊の被災地、荒浜、井戸、閖上を回ってきました。 旧田園地帯三陸自動車道の下をくぐり抜けると、広大な畑や田が広がっている―― 。震災以前はこんな表現がぴったりだった。 もともとはそんな緑豊かな田園地帯だったところだ。 3月下旬には、三陸自動車道の海側には目を覆いたくなるほどのがれきで覆い尽くされていた。 津波は三陸自動車道で食い止められ、おかげでここへ逃げ上った3千人ほどの人の命が救われ、 仙台市街の中心部への襲撃がまぬがれたのである。 春には、がれきやヘドロが田園地帯を覆って悲惨さで胸が締め付けられたが、それでも人間の営みがどことなく伝わってきた。 晩秋には、塩害に負けずに生えた雑草たちがところどころに枯れた姿をさらけ出し、兵どもが夢の跡を感じたが、生きとし生けるものの息吹がどことなく残っていた。 ところが今は、都会から急に茶色の沙漠地帯に入り込んだ感覚にとらわれた。 、 まるで荒涼たる砂漠のような津波被災地 がれきが取り除かれ、草が枯れてしまった今は、土だけの荒涼とした大地が広がっているだけだ。 却ってたまらないせつなさと寂しさ感じてしまう。 前川清の歌の歌詞の中にに「東京沙漠」という言葉が出てくる。 これは殺伐とした人間関係を歌ったものだが、 こちらの『仙台砂漠』は、見ている人間の心を乾き切らせてしまいそうだ。 この光景を見て、農家の人たちは何を感じるだろうか。 「絶望的な広大さ」と受け止めないで前に進んでほしい。 勝手な言い草だが、不毛の大地を新たに切り開いた処女地と考えて、心機一転がんばってください。 東北人の粘り強さを信じています。 それにしても、早く復興計画を確立してほしいものだ。 私は毎月、基本的に11日に被災跡を回ることにしている。 この地で命を落とした人々の鎮魂と、自分の心の中に東日本大震災を風化させないためだ。 荒浜と井戸浜荒浜に近づくと真っ先に目に入ってきたのが、県道10号線沿いの石油スタンドだ。もう1年近くになるが、周辺のがれきは取り除かれが、建物は全くそのままだ。 すぐそばの荒浜小学校は、避難場所になり多くの命が救われた。 小学校の校舎から撮影した動画を見て驚いた。 まるで嵐の海の中、船から撮影した映像の様だった。 http://youtu.be/VQhJBpoA1Eo 動画はクリックしてご覧ください。 さらに海側の状況も把握したかったが、立ち入り禁止のためその地点での撮影となった。 この周辺は荒浜地区の中心で、密集して家が建っていたが、今は人家の跡は、土台を残すのみだ。 ところどころに残された空洞化した家を見ると、もむしろわびしさが増してくる。 現在の荒浜 荒地を整地しているショベルカーと煙突から出る煙が人間の営みらしいものを感じさせてくれます。 がれきを運んでくるダンプカーとそれに混じって走っている運送用のトラックを見ると、 少しずつでも復興が進んでいるのかなと、わずかな光明を感じる。 井戸浜閖上 日和山閖上港から約200メートルぐらい離れたところに、高さ6.3mの日和山がある。ここの日和山は、元々大正時代に人工的に作られた小山で、山と言うよりは高台と言ったほうがよいものだ。 津波のときに逃げ遅れた人々が急きょこの日和山に逃げ上ったが、 津波は楽々とこの小山を飲み込んしまい、多くの人が犠牲になったとのことだった。 頂上にあった富士主姫神社も消滅した。 石碑も丘の下に落ち、桜の枝も折れた。 現在名取市では復興のシンボルとして、津波の犠牲になったいろいろなところの桜の木の復興を図っている。 この日和山で5月8日には、「鎮魂と連帯の響き」と題するコンサートが開かれた。 5月11日に訪ねた時には、山の上には、 「一人じゃない」「みんなで手を取って」などと書かれた標柱が幾つも立ち並んでいた。 名取市閖上地区の住民にとって、日和山はまさに祈りの山になっているのである。 私は名取を訪れる時には必ずここへ立ち寄り、お祈りをさせていただいている。 11日は月命日なので、お祈りに来た何人かの人に出会ったた。 復興を願う強い気持ちが伝わってきた。 再び幸福が訪れるように願う気持ちが伝わってくる。 この小山に上ると、ほとんどのものが消失した閖上の被災地が360度見渡すことができる。 被災前の状況を知るだけに、つらい思いが湧き上がり、再び標柱に向かい心から復興を願った。 被災地に立つといつも思います。 自分に何ができるのだろうかと―― 。 |
