東日本大震災 未来への祈りと伝承〜「みちのく巡礼」

みちのく巡礼は、東日本大震災の祈りの場創設と記憶・教訓の伝承、防災精神の啓発、復興に寄与する活動を行っています。

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高校時代のトレーニングコースを埋め尽くすがれき

 市街地の見える場所から反対方向の海岸の見える場所に移動すると、日和大橋の向こうに牡鹿半島がみえた。その先端付近に金華山が位置しているが、ここからだと半島に隠れて見えなかった。大震災からのことが足早に思い出されたが、そんな余韻を吹き飛ばすように、眼下の海岸一杯に「がれきが原」が広がっていた。

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 この一帯はひばり野海岸と呼ばれ、高校時代陸上部の冬季練習でこの海岸と日和山のサーキットコースを走り回っていたことを思い出す。当時は砂浜ばかりだったが、その後住宅地として次第に発展し、門脇町、南浜町などの町名で呼ばれるようになった。

  しかし、今は見渡すがぎり瓦礫で覆われている。
 日和山のすぐ下の西光寺墓地もかなりの数の墓石がめちゃくちゃに倒れていた。

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 遠方には石巻市立病院が見えるが、おそらく内部はめちゃめちゃなのであろう。
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 石巻市立病院が機能しなくなったので、日赤石巻病院がフル稼働を余儀なくされたのだと後で知ったが、その時は想いが及ばなかった。

実家の被害が心配
 仙台の自宅に早く帰りたい。元気な顔を早く家族に見せてあげたい。そんな思いが強く浮かんでくる。
 東松島市の実家の家族は、一応生命は無事だと聞いているので幾分安心しているが、東松島市の津波被害も大きかったという報道を、鮎川の避難所でラジオで聴いていただけに、どうしているのか心配だ。

 東松島市は石巻市から仙台へ向かう途中にある。実家は海岸から2キロ弱しか離れていないので、津波が到達している可能性が極めて高い。実家の被害状況を見るために、東松島市矢本に向かことにした。
 私の母は東日本大震災より11か月前に亡くなった。こんな惨状を見ずに亡くなったことはむしろ幸せだったかもしれない…、と自分を慰めた。
 
   そんなことを想いながら 日和山公園を後にして、海側を見ながら西に1キロほど進んだ。母校の前を通ったとき、高校2年生の時に襲って来たチリ地震津波を、グランドから半分は興味で眺めていたことを悔いの気持ちで思い出した。
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  山をさらに西に下って国道45号線に出るルートが東松島までは最短距離だ。だが、山下町まで下ってみると、“途中の大街道付近の道路はまだ水没している”という。仕方がないので、とにかくいったん内陸部へと向かった。三陸自動車道のすぐ脇の農道を歩こうと思った。道行く人に聞くと、「あそこもどうだかな? まだ水がかぶってるかもしれないが、とにかく行ってみらい」という。 そこで、その人の言う通り、とにかく行ってみることにした。とにかく、遠回りでもなんでもどこか通れる道を見つけて、仙台方面へ向かわなければならないのだ。選択の余地はない。
とにもかくにもそこからが大変だった。
(続 く)
 


「みちのく巡礼」の活動 主旨
   ・東日本大震災犠牲者を悼み、自らも癒され、心の拠り所となる場の創設   
・東日本大震災等の「伝承」
・「自らの命を自ら守る防災意識」の啓発
・東日本大震災の「復興」と東北の発展につながる活動

東日本大震災祈り・伝承・防災・復興」みちのく巡礼

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みちのく巡礼札所会総会

  私は東日本大震災当日、震源地に最も近い金華山で3度の命拾いをして「生かされた命」を意識し、「身内を亡くされた人々のために祈りの場を創って差し上げる」ことを思い立って一人で活動を始めました。その後、多くの寺院ご理解をいただき、共に活動する仲間を得て、多くの皆さまのご支援をいただきながら、何も求めず、無心と感謝の気持ちで、手弁当で頑張ってきました。
 活動開始から5年、法人化して2年数か月、お陰様で賛同頂いた寺院が30ケ寺以上になり、被災地巡礼ツアー、防災講演会、会報発行、次世代へ震災を語り継ぐDVD制作など、微力ではありますがお役に立たせて頂いているのではないかと思います。

2015年11月に各地区各宗派代表の10名ほどの住職と当法人理事、事務局長で構成する「巡礼地創設検討委員会」を設置し、巡礼地創設および活動や運営について検討してきました。これに基づき1月22日に「加盟に関する説明会」を開催し、まず、宮城県で正式加盟の寺院を募りましたところ、22ケ寺になりました。
みちのく巡礼加盟寺院(宮城県)2016.5.27現在
[県南地区]
1徳本寺(山元町)  2徳泉寺(山元町) 3称名寺(亘理町) 4浄正寺(山元町)  5恵洪寺(岩沼市)6龍島院(村田町)  7秀麓禅齋(名取市)  
[仙台市]
8西光寺(太白区) 9賢聖院(青葉区) 10愚鈍院(若林区) 
11昌林寺 仙台市若林区
[石巻地区]
12願成寺(東松島市)13寿昌院(東松島市) 14禅昌寺(石巻市山下町) 
15 洞源院(石巻市渡波) 16照源寺(女川町)17番松景院(美里町       
[県北地区]                      
18彌勒寺(登米市中田町)19寶性院(登米市津山町)  20徳性寺(南三陸町) 21清涼院(気仙沼市本吉町) 22地福寺(気仙沼市波路上) 
寺院名に付した数字は、効率的な巡礼順番を示したものです。札所番号ではありません。


