東日本大震災 未来への祈りと伝承〜「みちのく巡礼」

みちのく巡礼は、東日本大震災の祈りの場創設と記憶・教訓の伝承、防災精神の啓発、復興に寄与する活動を行っています。

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石巻西高校を後にして西へ500mほど歩くと、三陸自動車道石巻港ICの出入口付近に到達した。広域農道はここで県道251号線と交差している。

 IC出口付近の信号前で大きなトラックが横転しており、その周辺には津波で流された車が数多く重なるようにして散らばっていた。おそらく、三陸自動車道に上って津波を避難しようとした車が殺到したのに違いない。残念ながら渋滞のため間に合わなかったと思われる。
 それを想像しただけでも恐ろしくなり、思わずその場に立ちすくんで合掌し、黙とうをささげていた。この時も金華山で3度も命が助かった自分が、幸運よりも不思議な存在に思えた。

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 左折して南へ800mほど歩くと国道45号と交差するが、南に向かうかうということは、海岸方向へ向かうということである。したがって水没している可能性がある。しかしながら、45号に出た方が実家に近いし、海側の大曲地区の被害状況を調べたいという気持ちも働いた。
 45号は赤井付近では定川の堤防に築かれており、平地よりもかなり高いので、震災時には冠水したとしても現在は水が引いているだろうと推測した。もしも水没しているようならば、また逆戻りすればいいやと、探求心の方がリスクよりも上回って南に向かった。
 500mほど行くと仙石線の踏切を渡った。まだ1週間もたたないのに、もうすっかり線路はさびている。塩分の腐食力はすごいものである。遠方にわずかに赤井駅が見えた。

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県道251号と国道45号が交差する信号に到着すると、予測通り道路からは水が引いていたので、徒歩での通行が可能であった。ガソリン不足のためか、車はあまり走っていないので、比較的身の危険を感じなかった。


イメージ 3 定川橋から赤井駅周辺を眺めると、この地域は国道よりもかなり低いので、現在もかなり冠水し、がれきも散在していた。
 この付近に住んでいる高校の同級生に後で聞くと、震災当日は徐々に水嵩が増えていって2メートルくらいまで達したそうだ。彼の家は2階近くまで浸水したそうで、大規模半壊だったが、結局ほぼ全面改築だった。

イメージ 4 定川を渡って坂道を下ると、いよいよ郷里の旧矢本町に入るが、まっすぐ実家へ向かわず大曲地区へ向かった。
道路の土はまだ乾ききっておらず、周辺は一面泥沼状態で、そこにはがれきが散乱している。
 大曲小学校は、まだグランドはドロドロでがれきが散乱し、入れる状態ではなかったので、そのまま大曲浜に向かった。              
大曲浜は、壊滅状態だということは、鮎川の避難所にいる時にラジオで聞いていたので、これから恐ろしいところに向かう気持ちで歩いた。この地域では中学校の同級生が9人亡くなっていることを、後に同級会で聞かされた。(続 く)


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 一般社団法人みちのく巡礼 
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  メロンパンで元気をもらった私は、三陸自動車道に沿った農道を故郷・矢本に向かって歩き始めた。
  道路自体は、どろどろした土に覆われているが、ぬかるみや水たまりはあまりなく、石巻市街に比べればさほどひどい状態ではなかった。だが、道の両側の田や畑はまだ水没していて、まるで沼地の真ん中の泥道を歩いているようだ。道路は田畑よりも2メートルほど高いので早く水が引いたのである。
 ここは海岸から4キロ近くも離れている。ここまで水が来たのか…と、またため息が出た。
 この地点まで水が来ているということは、近くを流れる北上運河(貞山運河)や定川を遡って来た水があふれ出たのに違いないと思った。

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 道路沿いの家の周辺もまだまだ水が数十センチほどたまっているし、いまだに床下まで水没していた。

津波からもう6日後だが、あまり人の姿はなく、時々自動車が走っているといった状態である。

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  2キロほど歩くと東松島市に入った。石巻西高校が見えてきた。周辺はまだ冠水状況にあった。この辺一帯は七反谷地と呼ばれている。谷地には「湿地」とか「水のある土地」とか「沢」という意味があるので、もともとがそのような土地なのではないだろうか?―― と思いながら歩いていた。学校はどうやら水が引いていた。田んぼに2メートル以上高く土盛りしてある。

 ちょっと立ち寄って先生に.尋ねると、避難所になっているとのことだった。3月17日の時点で避難者は265名とその先生が教えてくれた。
 また、体育館では発見されたご遺体を安置し、検視を行っている。

 赤井地区の住宅地に近づくと、自動車が水から頭をわずかに出していたり、頭から水に突っ込んでいたり,片側の2輪が水に落ちていたり、さまざまな格好で水にはまり込んでいた。

