東日本大震災 未来への祈りと伝承〜「みちのく巡礼」

みちのく巡礼は、東日本大震災の祈りの場創設と記憶・教訓の伝承、防災精神の啓発、復興に寄与する活動を行っています。

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生死の岐路                        
                                                     
わたしは震源地に最も近い島、金華山で東日本大震災に遭遇した。あの恐怖の体験から5年以上経った。震災直後には、どんなことが一番つらかったですかと訊かれて、大泣きしたことが何度かあった。未だに、体験を他人に語ったり、同じような場面をテレビで見たりすると思わず目が潤んでいる。)
イメージ 1ふたまるいちいち2011年3月11日、私が所属する山歩きの会のメンバー13名は、金華山への山登りを終えて午後2時過ぎ桟橋付近に到着した。午前中に島に到着した時にはたくさんのカモメや鹿が餌をねだって近寄って来てきたのに、その時にはまったく姿が見えなかった。彼らが好みそうなお菓子をわざわざ残してきたのになぜ、とすこし不思議に思ったが、その後に起こる身の危険は全く予想しなかった。最終便は3時出発なので、遊覧船の待合室でそれぞれゆったりとした時間を過ごしていた。私は好きなビールで喉を潤した。これは山登り後のいつもの楽しみになっている。飲み終えて桟橋の方向を見ると帰りの船が近づいて来る。そろそろ席を立とうとリュックを背負った瞬間、テーブルがガタガタと音を立てながら左右に揺れ始めた。それがマグニチュード9・0の地震が始まりだった。

出入り口付近にいた仲間は「地震だ!」と叫びながら、とっさに戸を開けて外へ飛び出した。この時点では大地震になるとは夢にも思わなかった。奥にいた私は地震マニュアル通り、とりあえずテーブルの下にもぐり込み、金属パイプ製の両脚をつかんで両ひざを着いた。するとコンクリートの床下からゴゴゴゴー、グォン、グォーンという不気味な音が続けざまに聞こえて来た。こんな音を聞くのは生まれて初めてだった。まるで地獄のうなり声のように思えた。これは恐ろしいことになるぞと直感して体がこわばり息も荒くなった。案の定、揺れが急激に激しくなり、体全体が前後に大きく振れた。下半身だけでなくテーブルの脚をつかんでいる腕にも激しい震動が伝わってくる。
同時に、金属屋根が激しく震動するガガガガガーという音、スレート壁と鉄柱が猛烈にぶつかるガタガタガターという音、そして鉄柱がきしむギーギーという音、これが入り混じって、耳を覆いたくなるような轟音が建物中に鳴り響いた。まるでMRI装置に閉じ込められ時に聞く、あの不安を掻き立てる音を何倍にも増幅した感じだ。揺れはますます大きくなり、隠れているテーブルが激しく移動する。動きに合わせて自分も動かざるを得ない。陳列棚が倒れてガラスが割れる音があちこちで鳴り響き、天井からは蛍光灯が次々と落ちてくる。それがコンクリートにたたきつけられ、破裂してバーンと割れる。音が不安を増大させた。落ち着け落ち着けと、必死に自分に言い聞かせた。何気なくテーブルの下に隠れたりしないで、すぐに外へ逃げればよかったと後悔した。恐る恐る周りに目をやると、壁板は裂けそうなほど大きく波打っている。太い鉄柱でさえ自分に襲い掛かってくるように見えた。その瞬間、自分が隠れているテーブルの後部に、ドスーン、ガシャーンという大きな音立てて巨大なものが落ちてきた。それは先ほどまで見ていた畳三畳ほどもある金華山の掲額だった。その途端、二本の脚がぐにゃっと曲がってテーブルは後方にひっくり返った。とたんに身を守るものがなくなった。そちら向きになっていたら、頭が直撃されて怪我では済まなかったかもしれない。その瞬間、私が住む仙台市泉区のスポーツ施設「スポパーク松森」で天井が落ちて26人が負傷した事故と、つい20日ほど前に多数の死者を出したニュージーランドの地震がとっさに頭に浮かび、思わず、建物が崩壊する―― という恐怖が走った。本能的に体が動いた。縦に三つ並んだテーブルの下を夢中で這いながら出口に向かい、全速力で外へ飛び出した。建物から10メートルほど離れた時、やっと死の恐怖から解放された。だがその時目に入ったのは、我々が乗るはずの船が沖へ走り去ってゆく姿だった。津波を避けるためだから仕方ないかと思いながらも、置き去りにされた不安と孤立感を感じた。

