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今日は東日本大震災4年8か月の月命日です。
5時に起きてお祈りさせていただきました。
タオライアーも心を込めて弾きました。
私が東日本大震災犠牲者慰霊のためのタオライアーりの響きを初めて聴いたのは、震災2年半後でした。この日の慰霊には、みちのく巡礼の活動の応援者の女性がタオライアーを持って初めて参加しました。
仙台空港、名取市閖上の日和山で祈った後、仙台の荒浜海岸にある慰霊碑へ到着しました。以前は、地元有志によって建てられた木製の慰霊搭が一本立っていただけでしたが、その近くに黒御影石製の石碑や観音様が建立され、慰霊塔もその傍にされていました。
以前の慰霊塔
母の悼み
この慰霊塔にお祈りした後、わが子を亡くしたという若いお母さんに出会いました。彼女は、
「仏壇の前で自分の子を悼むだけでなく、犠牲になった他のお子さんたちにも祈りをささげてあげたかったのです。そして、私と同じようにお子さんを亡くしたお母さんたちを想いました。哀しい気持ちを共有でたような気がして心が少し和みました。けれど、この慰霊塔は海のすぐ前にあるので、子供が自分の目の前で津波にのまれた時のことがはっきりと思い浮かんで来るのです。だから、つらくなるし、怖いのです。私は向こうにある浄土寺の慰霊碑の前の方がとても心が休まるのです。よかったらあなたも行って見てください。」
と,仮設のお寺を指さしました。回想するようにとつとつと話すこのお母さんの語りが、痛いほど胸に迫って来ました
タオライアーの祈り
わたしたちは、内陸側へ300mほど入ったっ所にある浄土寺を訪れました。このお寺は津波で流出してしまい、仮設のプレハブのお寺でした。
わたしは、いつも通り慰霊碑の前で合掌して読経しました。
応援の女性はは坐ってタオライアーを弾き始めました
慰霊の場で初めて聴く祈りの響き―― 癒しの音色でした。東日本大震災で亡くなった方をタオライアーで慰霊するのは、その方が初めてに違いありません。
はじめ高音部からやわらかい音色が響いてきました。心にも体身体にもにじわ〜っと、自然に入り込んできました。わたしが想像していたのとほぼ同じイメージでした。この音色を聴きながら、津波で亡くなった方々の魂も安らぎをおぼえるだろうな〜と感じました。低音部からの音は津波の音を私に思い起こさせました。津波に巻き込まれながら、苦しみもがいている人々の顔が浮かびました。そしてその人に御霊(みたま)に、“安らかにお眠りください”と声をかけました。そうすることで自分自身も安らいでゆくのを感じました。その時も、自分が奏でる姿をなんとなくイメージしていました。
でもその時はまだ、ライアーは、ドイツの楽器というイメージがあり、自分にとって少し遠い存在でした。その後、タオライアーの慰霊の響きを聴く機会が何度かあり、次第に身近に感じるようになってきましたので、我々のみちのく巡礼のメンバーが山形県米沢市を訪れた時にも来ていただいて演奏してもらい、タオライアーをメンバーにも紹介しました。
その後、私もタオライアーオーナーになりましたので、早速震災3年3か月の6月11日の月命日にはタオライアーを持って荒浜の浄土寺を訪れました。
初のタオライアー慰霊を行おうとして弾き始めたとたん、手が止まりました。何分にも発演奏です。心を落ち着けて慰霊に心を傾けることが出来ないとすぐに感じました。これでは却って犠牲者の方々に失礼になると思いました。
もっとタオライアーに魂を込めるようになってから慰霊しようと思いました。そして、いつも通り心を込めて読経しました。
しかし、そのことを応援女性に話したところ、“音色はその人の心を響かせるのです。上手下手ではないのですよ。あなたから出る音はあなたそのものなのです。あなたの気持ちをそのまま伝えればよいのです”と、諭されました。それからは、心を込めることだけを考えて打ち込んでいます。
慰霊の後、いつも通り慰霊碑の碑文を読みました。この碑文の内容を想像するだけでなく自分自身の震災の日のことが鮮明に思い出されました。このような碑文は、東日本大震災の記憶や教訓を残すためにはぜひ必要だと、改めて強く感じました。
みちのく巡礼の祈りの場が完成したら、自作のタオライアー「イノライアー」をお供にして東日本大震災などの自然災害犠牲者の方がたの慰霊を行いたいと思います。
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MIZUNOちゃん♪ お疲れさまァ〜♪
もう こんなに 早く 時間が 過ぎてるのねェ〜♪
言葉に 出来ない 思い♪ 音楽が伝えてくれるのねェ〜♪
オッチャン 合掌
2015/11/11(水) 午後 8:07 [ オッチャン3 ]