この加盟寺院の会を「みちのく巡礼札所会」と命名し、その総会を開催する運びとなりました。


1 日 時  平成28年5月30日(月)   15時00分
2 会 場  仙台新寺斎場清月記
       984-0051 仙台市若林区新寺4-4-1
TEL.022-257- 5777
3 内 容
  ⑴ 総   会      15:00〜16:00  
  ⑵ 情報交換会    16:00〜17:30

  総会においては、会則、役員人事、運営、祈りの場創設と巡礼について協議しま
す。 
 情報交換会では、情報交換と共に各寺院間の横のつながり目的としております。 

6月11日の巡礼スタートに向けて弾みをつけたいと思います。  

みちのく巡礼祈りの場に掲げるのぼり旗を紹介します。
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東日本大震災・「祈り・伝承・防災・復興」          
  一般社団法人みちのく巡礼 
ホームページ::http://michinoku-junrei.info/


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日和山公園にたどり着いてすぐさま、姉の家のある湊地区を一望できる所に向かった。そこには一面薄暗く、灰色がかった茶色の世界が広がっていた。震災前には、中瀬といわれる中洲には緑が結構見られたのに、そこからからは緑が消えた殺伐を通り越した凄惨な世界だった。まるで、戦争で焼け野原を思い起こさせた。自然が牙をむくと本当に恐ろしいと感じた。

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震災後の中瀬 左上の白い丸屋根は石ノ森漫画館


北上川の対岸にある姉の家(写真右端)は, 予想通り見事に消滅していた。
がれきさえも残っていない。ますます、生存が心配になった。
1960年のチリ地震津波が日本を襲った時、最大6.1mの津波が襲った。しかし、その時姉の家は床上浸水であったが、家は無事だった。〈結果的に逃げなくてもよかった〉そと語っていた。そのイメージがあると逃げなかった可能性がある。不安が増した。

下の写真は緑があざやかだった震災2年ほど前の光景ですが、ここからは生きた石巻し甲斐が一望できました。

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東日本大震災祈り・伝承・防災・復興」みちのく巡礼

       


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 石巻市総合運動公園(救援センター)に近いところに東松島市の弟の妻(義妹)の実家がある。おそらく、東松島市の実家は津波被害を受けたと思われるので、妻の実家に身を寄せているかもしれないと思った。
 そこを訪ねれば、東松島市の実家の様子がわかるかもしれないと思ったので、義妹の実家を訪ねてみようと思った。幸い義妹の父親と兄の名前を憶えていたので、名前を頼りに探し当てた。
 到着して真っ先に、弟一家の様子を訊いたところ、津波被害はあったが幸い全員無事とのことだった。とにかく無事を聞いてほっと安心した。パンとコーヒーをごちそうになりながら金華山での体験を話して、短時間でお暇して、姉一家の様子を見るために湊地区へ向かうことにした。

 40分ほどかかって北上川に架かる内海橋付近にに到着してみると、湊地区へ通じる道はがれきが行く手を阻み、そこを何とか突破したが、橋は大量のがれきで完全にふさがれて渡ることはできなかった。その周辺は、まさに修羅場といってよい状況だった市街地に向かうにつれて津波の傷跡がはっきりとみえてきた。道は、まだあちこちで冠水しており、ヘドロやがれきに覆われていた。

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40分ほどかかって北上川に架かる内海橋付近にに到着してみると、そこへ通じる道はがれきが行く手を阻み、そこを何とか突破したが、橋は大量のがれきで完全にふさがれて渡ることはできなかった。その周辺は、まさに修羅場といってよい状況だった。

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橋の近くの中瀬にある石ノ森漫画館はどうやら形だけは残っていたが、内部はどうなったのかうかがい知ることはできなかった。



  
湊地区へ行くことができない。湊地区に住む姉たちのことがますます心配になった。姉の家は北上川のすぐ脇にあるので、流出は100%確実である。命だけでも助かってほしいと切に願った。
 流されたにしろ、湊地区自体ががどうなっているのか知りたかった。その様子次第では、命だけは助かっていると少しは安心できるのだが…。

 がれきをかろうじてわきに寄せた道路を歩いて標高50mほどの日和山へ向かった。日和山からは石巻の市街地がほぼ一望できるのである。

みちのく巡礼の活動は
   みちのく巡礼ホームページ をご覧ください

 

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避難所で不足して困っていた物を伝える

 妻との連絡が取れてほっとした後、他の仲間とここ(石巻市総合運動公園)で別れた。
 みんなは避難所になっている石巻市役所に向かうと言っていたが、私は石巻と東    松島市に住む親や兄弟の消息が心配なので、歩いてそちらに向かおうと考えていた。

 その前に救援物資の仕分けセンターへ立ち寄った。
 鮎川の避難所で不足していて困っていたものを伝えてあげたいと思ったからだ。
 お世話になった鮎川の人たちへ恩返しという思いに加え、
「生かされた命」を被災した方々のために少しでも役立てたいという思いも強かった。
 自分自身で感じていた物は、乾電池、ローソク、マスク、毛布などだった。また、何人かの男性たちからも不足を訴えられていた物品だった。
 私はこれらに加えて、「燃料や食料品、日用品などはもちろんですが、赤ちゃん連れの女性は、ミルク、哺乳瓶、オムツで困っていました」と答えた。
 これらは赤ちゃんの生命線である。

 「あるお年寄りは、夜中にトイレに起きるとみんなに迷惑がかかるので、ガマンしてから行くと、途中で漏れてしまう」と言っていたのを思い出し、「尿漏れパットなんかもあればいいと思うのですが」と伝えると、「なるほど連絡して取り寄せ可能ならば送りましょう」と、言ってくれた。

これで救援センターで少しは役立つことができたと、多少の満足感があった。

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