東日本大震災 未来への祈りと伝承〜「みちのく巡礼」

みちのく巡礼は、東日本大震災の祈りの場創設と記憶・教訓の伝承、防災精神の啓発、復興に寄与する活動を行っています。

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流石に、1200㌔走行の2泊3日の車の旅は疲れました。
かえって来て、6時から早稲田大学のセミナーハウス「3.11の体験談と現状とこれから・。」のことをで、話そうと想っていました。
そしたらコンパでの飲み会と、話が違っていてパスしました。
しかも、行く前に、6時と言っていたので、もう一人逢いたい人がいたのですが・。急いでかえって来たのです。それが、8時に延期。なんの連絡も頂いていません。何を考えてるのか・・? 怒り心頭でしたねーー。
  
それに、3.11のことをお酒を飲んで話しするような、事ではないのからです。
なので、パスしました。行かなかったのです。

この、3.11の原点を忘れてはいけない。まだまだ、復旧までは・。
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                                                                 多くの犠牲者がでて、沿岸の集落は壊滅的そんなことなのですから・・・。

それに、全然復旧もしていない、まだ、港には瓦礫が残ってる・・。漁協の職員は、4人なくなり、その人員補給も出来ていないので、まさに不眠不休です。
今、漁師は復活に向けて、必死にみんなが頑張っているのが、全く分かっていない・。僕だってだって、10月からの復活にかけています。問題は、船の機械類の製造メーカーが間にあうか・・。それと、壊滅的な港で時化にどうするか・・?
問題は山積みです。
そのような厳しい状況を、ひとりでも多くの学生に知って欲しかったのですが・・。
まだ、この災害からの復活には、膨大なエネルギーが必要です。
「復興」などという段階では、全くありません。
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やはり、被災者、漁師の現実を知らない、役人の発想ですねーー。
村の職員が、被災漁師の今の厳しい状況を全く分かっていなかったのは・残念なことです。非常に怒りがこみ上げてきましたが、怒るわけにも行かず、軽く言っておきました。まだまだ、そのような意識の役所の職員は多くいるのでしょう。
やはり、役人は役人。甘い出なあ・。とつくづく感じました。

なので、今日か明日あたりセミナーハウス「青鹿寮」に行って、人数は減りますが、シラフで真剣に伝えた方がよっぽど価値があります。


まあ、それはさておき、昨夜は、キューバタンでしたねー。
かといっ、熟睡出来たかといえば・。流行り、相変わらず、4時間で目が覚めてしまい
ます。
なかなか、PTSDもしつこいものです。まあ、時間がかかるものとして諦めてはいますが・・。

さて、今日からまた新たな、挑戦の日々が始まります。
自分の頭も、一度3.11にリセットして、今の現状と将来を洞察しないといけないなあと想っています。

何故なら、一つの事に思い込んでいる事に気がつかないのが、怖いからです。
気を引き締めて、頭の中も整理しないと・・。

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転載元転載元: 山と土と樹を好きな漁師

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      夜の鳴沙山  まるで夜の砂漠をラクダで旅するシルクロードのキャラバン隊のように想えた。

マルコ・ポーロとの出会い

イメージ 1 シルクロードに興味をいだく人間で「マルコ・ポーロ」の名を知らない人はいないだろう。『東方見聞録』の中で、日本を「黄金の国・ジパング」と紹介した人物である。わたしが彼と初めて出会ったのは、小学5年生だった。担任のF先生は、わかりやすい面白い授業をする先生で、人間的にも立派で、学校中の生徒から人気があった。特に歴史が好きで、手振り身振り、ユーモアたっぷりで、社会の授業を盛り上げていた。ふだんは隣とおしゃべりをしたり、おとなしいと思えば寝ていたりする悪ガキどもも、社会の授業だけは楽しみにしていた。いつもとは打って変わって先生のほうへ顔を向け、たまには「はあ〜、それからどうした…」などと、合いの手を打つほどの変身ぶりだ。