背後の崖のあちこちから、土砂崩れとともに岩や松の木がどどーっというイメージ 2音を立ててもみくちゃになりながら落下してくる。山腹にいた鹿たちがそれを避けながらさらに上へ上へと駆け上がって行く。動物的本能なのだろう。黄金山神社への上り口では、大鳥居が倒れんばかりに大きく揺れ、石燈籠や石柱がことごとく崩落してゆく。この光景が永久に続くように感じ、このままでは金華山全体が崩れ去ってゆくようにさえ思えた。イメージ 3現実離れした夢のような世界に身を置いているようで、恐怖や生死などというたかが人間が持ち合わせているちっぽけな感覚は完全に通り越していた。この間、誰ひとりとして声を発するものはいなかった。

永久に続くと思われた猛烈な揺れもさすがに峠を越し、われわれは次第に現実の世界に引き戻された。「今のが宮城県沖で起こるって言われていた巨大地震だったのかな」――と、誰かが口火を切った。それに誘導される形で「それならいいんだが、もっとでかいのが来たらそれこそ日本沈没だよ」「船が行ってしまったしどうするかな」などと、どうにかみんなの表情に余裕が戻った。それとともに今まで崖の方にくぎ付けになっていた目が、誰からともなく自然に海の方に向いた。すると海面はぐイメージ 4んぐんと下がってゆき、岸壁近くの海底の砂が見えてきた。誰かから「津波が来る。逃げなくちゃ!」という声が上がった。黄金山神社方面の高台へ上るのが最善だが、坂道は大岩や木で埋まり、所々で半分ほど落ちている。それに未だに岩が所々で落ちてくる。躊躇せざるを得ない。それにこれまで宮城県内では震度6程度の地震が何度も起きていたが、1メートルが直後、防災無線のスピーカーから「6m以上の津波が来ます。全イメージ 5員高台に避難してください!」という放送が鳴り響いた。これで我々の行動意志は決定した。危険を覚悟で一斉に高台を目指して上り始めた。右側の崖からの落石をかわし、海に転落しないように注意しつつ、倒れた木や岩を乗り越えてひたすら上った。途中で何度も余震が起こり、そのたびに岩がごろごろ落ちてくる。どっきりとした瞬間があった。振り返りながら後方を撮影し、イメージ 6再び前方に向き直った瞬間、大岩が前方10m程に亘って六、七個落下してきた。私の直前に落ちた岩は直径2mもある大物だった。思わず体は硬直し、目は見開いたままだった。撮影せずに歩いていたら確実に直撃されていたに違いない。上ること二〇分、三時十五分にようやく50mほどの高台にたどり着いた。まさに「命からがらの逃避行」だった。
 第一波が襲来したのは、三時十八分だった。まず防波堤が隠れ、待合所やイメージ 7お土産屋が次々に水面下に消えていった。約十分後、今度は水が急激に南北両方向に引き始めて建物や桟橋が元の姿を現し、さらには金華山と牡鹿半島の間は、歩いて渡れるほど完全に水が引いた。それもつかの間、三時三十五分、南北両方向から20〜30mの第二波が押し寄せ、二つが激突していまる50mもあろうかという超巨大津波となって高台に迫ってきた。我々はさらに高い所へ駆け上がって難を逃れた。
イメージ 8
 
人が生き残ったり命を落としたりするのは、運にしろ判断力や対応力にしろ、いたって紙一重のような気がする。

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♪おはようございます。

法師の 生死の岐路 金華山で3度の命拾い 、
何度も思い出し、法師の岐路 高台に 紙一重 ナイス候。

こちら いつもながら・・・高台寺 花灯路を トラバ候。

2016/3/21(月) 午前 9:18 [ EGACITE ] 返信する

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