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閖上は、広浦橋からの電気うきを使ってのスズキ釣りを一昨年まで特に夏の夜、何年も通いましたし、馴染みの魚屋さんもあり、よく行った場所です。実は、東部自動車道から震災後の彼の地は何回も見ているのに、浜街道からは、一回も行っていないのです。震災前のにぎやかな街並みを知ってるが為に、恐ろしくて立ち入れないのです。通いなれた寿司屋(閖上美晴鮨)の親父さんも津波で命を落とされたと聞き胸が痛みます。閖上に在住の友達で消息不明の方が何人もいるんです・・・。
2012/2/13(月) 午前 0:02
お父さん
あなたの気持ち―― よくわかりますよ。
私も、郷里の東松島や石巻へ行って被災現場へ足を踏み入れると、
亡くなった知人や親せきを抜きにしては情景を見ることができません。思いがこみ上げて、涙があふれてしまいます。
2012/2/13(月) 午後 2:33 [ moriizumi arao ]
こんばんは。
震災前の美しい土地、そして震災直後の地、さらに・・・。
お寺がぽつんと残ったのも、なんとも奇遇です。
ポチ☆
2012/2/13(月) 午後 8:57 [ バタフライ ]
あらおさま
震災前の田園地帯のなんと美しいことでしょう!
一日も早い復興を願ってやみません。
復興桜に期待を込めて・ポチ☆
転載させてくださいね。
2012/2/14(火) 午前 11:13
バタフライさん
また再び美しい緑を取り戻すことを信じています。
復興計画さえ決まれば、頑張って動くのにね〜
ポチありがとうございます。(^−^)
2012/2/14(火) 午後 2:45 [ moriizumi arao ]
三原色さん
被災者の方々は早く行動を起こしたがって、復興計画が出来上がるのを強く望んでいます。
東北人の粘りで必ず復興すつはずです。
2012/2/14(火) 午後 2:59 [ moriizumi arao ]
♪こんにちは。
街も 田園も 一瞬のうちに 津波にのまれ、
あとは 砂漠のように・・・
信じられない光景のあと 復興を願う 大黒様法師ポチ!。
2012/2/14(火) 午後 3:02 [ EGACITE ]
帰省すると同じルートを辿ってしまいます。
幼少の頃は父の釣りで閖上へ、海水浴はどれだけ深沼に通ったことかと。。あれだけ優しかった風景と皆さまを思うと残念でなりません。
現地再建と移転で住民の方のご意見異なると聞きますが
みんなが大好きな故郷であることに変わりはないと思います。
現地には避難ビルを兼ねた復興住宅、移転の地とは無料バスで結ばれ・・・具体的な復興へドンドン動き出して欲しいといつも心より願ってます。
2012/2/15(水) 午前 8:28
EGACITEさん
本当にあっという間に緑の大地もそこに宿っていた歴史も消えるのですから驚きですね。
しかし、また新しい歴史が始まるんだと前向きにとらえたいと思います。
ポチありがとうございます。(^−^)
2012/2/15(水) 午前 9:42 [ moriizumi arao ]
被災現地の方々の立場が異なるので、それに伴って復興に対する意見も異なるようです。
行政側もその調整に苦慮しているのかもしれませんね。
国や行政側が正しい見識を持って、正しい方向へ導いてゆく強いリーダーシップを持たないといつまでもまとまらないと思います。
2012/2/15(水) 午前 9:48 [ moriizumi arao ]
♪つづけて おはようございます。
これについている Xuite 楓法師の音楽 Moon Lover
癒されて 記事にも合って いいですね。
コピーしようとしたら、中国語でよくわからないのですが、登録して問題ないでしょうか?
2012/2/15(水) 午前 10:14 [ EGACITE ]