 先生は、マルコ・ポーロの『東方見聞録』(実は、マルコ・ポーロがアジア諸国で見聞した内容口述を、ルスティケロ・ダ・ピサが採録編纂した旅行記である)の話になると、いつもにも増して熱が入った。旅の話はことさら面白くて、多少の作り話も混じっているとは思っても、ついつい引き込まれて、目を輝かせて聞いていた。マルコ・ポーロが東洋に夢を膨らませたように、私もシルクロードの世界に夢とロマンを広げていった。『アラビアンナイト』や『シンドバッド』、はたまた「月の砂漠をはるばると、旅のラクダがゆきました…」を思い浮かべながら、夢と想像を広げていった。

 『東方見聞録』には、日本は「ジパング(日本)は、カタイ(中国大陸)の東の海上1500マイルに浮かぶ独立した島国で、莫大な金が採れて、宮殿や民家は黄金で出来ているなど、財宝に溢れている。人々は信心深く、仏様の崇拝者で、外見がよく、礼儀正しいが、人肉を食べる習慣がある」と書かれているという。 旅の話ならば少しくらいのウソが入っていたほうが却って面白がって聞いていたが、さすがに自分の国のこととなるとそうは行かない。少し抗議口調で「鎌倉時代には、ほとんどの民家が貧しかったので金なんかでできているわけはないし、宮殿だって平泉の金色堂くらいしかないんじゃないですか。それに、日本人が人食い人種だなんて、まったく面白くありません。先生はどう思うのですか?」と尋ねた。
 
 すると先生は、
 ―― 「私もそう思っている。宮殿や民家は黄金でできている、というのは、中尊寺金色堂についての話を聞いたものだといわれているんだ。実際、マルコ・ポーロは日本には来たことがないので、中国で聞いた噂話として書かれているんだ。
 
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      2011年世界遺産に選ばれた平泉の中尊寺金色堂

 ころで、『ジパング』は日本の英語名「ジャパン」(Japan)の語源になっているんだよ。当時のヨーロッパの人々も、マルコ・ポーロの言っていた日本についての内容はあまり信じなくて、彼は嘘つき呼ばわりされたそうだよ。だが『東方見聞録』は、その後多くの言語に翻訳されて、手写本としていろいろな国に広まっていったんだ。これがアジアに関する貴重な資料として重宝されて、後の大航海時代に大きな影響を与えるようになったのです。ジパングを目指して出航し、アメリカ大陸を発見したコロンブスも、この書を手元から離さなかったそうだ。なんと366箇所も書き込があったそうだよ。
と答えてくれた。
 
イメージ 2 こんなわけで、私はマルコ・ポーロに強い興味を持った。さっそく、1時間以上電車に乗って仙台の書店まで出かけた。なかなかいいものが見つからなかったので,書店のおねえさんに「マルコ・ポーロの本を探してるんだけど」と声をかけると、
 「あなた小学生でしょう! これがいいんじゃない」と言って、『マルコ・ポーロの冒険』という少年少女向けの本を出してきてくれた。本での最初の出会いだった」
 
 1271年、イタリアのヴェネチアに暮らしていた17歳の少年マルコ・ポーロは父ニコロと叔父マテオに随行して東方へ旅立つことになる。道中でマルコは様々な体験や色々な人々との出会いと別れ、冒険を繰り返しながら成長していく。未来に向かって、理想に向かって突き進んで行くマルコ・ポーロ。未知の世界を切り開く意思の強さ、何処までも希望を捨てない精神の強さ……。感動で時には涙をためながら、一気に読みきってしまった。'''「大人になったら絶対にシルクロードに行ってやる!」"""――そう決意した。
 
 これが、248日にも及ぶシルクロードの一人旅の原点になったのである。

  
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       タクラマカン砂漠  砂丘を超えて歩むわたしたちのラクダの隊列

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