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小河墓(しょうがぼ)遺跡には、無数の墓標がわびしく佇んでいる。
[本 日 の 記 事] 久びさ舗装道路砂丘を越えて小河墓遺跡で一泊のあと、砂漠ルートでミーラン遺跡へ向かう。一日の走行距離としては、約160キロという距離は、さほど長くは無い。 しかし何分にも砂漠の道だ。 時速10〜20キロだ。 途中で一泊は覚悟しなければならない。 それでもうまくいけば、途中泊せずにすむかもしれない、とリーダー-は言う。 そうなってほしいのはやまやまだが、そうならないのが普通なのだ。 とにかく出発。 スタッフにとっても初めてのルートなのである。 前方には車の走った跡などはまったく見えない。 高い砂丘が、来るなら着てみろというようにそび陵ている。 かなりの難敵だ。 小河墓遺跡を訪れる人はほとんどいないし、 訪れる場合は場合は、たいていコルラかトルファンから往復するので、 私のように小河墓遺跡から砂漠を通ってミーランへ向かう人はきわめて稀であろう。 いままでこの地を走った車は、皆無ではないかとさえ思えるくらいだ。 高低差の大きい砂丘の尾根の縦走だ。 ますます砂が細かくなり、急な上りに差し掛かるとスリップ状態が続くようになった。 そのたびに、猛烈な砂煙が上がって、視界がほとんど利かない状態だ。 スリップして急斜面から転落しかねない。 こうした走行が2時間近く続いた。 砂漠縦走断念ついにリーダーの判断が下った。「砂漠での運転技術と知識を充分持っている我々スタッフでも、これ以上進むのは危険危険で不可能 です」――。 私も即座に納得した。、 そして、西へ20数キロ進んで国道218号へ入ることにした。 西へ進むにしたがい、次第に砂丘の高低差が少なくなって車は少し走りやすくなった。、 ところどころに胡楊も見られるようになって来た。 「舗装道路が近づいてきました。もう少しの辛抱です」 と言うガイドの顔には、いくらかアンドの表情が浮かんでいた。 砂漠公路?が見える少し大きな砂丘を越えると、風景が開けた。するとやや遠方に、何本かの緑のベルト状のものとと茶色い縞模様が見えた。 その間にはまさしく舗装道路が見える。 私が思わず私が拍手をすると、ガイドも釣られて手を叩いた。 彼も安心したのだろう。 やっと人間社会、現代社会に戻ってきたという感じだ。 思えば、敦煌を出てから15日間砂漠やヤルダンの道なき道を走ってきた。 人工的な建造物を見るのは久々なのだ。 緑のものは防砂のタマの植林された胡楊やタマリスクであり、 茶色のものは、アシを編んだ筵のようなものを砂に埋め込んだものである。 舗装道路は砂漠の中をどこまでもまっすぐに延びている。 その道を南へ向けて快調に走り出した。 運転手は、まるでたまっていた鬱憤を晴らすかのように、 90キロあまりのスピードで飛ばしに飛ばした。 久々の快感である。 [ぜ ひ お 勧 め の 記 事] 敦 煌 莫 高 窟ぜひご覧いただきたいので、再度ご案内しています。原則撮影禁止のところ特別許していただいたもので、とても貴重な写真だと自負しています。 また、敦煌研究所より厚意提供いただいた写真もアップしてあります。
NO11まであります。 1〜6までを、5日間アップします。
見たい題目をクリックしてご覧ください。 敦煌莫高窟1 莫高窟の景観←クリック 敦煌莫高窟2 莫高窟の石窟と石仏←クリック 敦煌莫高窟3 莫高窟仏像5選←クリック 敦煌莫高窟4 敦煌の美 その歩み←クリック 敦煌莫高窟5 敦煌莫高窟一千年の至宝をめぐる1 敦煌莫高窟6 五胡十六国から隋の塑像 敦煌莫高窟一千年の至宝をめぐる2←クリック コメントやポチ!は、それぞれの記事にお願いします。 |
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2010年06月28日
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