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わたしは3度死に直結する体験をしているんです。それがね、どれも水が関係しているんですよね。
それでも今、僕の眼の前で生きているんだから、「水運が強い?」というわけですか!?ぜひ聞かせてください。
Y君の求めに応じて、私は次のような体験談を話した。
最初は四歳の時。
造り酒屋の屋根の上に深さ3メートルほどの給水用大樽が設置されていた。子供心にその樽の中を一度覗いてみたいと思っていた。丁度おあつらい向きに、屋根まで上る梯子が立てかけてあり、おまけに樽にも梯子が掛かっていた。たぶん、樽の中を掃除するためだったのだろう。これ幸いに、その家の息子「坊ちゃん」と二人で、空になっていた樽の中へ入り込んだ。ところが、入ったのはいいが、外へ這い上がることができない。仕方なしにその中で遊んでいた。すると突然水が入り込んできた。二人で大声で叫び続けたが、誰も気付いてくれない。水が増えて来て、溺れかけた時、たまたま外へ出てきた杜氏が叫び声に気付いて「樽の中で坊ちゃんとSちゃんが騒いでる。早く水を止めろ!」と、急いで給水をやめさせた。二人の大声と偶然が命を救ってくれたのだろう。
二度目は七歳の時。
深さ4メートルほどのコンクリート製肥溜めの横に、直径30センチ、長さ1メートルほどの土管が並べて立っていた。そこに上って弟たちと木苺を採っていると、弟がバランスを崩して落ちそうになった。つかまえようとしたら、逆に自分の土管が倒れて肥溜めに転落してしまった。まだ泳げなかった私はしこたま汚物を飲み込んで、肥溜めの底へと沈んで行った。耳元でひゅーひゅーという音が聞こえた。底に足がついた途端無意識のうちにキックした。すると体が自然に上へ浮かんで肥溜めのヘリが見えた。思わず手を伸ばすと、左手の指がわずかに掛かった。しかし指の力がなく、再び沈んで行った。死ぬかもしれないとなんとなく思った。水におぼれた時には一度は浮かぶが二度とは浮かばないと、以前、大人から聞いていたからだ。その時、自分でも不思議なほど冷静だった。再び底まで沈んだが、死んでなるものかと、今度は底にしゃがみ込むようにして両足で思い切り底を蹴った。浮き上がりながら今度こそつかまりたいと強く思った。上で「つかまれ」という大人の声が聞こえた。必死に手を伸ばした途端、大きな手が両手でしっかり自分の小さな右手を捕まえていた。
三度目は、二十五歳の時である。
利根川支流の吾妻川の河原にある大きな水たまりに浸かって体を冷やしていたところ、突然激流が押し寄せて来た。後で聞くと、一キロほど上流の発電所からの放水だった。その瞬間は軽く考えていた。だが、急いで岸へ向かおうとしたが全く意思通りにならない。水深は高々腰ほどだが、流れが急だし、石がぬるぬるして滑るので、まったく踏ん張りが利かない。自分の気持ちに逆らって、まるで駆け足をしているかのように、下流へ向かって体が運ばれていった。五百メートルほど下流にも発電所がある。初めのうちは、そのうちいつかは岸にたどり着けるだろうと思っていた。ところが、あれよあれよという間に発電所に近づいていった。あと二百メートルほどに迫った時、取水口が見えた。その口がぐんぐん大きくなってゆく。口の直径は5メートルほどある。吸い込まれたら一巻の終わりだと思った。そのとたん、突然死の恐怖が走った。必死に現実から逃れようとあがいたが無駄だった。あと50メートルくらいまで近づいたとき、両岸がコンクリートの壁に取り囲まれ、急に水底が深くなった。発電所の取水水路に入り込んだのだ。泳ぎには自信があったが何せ流れが速いし逃げ場がない。いよいよ取水口に近づいたとき、〈あ~、あそこに吸い込まれて死ぬんだなー〉と、不思議なほど穏やかな気持ちになった。急に恐怖から解放された気がした。死という現実を自然に受け入れたのだろう。ところが、取水口目前になって、急に水路の右側が倍以上に広がり、流れが緩やかになった。いったん死を受け入れた私だが、とっさに流れと逆方向の右側の壁に向かって泳いだ。運よく壁にはステンレス製の手すり階段がついていた。こうして、自力生還したのであった。
わたしは先ほどのY君のように、一瀉千里に喋りまくった。その間Y君は一言も言葉をはさまなかった。というより、はさめなかったのだろう。思えば、死と向き合ったこの3度の体験をまとめて話したことはなかったと思う。死に直面した話を聞いて、彼はどのように感じたのだろうか。(続 く)
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ひきこもり青年の歩き遍路
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杜泉新生(もりいずみあらお、旅行作家)先生!・・ 甲状腺ガンも水に関係があるから、今回も助かりますね!この水難記事を読み、そう楽天的に考えました。、、私は、水ではなくピストル、カラシニコフ、ドスなど物騒な武器を突きつけられましたが、ガタガタの震えが止まると覚悟し、不信な言動をせず助かりました。
楽農家(らくのうか)です。
2013/7/22(月) 午前 9:59
楽農家さん
その後、シルクロードで砂嵐に遭った時や、東日本大震災で建物崩壊、がけ崩れ、巨大津波から3度も潜り抜けた時も意外に落ち着いていたのも、修羅場を経験していたからかもしれませんね。
2013/7/22(月) 午前 11:37 [ moriizumi arao ]
3度の水難体験、天が味方してくれましたね。
どんな苦難の中でも諦めちゃだめだということ
ですね。
毎度、記事を転載していただき、ありがとうございます。
ナイス!
2013/7/22(月) 午後 4:24
こんばんは^^
水難・・・・でも今も生きているってことは、まだ死んではいけなかったんでしょうね^^
それにしても凄いです^^
ポチ☆
2013/7/22(月) 午後 10:11
アチキが働く市内では、今年は河川での水難事故が多発しているように思います。事故というよりは、事故後浮いている方が多いです。陸の上っていいですよね、新鮮な空気を胸いっぱいに吸えるんですから。
2013/7/23(火) 午後 6:30 [ runoah119 ]
Kasayさん
人間は観念すると冷静になるものだということを体験しましたので、
東日本大震災の時も冷静に対処できたと思います。
2013/7/23(火) 午後 9:43 [ moriizumi arao ]
幸麿さん
今思えば、どんな経験も後に生きてくる―― って言われてますが、
本当ですね。この経験が、東日本大震災でも役立ちました。
(^-^)
2013/7/24(水) 午前 5:33 [ moriizumi arao ]