東日本大震災 未来への祈りと伝承〜「みちのく巡礼」

みちのく巡礼は、東日本大震災の祈りの場創設と記憶・教訓の伝承、防災精神の啓発、復興に寄与する活動を行っています。

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心細い身に強くしみた山道でのお接待

杖杉庵を後にして、むこうに見える集落まで、気分よく下ります。
 
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 2時30分ごろふもとにある田中商店に到着。
 
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 だが、まだ安心できない。
 ここから、宿の植村旅館まではまだ7キロ以上の山道だ。
 現在の所在を知らせるために、電話を借りて宿へ連絡しようとしたが、
 店の奥さんが、「いいよ、私が連絡してあげるから」と言って掛けてくれた。
(2日目に携帯電話をズボンに入れたまま洗濯して、パーになっていたのです)
 だが、あいにく留守だった。
 気の毒がって「これでも飲んで元気つけなよ!」と言って、ヤクルトを二本お接待してくれた。
 なんて親切なんだろうと、改めて感謝の気持がわいた。
 地図を見ると、ここからは道が何本かある。
 わかりづらいので、その近くの小さな店のおばあちゃんに道を聞いた。
 「どこまでも左へ行くんだよ…」と言って、みかんをお接待してくれた。
 
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     この標識のある道を左に曲がって、桜が咲いているのが見える山道の方へ入りました。
   前の二回の遍路では、若かったこともあり、ここからまっすぐに10数キロある十三番大日寺付近まで一挙に歩きました。

 それらしき道を歩いているが、遍路マークも何もないので、不安になり、農家へ入って再び尋ねた。
 「この道でいいよ」と言ってくれたが、地図上のどの道を歩いているの確信が持てない。
 
山道に入ってから三叉路にぶつかって、どちらへ行くか迷ったが、
 たぶん宿へ行くの道なのだから…と思って少し開けた道を歩いていくと、
 800mほどで畑があり、そこで行き止まりになった。
 往復2キロ弱の歩き損だ。 ま〜、人生いろいろあら〜な。

 仕方なく元へ戻って、不安ながら反対方向の林の道へ入った。
 道しるべはないが、道はこれしかないのでそこを行くしかない。
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 ここから本格的な登りが始まった。
 この山道、急勾配の上に、大きな石がゴロゴロ転がっている。
 焼山寺の最後の登りよりももっとひどい。
 
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 次第に急坂の木立の細道になった。人がやっと通れるくらいの道だ。
 薄暗い木立の間から、うっすららと光が射し込み、すこし不気味さを感じながら歩いた。
 
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 「宿へ行くのにこんな山道か?」といささか不安になった。
 ところどころに、木の枝に「遍路道」とか「へんろ道」などと書いてある赤い布が下がっている。。
 これを見るたびにて、むしろ不安が増していった。
 
 地図には3本の道が書いてあるので、そのうちのどれを歩いているのかがわからない。
 一本は焼山寺の遍路ころがしの浄蓮庵方面へ、逆戻りする道がある。
 山道なので誰とも出会わない。だから道も聞けない。
 遠くには、午前中に苦しんだ焼山寺の山並がみえる。
 なんだか道がそちらの方へ向いているように感じて、不安感がさらに増してくる。
 この疲れた体で、あの山まで逆戻りではかなわないな〜。
 
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 地図上の距離はさほどでもないのに…、なぜかさっぱり玉ヶ峠に着かない。
 急坂なので、地図上の距離よりも長いのだろうと自分に言い聞かせようとするが、
 ますます不安と焦りがが募る。
  
 1時間半ほども不安な気持で急な道を上ると、道端に野仏さかが祀られていた。
 心身ともに疲れた身にはまたとない癒しだった。
 お線香を上げ、般若心経を上げた。
 野仏さまの前での読経は、実に初めてだった。
 
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 ここから最後の急坂を登ると、突然舗装道路に出た。地図に書いてある玉ヶ峠へ出た。やれやれ!
 
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 ここで安心は出来ない、今日の宿の植村旅館までは5キロほどある。
 ここからは長い長い下り坂、靴の紐をキッチリ締め直して歩き始める。
 まもなく民家が現れ、右手下に鮎喰川が見える。
 
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 10分ほど歩くと、60歳過ぎくらいの女性が運転する車が、前方からやってきた。
 手を上げると停車して、ウインドウを開けてくれた。
 「植村旅館へ行くにはこの道でいいですか?」と尋ねると、
 「申し訳ないんですが。私も遠くから来ているのでわからないんです。
 自分も親戚の家に行くところなんだけれど、道がわからなくて困っているんです」
 とすまなそうに答えた。
 ところが、5分くらいすると、車でわざわざ戻って来て、
 「私が食べたんでは、太りますからお遍路さん食べてください」と言って、
 お饅頭を二個お接待してくれた。この言葉は、きっと私を気遣っての言葉だろう。
 お腹がすいていたので、歩きながらすぐに食べた。
 そのうまさが忘れられない。
 
イメージ 13 そこから、数分行った所に、番外霊場の鏡大師ガあるので、そこへ立ち寄った。
 弘法大師がここで休憩した際に傍らの石をなでると輝きだして物が映るようになり、
 「鏡石」とよぶようになったという言い伝えがある。

 そこから10分くらい歩いたところに、満開をやや過ぎた桜の花が咲いている。
 その向こうに人家があった。
 
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 庭にいた女性に地図を見せて、
「植村旅館へ行くんですが、今どの辺を歩いているんでしょうか」と聞くと、
「なんかちょっとわかりづらい地図ですね」と言いながら、探し当てて指さしてくれた。
 お礼を言って歩き始めようとすると、「ちょっとお待ちください」と言って家の中に入ったが。
 缶コーヒーとお菓子を持って戻ってきた。
 飲みながら立ち話が始まった。
「どちらからですか?」と訊くので、「仙台からです」と答えると、
 驚いたように「私も宮城県です」と女性は言った。
 私の方が却って驚いた。〈本当に世間は狭いなあ!〉

 東京で働いている時に、徳島県出身のご主人と知り合い、ご主人が実家にUターンして来たとのことだ。
 「お遍路さんはここをけっこう通るのですが、宮城県の人は2年ぶりです」と言って、とても懐かしがった。
 20分ほど楽しく立ち話をした後、あと3キロ弱の道を、植村旅館を目指して元気よく歩き出した。
 5時30分ごろ到着した。
 朝6時前に11番藤井寺付近の宿を出て以来、11時間半以上の歩きであった。
 
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 今日は、あまり人と出会わないところを歩いていたにもかかわらず、
 4人の人からお接待をしていただいた。 ありがたいことだ。
 我々歩き遍路は、周囲の皆さんの暖かいご支援で歩かせていただいているのである。
 そのご恩を決して忘れてはいけない。
 
 それは人生にも言えますよね〜。 


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