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  実家の方がここよりも海側にあるので、もっと被害が大きいのだおうなあと想像できたが、ここまでずっと悲惨な状況を見続けてきたので,そこまではひどくないだろうと、客観的な見つめるあきらめにも似た気持ちも出ていた。
 石巻西高校から赤井方面に行くと冠水が徐々に多くなってきた。これは定川や赤井堀を遡って来てあふれ出たもので、赤井駅付近は結構被害が大きかったことが家の壁や塀を見ただけですぐに分かった。ここには山仲間の一人の住宅があった。後で聞くと2階近くまで浸水があったとのことだった。(続 く)


「みちのく巡礼」の活動 主旨
   ・東日本大震災犠牲者を悼み、自らも癒され、心の拠り所となる場の創設   
・東日本大震災等の「伝承」
・「自らの命を自ら守る防災意識」の啓発
・東日本大震災の「復興」と東北の発展につながる活動

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 たった5キロほどを3時間以上掛かって、やっと三陸自動車道の石巻・河南インター近にたどり着いた。付近にはイオン石巻店がある。店の建物を見たとたん激しい空腹感に襲われた。
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 思えば、朝食前に鮎川を発って来たので、前日の夕方5時以来、ろくにお腹に入れていなかったのだ。ものすごい空腹に加えて疲労困ぱいだった。この時、戦後満州から引き揚げて来る時、極度の空腹に耐え、命の危険を感じながら、何百キロも我が子の手を引いたり、背負ったりして歩き続けた母親たちのことを想った。それに比べたら、この程度のことは何ということもないさ、と自分を励ました。

 鮎川の避難所で聞いたラジオで、―― イオン石巻店は避難所になっていて、店長が自分の判断で店の食料品を無料で避難者に配った。――という放送を耳にしていた。
〈もしかしてイオンには何か食べるものがあるかもしれない〉というほのかな希望が湧いた。半面、それを否定する自分もいた。〈食べ物なんか残っているはずはない。食べ物がなくてもとにかく腰を下ろして休みたいな〜〉―― こんな自問自答のような気持ちで、吸い寄せられるようにして建物の中に入って行った。報道されていた通り、ここは避難所になっていた。フロアーに敷かれたビニールシートの上に布団を敷いて、たくさんの人々が疲れ果てた姿で座り込んだり横たわったりしていた。
 
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 近くのおばあちゃんに「店にひょっとしてまだ何か食べるものは残っていませんかね?」と、あまり期待せずに尋ねると、
「ここの店長さんはとてもいい人でね、自分の判断で、店の商品を被災者のみんなに無料で配ってくれたんだよ。ありがたいよな〜」と感謝の気持ちを込めて言った。それを聞いた私は喜び勇んで店員さんに、昨晩からほとんど食べていないこと、これから歩いて矢本の実家の被害状況を確認し、そこから仙台まで帰らなければならないなどの事情を話した。
 すると気の毒がって、「ちょっとお待ちください。探してみます」と言って、どこからかメロンパンを持って来て、まるまる一個提供してくれた。思わず〈こんな大変な時にまるまる1個も…〉と、驚きよりも感謝の気持ちでいっぱいだった。大震災以来、パン一個なんて食べたことがない。
 終戦後で物が不足していた子供の頃ならいざ知らず、近頃はメロンパンを当たり前のようにあまりありがたみも感じないで食べていた。しかし、このパンは最高級料理よりもおいしかった。この時のメロンパンは、「一生で一番おいしいしかも感謝パンになるだろう。この一個のパンは、「幸せとは何か」を強く感じさせてくれた。
 まさに人生の恩人でもある。
 大変な時、苦しい時だっただけに、温かさがずしんと心にしみた。
 強い感謝がみちのく巡礼の活動への頑張りの後押しになっているのです。

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みちのく巡礼「祈りの場創設と巡礼について」 


1.祈りの場創設について
 ⑴東日本大震災物故者慰霊の対象: ①と②のいずれも可とします。
   ①すで安置されている本尊仏像など
   ②東日本大震災慰霊のために建立された像、碑、塔など

イメージ 12.「みちのく巡礼」の表示 (のぼり旗)   
 ⑴巡礼開始時は「のぼり旗」(右図)による表示とする。

 ⑵のぼり旗は、巡礼開始より5年間はみちのく巡礼より毎年2枚ずつ提供する。

②東日本大震災慰霊のために建立された像、碑、塔など






3.納経帳(御朱印帳)への対応
  ⑴ 納経(御朱印)  希望する巡礼者には加盟全寺院で対応する。
  ⑵納経帳の作製:宮城県の加盟寺院数が33ケ寺に達した時点で、  
  みちのく巡礼用の式な納経帳を作製する。
 当面は、巡礼者が持参した納経帳へ墨書・御朱印等を行う。
 ⑷ 寺院側が不在の場合、あらかじめ墨書、御朱印済みのものを近くの店等に依頼するなどの方法対応する。
 ⑸すでに他の霊場に加盟されている寺院の場合、東日本大震災慰霊目的の祈りであるか、他の霊場巡りなのかを確認した上で対応する。



