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[ 咸陽博物館 楊家湾(ようかわん)漢墓の兵馬俑 咸陽の町の様子
その日の宿泊地咸陽へ向かってバスは走る。茂陵を出てまだ10キロほどしか走らないのに交通事故車を二度見かけた。交通量が少なくて見通しが良いので無謀な運転をするためだろう。隣に乗り合わせた客が「国境のカシュガルまではきっと30件は見かけますよ」と言う。それから、西安から離れるに従いオート三輪の数が多くなってきた。田舎に行くほど増えてくるようだ。 咸陽に近づいた頃、現地ガイドの閔さんが、咸陽の命名の謂れを話してくれた。 ――中国では古くから山の南側、川の北側を”陽”と指します。たとえば瀋陽は瀋川の北に位置し、洛陽は洛河の北に位置します。日本でも、中国山地の南側を山陽、北側を山陰と呼んでいるでしょう。咸陽の咸は「全て」という意味があり、これは渭河の北で、岐山の南にあった土地に都市を築いたので、全てが”陽”であることから咸陽としたものです。古来、長安(西安)の都からしても渭水の北岸の陽のあたりやすい河岸段丘(南向斜面となる)は、咸陽(陽の当たる場所)と言う名に由来するように風水のいい場所であり、歴代の皇帝達の永遠の住居として陵墓が築かれました。 いろいろな話を聞きながら、16時40分ごろ、 咸陽のホテル秦宝賓館に到着した。ホテルには赤いアドバルーンが10数個打ち上げられている。それぞれのバルーンにはスローガンや歓迎の文字が書かれた垂れ幕がつけられていてなかなか見事な眺めである。その日は共産党の幹部がこのホテルで会議を開いており、そのための歓迎バルーンだとのこと。ホテルのすぐ隣には渭水が流れている。 夕方、男性3人で咸陽市街へ買い物と散策へでかける。かなりの人だかりだった。翌朝ホテル近くを散歩したが、道路は細かい砂でいっぱいになっている。何人かの女性たちが大きなほうきで通りを掃除していた。その後、シルクロード沿いのどの都市でも、この朝の掃除の光景は見受けられた。シルクローだの朝の風物詩になっている。 |
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2009年04月14日
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