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漢代長城 〜砂漠に延びる西の果ての長城〜
秦の時代に築城が始まった万里の長城も百年ほど後、前漢の武帝が匈奴を撃破して手中に収めた河西回廊を防衛するため大規模な長城を築いた。その西端が今見つめている土壁のような長城で、玉門関の西方から疏勒河の南岸に沿って、およそ150kmにわたって連なっている。(下の地図参照)
思えば、あちこちで数え切れないほどの長城を見てきた。初めて見たのは,北京にある明の長城・八達嶺だった。中国の偉大な遺跡を目にした時のあの感動が忘れられない。
そのあと、長城の東端への強い思いに引かれて、渤海湾に突き出た山海関と九龍頭に出向いた。
そして今は砂漠の真っ只中の西端に立ってる。
北京郊外 明代の長城・八達嶺
渤海湾に突き出した長城の最東端・九龍頭
長城の西のさいはてに立つ
崩壊したり砂に埋もれたりして、断絶している所もあるが、玉門関付近が最も保存状態がよく、現在は策に囲まれて玉門関とともに観光スポットになっている。以前来た時は、柵はなかったのだが、マナーの悪い観光客が登ったりするからだろう。
漢代長城は、土の層と藁の層をいく層にも積み重ねる「版築工法」で作られている。この技法によって藁が発酵しより強固な壁となる。元来は5,6mあったが、崩壊したり砂に埋もれているため現在の高さは2メートル弱である。
《どうせここまで来たのなら、最西端を見てやろうじゃないか》――
その思いをおやじさんにぶつけた。
返事は予想通り。
「探検家でもあるまいし、誰もそんなところへは行きませんよ。行ってもここと変らないですよ」とにべもない。
しかし、私には大きな意味がある。最東端と最西端に立ってみたいのだ。
説得の甲斐あって、おやじさんは「詳しい少年に案内させましょう」と苦笑いする。いかにも、もの好きだなあといわんばかりのもの呆れ顔だ。
少年は「しっかり付いてきてください。余りスピードは出しませんから…」と言って、出発。砂漠の道を西へ向かう
ところどころに、のろし台が見られる。当時、この長城に沿って5キロごとに、のろし台が設けられていた。のろしを狼煙(烽火)書くのは、狼の糞を藁に混ぜて使っていたためという。
ついに長城の最西端
「あそこが万里の長城の西の端ですよ」 少年は私の気分を推し量るような顔つきで言った。
そこでは、烽火台が万里の長城のターミナル、いやスタートをしっかりと守っていた。光景はシンプルでもその意味は大きい。
いったん事が起きた時には、ここを出発点として次から次へとリレーされて長安まで伝達されてゆく。
「うわー! これが万里の長城の西のさいはてだ!」
東端の九龍頭で、いずれ目の当たりにすることを、切望した光景だった。私にとっては光景よりはそに立つことがたという歴然たる真実が重要だったのだ。
ここを守る兵士たちはこの夕暮れを眺めてなにを想ったのだろうか。
愛しい妻や愛する女を想って涙したのであろうか…。
それとも、胡旋舞の女の魅惑的な姿態を想ったのであろうか…。
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