垂乳根の銀杏と五百羅漢 五番地蔵寺
五番地蔵寺の参道へ入ると、道の両側には今が満開の桜が咲き誇っている。
まるで、桜のトンネルの中を歩いて行くようだ。
不許葷酒入山門
山門の少し手前に、「不許葷酒入山門」と書いてある石柱がある。
なまぐさいものやお酒は山門の中に持ち込んではいけないという意味だ。
私が、面白そうにこれを眺めていると、
「お遍路さん、暑いね。飲み物はどうかね」と、
すぐ側でアイスクリームや飲み物を売っているおじさんが話しかけて来た。
その息がなんと酒臭い。
〈門前だからお愛嬌か〉と思いながら、思わず笑みがこぼれてしまう。
〈地蔵寺の和尚さんだって飲んでいるかもしれない。自分だって遍路中に、宿では飲んでいる〉。
そう思うと、ますます可笑しくなってしまった。
遍路にだってこっけいなことがあるんだなあ――妙に感心してしまった私でした。
仁王門を入るとすぐ、大銀杏が目に入ってきた。
四方八方に勢いよく枝を張っている。 実にみごとだ。
案内板には、「垂乳根の銀杏」と命名され、樹齢八百年を超すものだ、という内容が書いてある。
このイチョウは昔から多くの遍路を見つめ続け、
たくさんの遍路の心の内を聞いてきたのだろうな……
樹の近くのベンチでは、二人のおばあさんが、にこにこしながら話している。
その脇では、まだ幼い子どもたちが「きゃっきゃ」言いながら、夢中で遊んでいる。
二人のおばあさんの孫たちであろう。
10人近い子どもたちが境内でボール遊びをしているし、ベンチに腰掛けて読書をする人もいる。
〈ここは、ずいぶん庶民的な寺だなあ〉
やはり、「お大師様」とか「お大師さん」と呼ばれて、今なお親しまれている弘法大師のゆかりのお 寺らしい光景だな〜と、ほほえましく眺めていた。
そういえば、一番札所の霊山寺にも、ジーンズ姿の地元の若者たちがいたことを思い出した。
八十八ヶ所のお寺は、地元の人々との密着が強いのだろう。
五百羅漢
地蔵寺の隣には、「羅漢堂」がある。
修復工事作業中の人に、場所を確認すると、
「羅漢さんですか。本堂の裏の石段を上って行くとすぐですよ」と言って、指差して教えてくれた。
どうやら地元の人たちは、親しみを込めて「羅漢さん」と呼んでいるのだろう。
「羅漢」は、供養や尊敬を受けるのにふさわしい人という意味だが、
悟りを開いた仏弟子に対する尊称である。
羅漢堂には、等身大の五百羅漢が200体ほど祀られていた。
それぞれの羅漢の表情はさまざまだ。
喜び、怒り、悲しみ、ほほ笑み、悩みなど、人間のさまざまな表情が実によく出ている。
個性や生活までもにじみ出ているように感じる。
「それは、あなた自身の色々な姿なのですよ」と語りかけているようにも見えた。
どんな表情の羅漢さんも、どことなく親しみのもてる存在のように感じた。
やはり、悟りを開いたといっても、人間らしさを残しているからなのだろう。
というより、自分自身を映し出しているからではないだろうか。
五百羅漢の中には、亡くなった身内の顔が必ずあるといわれている。
それとなく探してみたが、亡くなった祖父母や父によく似ていると感じるものは、見つからなかった。
|