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ホータンを出発した我々は、ケリアを経過して、ダンダンウィリクへのベースキャンプベースキャンプバスカッ・イゲルへ向かった。 ケリア河沿いの砂漠の道をバスカッ・イゲルへ向かうケリアの街の東側を流れる広々としたケりア川にかかる橋を渡って左折し、左岸を北上し始めた。これまで通って来た道では、乾季の白玉河や黒玉河ではあまり水は流れていなかったが、 ケリア河は比較的水量が多い。 そのおかげで、周辺には水田がたくさん見られ、緑がいっぱいだ。 しかし、まもなくポプラの並木道も途絶え、畑地も、葦が群生する湿地帯も見えなくなり、小高い砂丘地帯に入った。 目指すキャンプ地バスカ・イゲルまではケリヤから125キロほどの距離だが、砂丘の間をぐるぐると縫うように進む自然の悪路で、スピードは出せない。運転手も四苦八苦している。 猛烈な砂煙なので、ラップで包んだカメラで撮影を続けているが、やはり鮮明な画像は無理だった。 わざわざ停車してもらって、ラップなしの別のカメラで撮影するときもあった。 周囲は砂丘の連続で、ところどこに太い胡楊があり、砂丘にはタマリスクと葦が生えている。 民家はほとんどなく、ほぼ2〜3キロごとに羊飼いの姿が見られるだけであった。 ところどころでラクダが胡楊やタマリスクを食んでいる姿にもお目にかかった。 バスカッ・イゲル近くになると夕日が傾き、うっすらと暗くなり始めた。 午後7時50分、ようやくバスカッ・イゲルへ到着した。 ああ〜 今日も長い一日だったな〜。 [西域南道をゆく] 前回までの記事それぞれ下線付きの題目をクリックすると記事が開きます268 ミーラン遺跡2 ミーラン故城の手荒な歓迎 269 ミーラン遺跡3 故城を巡る 270 ミーラン遺跡4 吐蕃の城砦と古寺のヘレニズム文化 271 チャルクリク 272 チャルクリクの小学校とウイグルのこどもたち 273 一路チェルチェンへ 274 チェルチェン 〜ポプラ並木の郷愁〜 275 チェルチェン 〜バザールとチェス〜 276 チェルチェン故城とザーグンルーク古墳 277.楼蘭からホータンへ7 278 石油開発で発展するミンフォン 279 玄奘三蔵が見たホータン は仏教国…、今のホータンは? ホータン1 280マリカウト故城と玉売りの子供たち 〜ホータン2 281白玉河と「玉」の商人 ホータン3 282 ホータンの日曜バザールと絨毯工場 ホータン4 283ホータンとカシュガル1日千キロの大往復 284ポプラ並木とロバ車、郷愁を感じさせるオアシスの水田 カシュガルから再びホータンへ1 285刃物の街インギサル カシュガルから再びホータンへ2 286ヤルカンド カシュガルから再びホータンへ3287ホータン周辺の仏教遺跡を訪ねて 288ホータンに蚕と桑を伝えた王女の物語 289水豊かなヨートカン遺跡の村 290ヨートカン遺跡 〜幻想の世界への入口ようなポプラ並木 291ラワク遺跡 292 玄奘三蔵に思いを馳せたスタイン 〜ダンダンウィリク1 293 西域のモナリザと蚕姫と龍王女 〜ダンダンウィリク2 294 ダンダンウィリクへの道1 295 ホータンから西域南道を走りケリアへ ダンダンウィリクへの道2 |
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2011年10月23日
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