5.巡礼開始

 東日本大震災5年4か月の月命日である平成28年7月11日に巡礼開 
 始を予定している。る。
.札所番号と巡礼コース
 ⑴札所番号を付ける時期
 宮城県の加盟寺

4. 墨書・御朱印(納経)について
 ⑴「東日本大震災犠牲者慰霊」のための巡礼であるので、必ずその趣旨を  
   反映する文字等を表記する。
  ① 納経用紙を使用する場合
  ・「東日本大震災犠牲者慰霊 みちのく巡礼」の文字を印刷した納経用  
   紙に、墨書や御朱印の押印を行う。巡礼者が自分で納経帳に貼り付け  
   する。
  ・納経用紙はみちのく巡礼で用意して各寺院に30枚ずつ配布。
   不足の場合は、みちのく巡礼事務局連絡する。コピーも可。
  ② 納経帳に墨書や押印する場合
   納経用紙を用いない場合には「東日本大震災犠牲者慰霊 みちのく巡
   礼」等の文字を墨書あるいは押印する。
  ③ ①②いずれの場合にも、印章は各寺院にて準備する。
  ④ 納経の内容は寺院に一任する
    墨書・御朱印の他、御朱印のみによる納経も可とする。
  ⑤ 納経料は300円とする。

5.巡礼開始
 東日本大震災5年3か月の月命日である平成28年7月11日に巡礼を開  
始を予定。

.札所番号と巡礼コース
⑴札所番号を付ける時期
宮城県の加盟寺院が33ケ寺以上に達した時点で付ける。

⑵巡礼コース

寺院名、所在地、巡礼コースおよびロードマップをホームページ、ブログ、
Facebook等による発信、およびパンフレットで紹介する。

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津波の悲惨な爪痕に心痛めながら石巻の街を歩く
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 三陸自動車道に行くにはどう行けばよいのか全くわからない。高校卒業してからほとんど石巻に来たことがない。すでに50年経つので、街の様子がすっかり変わっている。途中で何度か道を訊いたが、地元の方が教えてくれるのは、近道なのだろうが却ってわかりづらい。何度も迷ってしまった。
 三陸自動車道の石巻河南インターは、山下よりは西に位置するはずなので、いくらかでも西へ進みたい―― その一心でそちらへ向かうと、未だに冠水していたり、道が陥没して深い水溜りになっていたり、がれきが道をふさいでいることもあった。

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 その都度、遠回りしたり、逆戻りせざるを得なかったりの繰り返しだった。。お金はあるがお店が開いていない。肉体知的な疲労に精神的な疲労が重なってほとほと参った。食べていないことも疲労をさらに大きくしていた。

 私がかろうじて覚えているのは国道45号線と石巻駅だけである。そこで、悪戦苦闘の末、たどり着いたのは〈石巻駅へ行く〉という考えだった。結局、1時間以上のロスだった。
 石巻駅付近までたどり着いて、〈矢本に立ち寄って仙台まで帰りたい〉と話すと、「それは無理だよ。市役所が避難所になっているからそちらに行くといいよ」親切にアドバイスしてくれた。―― 以前のさくら野百貨店が現在は石巻市役所になっている。山仲間も総合運動公園で別れるとき避難所へ行くつもりだと言っていた。 ――  しかし私は、どうしても早く仙台まで戻りたいという気持ちは動かなかった。
 何人かの人に尋ねると、三陸自動車道に沿って走る農道は道路自体からはほとんど水が引いているので、そちらがよいと言う。山下で自分自身が思ったことと同じだった。とりあえず東松島市の実家までのル−トはめどがついた。今度は、多少遠くとも広い公道を教えてもらった。
 それにも関わらず、地図がないのでとても不安だった。勘だけが頼りで、どこを歩いているのかよくわからなかった。もともと地理が分からないので当然のことだった。
 かなりの地域でまだ水が引いていないし、未だに水没しているところや泥で覆われているところがかなりあった。
 靴の中は泥水だらけで、歩くたびにピチャペチャ、グチャグチャと音がする。

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  現在は水が引いているところも、床上浸水した跡がくっきりと見えていた。
 こんなときには、津波を前にしてさぞ恐怖を感じたろうなと、思わず自分の体験とダブらせて、
逃げ惑う姿を想像した。  



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 海から数キロも離れたこんなところまで水が襲って来たのかと、恐ろしくなるような光景の中をひたすら歩いた。
 三陸自動車道石巻河南インターまで3時間以上もかかってしまった。結局、総合運動公園を出てから4時間半ほど以上歩き回っていたことになる。
 疲れもだいぶ出てきた。 さすがの私も気力がなえてきた。早くどこかで休みたい。何か食べたい……。本能的な願望が、私の脳みそを占領していた。 (続 く)


東日本大震災祈り・伝承・防災・復興」みちのく巡礼

目下、6月11日の巡礼開始に向けてけていろいろ準備を続けています。
5月30日は「みちのく巡礼札所会総会」です。




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