東日本大震災 未来への祈りと伝承〜「みちのく巡礼」

みちのく巡礼は、東日本大震災の祈りの場創設と記憶・教訓の伝承、防災精神の啓発、復興に寄与する活動を行っています。

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久しぶりにシルクロードの世界にやってきました。

[杜泉新生シルクロード2万キロをゆく 前3回の記事]

270 ミーラン遺跡4   吐蕃の城砦と古寺のヘレニズム文化   杜泉新生シルクロード2万キロをゆく270←クリックしてください。
269 ミーラン遺跡3   故城を巡る  杜泉新生シルクロード2万キロをゆく269←クリックしてください。
268 ミーラン遺跡2 ミーラン故城の手荒な歓迎  杜泉新生シルクロード2万キロをゆく268  杜泉新生シルクロード2万キロをゆく266←クリックしてください。


 [本 日 の 記 事] 
  = チャルクリク 西域南道をゆく1=
西域南道の要衝チャルクリク
 今日は、ミーラン故城から西域南道を走りチェルチェンへ向かう。
 最終的には、天山南路と交わるカシュガルをめざす。
 
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 タクラマカン砂漠の南側を東西に結んでいる西域南道の
 東端に位置するオアシスがチャルクリクである。
 西域南道の要衝として、
 タリム盆地の北辺にあるコルラへ、
 河西回廊へ続く敦煌へ、
 シルクロードの聖解消ルートの東にある西寧へとつながっている。

 玄奘三蔵は、インドからの帰り道、
 西域南道を通り長安へ歩みを進めた途中に楼蘭をと通ったことを
 『大唐西域記』に記録している。
 しかしこの時期、楼蘭はすでに廃墟となっていたという。
 ならば玄奘三蔵は、チャルクリクも通ったのではないかと推定されている。


ミーラン遺跡からチャルクリクへ走る
 ミーランからしばらくはアルティン山脈方面に向かって
 未舗装の道を砂煙をもうもうとあげながら突っ走る。
 
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 やがて青海省ルートにぶつかるとやっと砂塵から開放される。
 
 ミーラン遺跡からあわせて85キロ走ると、遠方にチャルクリクが見えてきた
  ポプラの暴風林が烈しく揺れている。
チャルクリクのオアシス
 オアシスの中にも風砂が舞っている。
 周囲を囲む防砂林があるとはいえ、
 そこを通り抜ける風の力も、決して侮れない力を持っているようだ。
 
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?H5>チャルクリクの街  
 近年、チャルクリクの街は急激に変化しているという。
 街路には、明るい色合いの衣類や雑貨の店がたくさん並び、
 道路は拡幅され、車道と歩道が区別されている。
 以前は多数行き交ったであろうロバ車は少なくなり。
 乗用車やオート三輪に変わった。
 街の中心には、携帯電話会社の電波塔がそびえている。
 
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陽気なウイグルの叔母さんたちがこちらに向かって、写真を撮ってくれ盛んに手を振って笑顔を振りまく。
 
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 中心街の道はきれいなレンガ敷きだで、店の建物もどこかエキゾチック差を漂わせている。
 
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 チャルクリク一番のホテル 

 それでも、ウイグル族の主食であるナンの香ばしい香が漂い、
 羊の肉などをギョウザ風の皮で包んで焼いたサモサが、通りのあちこちで売られている。
 街の風情が変わっても人々の生活はあまり変わらないようだ。
 
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  バザールにはたくさんの人びとが集まり、ウイグル人の陽気さと活気が伝わってくる。
 
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 サモアの香辛料と羊肉の香ばしさが鼻と腹を刺激する。ついつい吸い寄せられるように焼きがまの方へ足が向いた。
 
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 じっと見ていると、これぞウイグルといった感じのオジイサンが、
 無言でサモアを差し出した。この店の主人だった。 ウイグル語しか話せないので、話が通じない。
 手振り身振りでビールは無いかと訊くと、両腕でで大きなバツを作った。ざんねん!

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