東日本大震災 未来への祈りと伝承〜「みちのく巡礼」

みちのく巡礼は、東日本大震災の祈りの場創設と記憶・教訓の伝承、防災精神の啓発、復興に寄与する活動を行っています。

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私の3.11あの日あの時記事一覧(1〜20)


 




 



















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 運河沿いに西へ向かうと、大きな漁船が大量のがれきの上に乗り上げているのが目に入って来た。

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  海から1キロ以上離れているこの住宅地まで流されて来るのだから、
  津波のすさまじさは推して知るべしである。
  津波は本当に恐ろしい―― 。心からそう思った。

   ここは子どものころの楽しい遊び場だった。
  だが、懐かしむどころではない。
  ただただむなしさいっぱいだった。悔しかった。

  この光景に見入っているうちに、
  これまで金華山、鮎川、女川、石巻、東松島…で目の当たりにしてきた、忌まわ    
  しい光景が次から次へと思い浮かんで来きた。 
  急激に感情が高まった。
 〈むごたらし過ぎる。 もうこんな光景は二度と見たくない〉。
  〈いやだ。いやだ〉と、
  心の底から叫んだ。
  その瞬間、今まで抑え込んでいた感情が、
  叫びに押し出されるように噴き出した。

  私は誰ひとりいない昔の遊び場で、泣いた。泣いた。
  がれきにも自分にもはばからず思いきり泣いた。
  懐かしさが打ち砕かれた悔しさだったのだろうか。
  幼な馴染みの顔も浮かんで来て安否が案じられた。
  自分が震災後涙もろくなったのはこの時以来かもしない。
  泣くだけ泣くと、実に吹っ切れた気持ちになった。
 
  我を取り戻して再びこの光景を見やった時、
  〈人間の築き上げた文明社会も、大自然の前には為す術なくやられてしまった。
  何だこのざまは〉と心から感じた。
  痛烈に思い知らされたのである。

  

  私は四国の山や海や田園の中を歩きながら遍路し、
  「自分は自然に生かされている。自然は偉大だ」と思えるようになった。

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      四万十川の清流
  「所詮人間なんて自然に比べればちっぽけな存在だ」と、いつも実感させられて  
  いた。 

  五度の四国歩き遍路や8か月のシルクロード2万キロひとり旅で感じたことを、ここでも感じた。
  拙著
『諸君!お遍路はいいぞ』p96から、引用します。

 自然にいだかれている自分、自然をいつくしむ自分、それが渾然一体になって、
 自分が知らず知らずに自然の中に溶け込んでいくような気がする。
 こんなとき、〈自分もこの自然の中に生きる一つの生物なんだ。
 自分は自然に生かされているんだ〉と気づかされる。
 毎日々々自然の中を歩いていると、「自然は偉大だ」と思えてくるようになった。
 所詮人間なんて自然に比べればちっぽけな存在だ。
 それが実感としてわかってくる。
 大昔の人びとは、朝起きれば太陽に向かって祈りをささげ、自然にひれ伏し、
 自然の恵みに心から感謝していた。
 このことがよくわかっていたのだろう。

 それがいつの間にか、「自然によって生かされている」ということを忘れ、
 「自然は利用するものだ」といった傲慢さが芽生え、破壊さえするようになった。
 恐ろしいことだ。
 だが、こうして自然の中を歩き続けていると、自分の――いや人間の傲慢さを打ち砕いてくれる。
 そして人間の小ささが見えてくる。
 (続 く)



東日本大震災祈り・伝承・防災・復興」みちのく巡礼


 

 

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四国遍路の魅力にふれて 記事一覧

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四国遍路記事一覧

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 大曲地区は、東日本大震災により人口1,500人ほどのこの地区で、死者行方不明者の数は280人を超えた。住人の5人に1人が亡くなったことになる。

 私は鮎川の避難所で、大曲浜地区は壊滅的な被害を受けたことをラジオで聴いていたが、3月17日に大曲地区に入った時点では、詳しいことは知る由もなかった。

  道路の両側はまるで泥沼の様だった。東松島市に入ると一様にそのような景色が続いた。
 大曲から大曲浜に近づくに連れて、水没したり流出した家が目立ってきた。
中には、見かけはしっかりしているように見えても、内部が空洞化している家ばかりだ。地盤沈下のためか、水中に浮かんでいるような家が見受けられる。


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大曲浜保育所は、がれきに取り囲まれており、建物内僕は空洞化していた。
園児たちは、どうなったのかとても気になったので、時々ネットでで調べていた。半年以上経ってからyoutubに動画が投稿されていた。保育師さんによると、(www.youtube.com/watch?v=04EJh4EIs9M
―― 地震が起きたとき、子どもたち12名ははホールでお昼寝中でした。急いで子供たちを起こして避難準備をしました。
 準備中に迎えに来た保護者には引き渡し、残っている子どもたちを車に乗せ、大曲小学校に向かいましたが、道路は­避難する車でとても混んでいてなかなか進みませんでした。途中で車を乗り捨て、徒歩で小学校へたどり着きました。靴が脱げた子供は抱きかかえて後者に逃げ込みました。この保育所では、全員の子供たちが無事でした。

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        大曲浜保育所 建物内部は空洞化して、周囲はがれきが取り囲む状態

 この動画を見て、ほっとしました。

 この地区は、壊滅状態といってよいほどの凄惨さでした。 
 大曲浜には当時、中学校の同級生が数十名住んでいました。67歳(当時)という年齢だし、車を持っていない人も結構いるだろうから、この状況を見ると、はたして無事逃げおおせたのか?と、大変気がかりだった。特に、同級生同士で恋愛結婚したO君夫妻が心配だった。O君は足を怪我して歩行が不自由だったので、余計心配だった。結局O君夫妻は、しばらく後、お互いに別の日に別々の場所で、遺体で発見された。 結局同級生全体で9名亡くなりました。心からご冥福をお祈りいたします。合掌

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 大曲地区は、皇室に献上する海苔の生産で有名で、「皇室御献上の浜」として知られていた。海苔養殖をいていた姪の夫の実家も残念ながら、流出していた。

 下台地区は最も海に近いので地盤沈下も大きいようだ。海の中に家が浮かんでいる。
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 下台地区には、6mほどの津波が来たという報告がある。
 現在は、大曲浜にある共同墓地内に、東日本大震災の慰霊碑がある。
 地元の「大曲浜区委員会」が、犠牲者の供養と、津波被害の記憶を後世に残す為、建立したものです。この大震災慰霊碑は、襲った津波の高さを示すため、台座を含め、約6メートルある。これも震災を後世に遺す導となるはずである。

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水難慰霊碑の脇に建立されたこの大震災慰霊碑は、台座を含め、約6メートルあります。この地区を襲った大津波の高さに合わせているそうです。私は、もう何度もお参りさせていただきました。
 貞山運沿いの道を歩いて、松島航空基地の前を通り実家まで向かいました。 
(続 く)
 
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