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生死の岐路
わたしは震源地に最も近い島、金華山で東日本大震災に遭遇した。あの恐怖の体験から5年以上経った。震災直後には、どんなことが一番つらかったですかと訊かれて、大泣きしたことが何度かあった。未だに、体験を他人に語ったり、同じような場面をテレビで見たりすると思わず目が潤んでいる。)
出入り口付近にいた仲間は「地震だ!」と叫びながら、とっさに戸を開けて外へ飛び出した。この時点では大地震になるとは夢にも思わなかった。奥にいた私は地震マニュアル通り、とりあえずテーブルの下にもぐり込み、金属パイプ製の両脚をつかんで両ひざを着いた。するとコンクリートの床下からゴゴゴゴー、グォン、グォーンという不気味な音が続けざまに聞こえて来た。こんな音を聞くのは生まれて初めてだった。まるで地獄のうなり声のように思えた。これは恐ろしいことになるぞと直感して体がこわばり息も荒くなった。案の定、揺れが急激に激しくなり、体全体が前後に大きく振れた。下半身だけでなくテーブルの脚をつかんでいる腕にも激しい震動が伝わってくる。
同時に、金属屋根が激しく震動するガガガガガーという音、スレート壁と鉄柱が猛烈にぶつかるガタガタガターという音、そして鉄柱がきしむギーギーという音、これが入り混じって、耳を覆いたくなるような轟音が建物中に鳴り響いた。まるでMRI装置に閉じ込められ時に聞く、あの不安を掻き立てる音を何倍にも増幅した感じだ。揺れはますます大きくなり、隠れているテーブルが激しく移動する。動きに合わせて自分も動かざるを得ない。陳列棚が倒れてガラスが割れる音があちこちで鳴り響き、天井からは蛍光灯が次々と落ちてくる。それがコンクリートにたたきつけられ、破裂してバーンと割れる。音が不安を増大させた。落ち着け落ち着けと、必死に自分に言い聞かせた。何気なくテーブルの下に隠れたりしないで、すぐに外へ逃げればよかったと後悔した。恐る恐る周りに目をやると、壁板は裂けそうなほど大きく波打っている。太い鉄柱でさえ自分に襲い掛かってくるように見えた。その瞬間、自分が隠れているテーブルの後部に、ドスーン、ガシャーンという大きな音立てて巨大なものが落ちてきた。それは先ほどまで見ていた畳三畳ほどもある金華山の掲額だった。その途端、二本の脚がぐにゃっと曲がってテーブルは後方にひっくり返った。とたんに身を守るものがなくなった。そちら向きになっていたら、頭が直撃されて怪我では済まなかったかもしれない。その瞬間、私が住む仙台市泉区のスポーツ施設「スポパーク松森」で天井が落ちて26人が負傷した事故と、つい20日ほど前に多数の死者を出したニュージーランドの地震がとっさに頭に浮かび、思わず、建物が崩壊する―― という恐怖が走った。本能的に体が動いた。縦に三つ並んだテーブルの下を夢中で這いながら出口に向かい、全速力で外へ飛び出した。建物から10メートルほど離れた時、やっと死の恐怖から解放された。だがその時目に入ったのは、我々が乗るはずの船が沖へ走り去ってゆく姿だった。津波を避けるためだから仕方ないかと思いながらも、置き去りにされた不安と孤立感を感じた。
背後の崖のあちこちから、土砂崩れとともに岩や松の木がどどーっという
永久に続くと思われた猛烈な揺れもさすがに峠を越し、われわれは次第に現実の世界に引き戻された。「今のが宮城県沖で起こるって言われていた巨大地震だったのかな」――と、誰かが口火を切った。それに誘導される形で「それならいいんだが、もっとでかいのが来たらそれこそ日本沈没だよ」「船が行ってしまったしどうするかな」などと、どうにかみんなの表情に余裕が戻った。それとともに今まで崖の方にくぎ付けになっていた目が、誰からともなく自然に海の方に向いた。すると海面はぐ
第一波が襲来したのは、三時十八分だった。まず防波堤が隠れ、待合所や
人が生き残ったり命を落としたりするのは、運にしろ判断力や対応力にしろ、いたって紙一重のような気がする。
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♪おはようございます。
法師の 生死の岐路 金華山で3度の命拾い 、
何度も思い出し、法師の岐路 高台に 紙一重 ナイス候。
こちら いつもながら・・・高台寺 花灯路を トラバ候。
2016/3/21(月) 午前 9:18 [ EGACITE ]