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がれきの上を歩いていると、金華山での自分の命がけの体験と、鮎川の人々が遭遇した恐怖の体験がダブってしまう。―― パニック状態になって逃げ惑う人びと、津波に飲み込まれて恐怖でもがき苦しむ人の姿、こんな光景が次々に浮かんで来る。まるで、自分が津波の真っただ中にいるようだ。この瞬間までは写真撮影は現場に居合わせた者の使命だと思っていたが、その信念が一挙に揺らいだ。
被災した人々に想いを寄せた時、この状況を撮影することは人の大きな不幸や悲しみを撮影するようで躊躇した。しばらくシャッターを押すことができず、呆然と立っていた。だが思い直した。津波直後の現実を撮影できるのは、ごく限られた人間しかいない。現地の行政の人びとは緊急の対応に追われている。報道関係者にしても、道路があちこちで寸断されているので、まだここへ入って来ることはできない。自分の撮影は、貴重な記録として多くの人々や、ひいては被災者の方々の役にも立てるはずだ。しばらく後には、被災者の方々にも自分たちの過去の生活の証として見てもらう機会がきっと来るだろうと思い直して、再び撮影を始めた。
がれきの山の向こうの小高いところに、これから向かう避難所、石巻市牡鹿総合支所が見えた。地中海風の薄レンガ色の屋根と白いバルコニーのしゃれた建物である。
そこまでは500mほどしかないのに、膨大ながれきに行く手を阻まれているせいか、遥か遠くに見えた。
この「がれきの山」を恐る恐る乗り越えながら歩んでゆくのである。“恐る恐る”というのは、足場の悪いがれきを越える不安さではない。多くの人々の思いや歴史が込められたがれきの上を歩いて行くことが恐れ多いという思いであり、人が大切にしていたものを踏みにじってゆくことに対する申し訳なさだ。同時に、犠牲者の遺体ががれきの下敷きになっているかもしれないという、恐れにも似た思いが強くあった。目に見えぬご遺体に対して鎮魂と畏敬の念を心がけ、時には合掌しつつ静かに歩んだ。どうにか総合支所のすぐ前まで来たが、10数mほど高い所にある支所へ上る坂道やコンクリート階段の前にはがれきがうず高く溜って行く手を阻んでいる。
苦肉の策で、隣の公民館の二階の壊れた窓からうず高いがれきの上に降り立ち、注意深く渡って支所の駐車場へたどりついた。結局500mほど進むのに20分以上かかった。小高い総合支所から見渡した鮎川は、一面「がれきが原」であった。
東日本大震災・「祈り・伝承・防災・復興」
一般社団法人みちのく巡礼
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