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四国遍路の最新記事をご覧になりたい時には、ここをクリックしてください。 [杜泉新生シルクロード2万キロをゆく 前回の記事]259 故城の夕暮れにいにしえの楼蘭を想う 楼蘭故城6←クリックしてください。[本 日 の 記 事] 小河墓遺跡へ向かってタクラマカン砂漠を西へさらば楼蘭故城 ロブ砂漠を西へ向かう楼蘭からさらに小河墓遺跡へ向かう。「楼蘭故城を訪れる人たちでも、さらに小河墓遺跡へむかう霊はめったにいませんよ」 と、リーダーは茶目っ気たっぷりという。 小河墓遺跡は、楼蘭故城から170キロほど西にある。 裁くの道なき道を3日ほど走らないとたどりつけない。 たいていはまっすぐにミーランへ向かうのである。 われわれ一行7名は、楼蘭故城に別れを告げた。 楼蘭故城が次第に視界から遠ざかってゆく。 〈もう二度と来るチャンスはないだろう〉 ――そう思ったとたん、急に目頭が熱くなるのを覚えた。 「楼蘭」こそが、私のシルクロードへの憧れの原点なのである。 私がシルクロードや西域に本格的に関心を持つきっかけになったのは、 中学生のころNHKラジオ・日曜名作座で、井上靖作『楼蘭』←クリックを聞いたときなのだ。 そのときのの胸の高鳴りをはっきりと覚えている。 それだけに思い入れが強いのだ。 孔雀河の北側を川に沿って走ると、やがて本格的な砂漠になった来た。 ここは、ロブ砂漠といわれるが、タクラマカン砂漠の一部(東端)なのである。 硬い粘土状の土が、次第にさらさらの砂にかわってゆく。 始めは時速20キロ程度だった車の速度が、10キロ以下に落ちた。 砂丘また砂丘である。 ひとつ越してもまた砂丘だ。 遍路で室戸岬を歩いていた時のことだ。 ――いくら歩いても、歩いても次から次と岬が現れて来る。 目的地まではなかなか到着しなかった。 その時のことが思い浮かんだ。 私は、写真撮影のため、車高が高くて視界のよいトラックに乗り移らせてもらった。 たまに平坦な見晴らしのよい場所に来ると、湖や街の姿を映す蜃気楼が現れる。 昔の旅人は、それに惑わされてがっかりしたにちがいない。 惑わされたあげく、方向を見失い命を落とすものも多かったという。 砂漠といえば単調な砂の海と思ったら大間違いだ。 実に変化に富んでいる。 砂質によってもまるで色が違う。 日光の具合で色合いも千変万化に変化する。 陰もも雰囲気を作り出してくれる。 風紋も見事なものだ。 2日目の夕方、遠方にラクダの列が歩いて行くのが見えた。 まるでいにしえのキャラバンを思わせるものだった。 ヤルダン魔鬼城でチラッと観光客の姿を見て以来、 塩田で作業員のおじさんと話した意外は、 人の姿をまったく見ていない。 まるで世界中に存在するのは、自分たち7人だけだと思ったことが何度もある。 たった三人、しかも遠方で動く人の姿を見たときは、 孤独から開放された気分になれた。 夕陽を浴びた砂漠は神々しさえも感じさせてくれる。 このように砂の芸術と触れ合い、砂漠の厳しさと折り合いつけながらの砂漠の旅は続いた。、 トラブルがなかったわけではない。 小さな、トラブルなんかはさておき、 ランドクルーザーの空冷用のファンが粉々に壊れてしまったことだ。 思わぬトラブルにどきっとしたが、 有能なスタッフが2時間ほどで修理してしまった。 その見事さは、さすがだった。 河墓遺跡に到着したのは、楼蘭故城を出発してから実に3日後だった。 杜泉新生シルクロード2万キロをゆく 〜旅の始めのほうから見たいときはこちら〜4.西文化が花ひらいた大唐の都・長安(3) 仏教の伝来 〜鳩摩羅什と玄奘三蔵のゆかりの寺〜 ―杜泉新生シルクロード2万キロをゆく4 ←クリックしてください。 |
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2010年06月16日
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